もろもろとアートとおりがみ

千秋文庫で古地図を見た
しょうけい館の衝撃
の続きです。

雉子橋(きじばし)

江戸時代に、朝鮮や中国の使節をおもてなしするとき
雉子の料理を出したところ、とても喜ばれた。
以降、雉子料理は定番となり
このあたりで雉子を飼育していた。

新島襄生誕の地

以前来た、東京大学発祥の地のすぐ横。気づかなかったなあ
同志社大学を設立して、大河ドラマ八重の桜の旦那さん

新島襄って密航してアメリカに渡ったんですね。知らなかった
魅力的な人物なので、今度じっくり調べる事にいたしましょう。

護持院が原跡地の碑

徳川5代将軍綱吉(つなよし)の帰依(きえ)を受けた隆光(りゅうこう)のお寺が護持院
広大な敷地だったんだけど、綱吉がなくなってからは勢いを失い、護国寺に吸収合併
そのまま火除地として原っぱのまま残ったので、護持院が原と呼ばれていた。

その隣の神田税務署の辺りには、大正時代に錦輝館という集会所があり
大正デモクラシー発祥の地と呼ばれている。

太田姫神社

太田道灌が娘が病気になった時、お祈りしたら完治。良かった良かった。
と思って行ったんだけど、縁起を読むと
なんと!元々はあの小野篁(おののたかむら)が最初に作ったんだと
わたの原 八十島(やそしま)かけて 漕(こ)ぎ出でぬと 人には告げよ 海人(あま)の釣り舟
生きながらにして地獄と現世を行ったり来たりして、閻魔様のお手伝いをしていたすごいひと

太田道灌はその神社にお参りして、娘の病気が治ったからといって、神社の名前まで変えちゃうというのはいかがなものでございましょう。
まあ、小野篁が良いと言えば私なんぞがとやかく言うことはありませんが。

大久保彦左衛門屋敷跡

一心太助の親分ですね。
旗本以下の輿が禁止された際に「大だらい」に乗って登城したという変わり者
三河の時代から家康に仕え、唯一家康にズケズケものを言える人

明治大学博物館
江戸時代に拷問した道具とかが展示してあったはず
行ってみましょう。

学生じゃなくても入れるんでしょうか

はい。でも土曜日は12:30までなんですよ。

時間を見たら、12:29
逆に笑えるほどぴったし

男坂

太田南畝(蜀山人)終焉の地
太田南畝大好き
ほととぎす 鳴きつる方に あきれたる 後徳大寺の 有明の顔
と思って行くと、その横に岩崎弥之助(三菱の二代目当主)の旧居跡まで解説がありました。
おおっ。一粒で二度美味しい。

講武所稲荷

幕末にペリー来航で、幕府は大慌て。
幕府に勤める武士たちに、ちゃんと武道を習わさねば。
と、作ったのが講武所

ところが、その講武所を運営する金すらない。
なんとか捻出しようと、幕府の直轄領の場所に町屋を作り、
貸出して、賃料収入を得ることにした。
ここにあったのは、講武所ではなく、費用を賄うための町屋

3331 Arts Chiyoda

アートだっ

廃校になった練成中学校をそのまま利用し、若手アーチストの発表の場
ちょっと前に似たような感じの場所が楽しかった


これ楽しい

学校そのもの

これも好きだわ

面白かったのは、二階の一角が体育館になっているんだけど
なぜかそこだけはそのまま体育館として市民が利用している

アートの中のスポーツ

2回は展示スペースで、3回はクリエイティブスペース
アトリエだったり、美術関連の会社の事務所だったり。

おりがみ会館

一言でおりがみと言っても色んなテイストがあるんだなあ






2階は動物園



霊雲寺
綱吉の命で作らせたお寺
でかっ

上から眺めると、こんな感じ

[お出かけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

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