[百人一首]81 ほととぎす

ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば
ただ有明の 月ぞ残れる

ほととぎすが一声鳴いてゆく 声のした空を見上げれば
ほととぎすの姿はみえず 夢かうつつのようにはかない 有明の月一輪

藤原実定
藤原実定(さねさだ)は百人一首としては後徳大寺左大臣とされている
お祖父さんの実能(さねよし)が徳大寺左大臣となっているので
区別するために後をつけた

選者の藤原定家のいとこにあたる

実定が生き抜いた時代は、激動の時代
二十歳のころ、保元、平治の乱があった
やがて平家一門が隆盛を極める
公家全体としては不遇の時代となる

平家と結んで栄華に乗っかる貴族もいた。
実定も散々厳島詣でをしたようだが
それでもベッタリにはならず、ほどほどの距離感
敵を作らないようにしている

平家は福原に遷都
実定もお引っ越し

懐かしい京都で中秋の名月を見たくなった

清盛に
ちょっと出かけてきますね

京都は大宮御所
腹違いの妹、多子(たし)に会いに行く

京都は荒れ放題になっていた

夜を明かして昔話に花が咲く
朝方、有明の月が出ます。
有明の月は、朝方の月の事です。

古き都をきてみれば 浅茅が原とぞ荒れにける
月の光は隈なくて 秋風のみぞ身にはしむ

奢れるものは久しからずで平家が没落

都は京都に戻る
木曾義仲が権勢を振るったが、まもなく源義経に追われ、
その義経もまた頼朝にほろぼされた

西海で救われ、京へ送られて落飾された建礼門院を、後白河法皇が大原へ訪ねられた時
実定も同席した

ほととぎすが鳴いていた

建礼門院が
いざさらば 涙くらべむ ほととぎす われも憂き世に 音をのみぞなく

実定は
いにしへは 月にたとへし 君なれど その光なき 深山辺の里

鑑賞
この歌は、実定が50前後の時の歌。

激動の時を越え
良い距離感を常に保ちつつ
結局は左大臣にまでなっている
その晩年の歌

ほととぎすって、当時「初音」というのが流行っていた
夏を告げるそのシーズンで一番最初の声を聞く
今日は鳴きそうだぞって日に、夜を徹して朝一番で聞く

この歌は、そうやって夜を明かした後の朝に詠んだの?

残念!

ほととぎす、というお題をもらってその場で詠んだ歌

リアルな実感はないかも知れないね
でも代わりに盛り込まれたものがある

ほととぎす→初音→朝→有明の月、という自然な流れの連想なんだけど
そこによぎるもの

荒れ果てた京都で見た有明の月
建礼門院のほととぎす

ほととぎすだとばかり思っていたら、もう飛び去っていて、
そこにあったのは月

ほととぎすって、時の権力者?
それとも、時代?

それじゃあ、残った月は?

狂歌
大田南畝(おおたなんぼ)の狂歌

ほととぎす 鳴きつる方に あきれたる
後徳大寺の 有明の顔

さらに、これをでーこんが現代語で狂歌

ほととぎす 鳴いたと思たら あらおらん
実定さんの 口あんぐりの顔

狂歌なので、元歌は有名な歌を選び
それを茶化す。

実定さん
有明の月を、わびださびだ風流だと言っておられますが
キョトンとしたあなたの顔を想像する方が
いとをかし

でも、どうでしょうね

狂歌として最高傑作と言われていますが
おかしさを越えている気がします。

狂歌単独でも風流だと感じてしまうんです。

歴史やら人生やらを背景にしつつも
なんだったんでしょうね、というその感覚が
ほととぎす、おらんのかい、というすぅーっと力の抜けていく感じでうまく表している元歌

狂歌は、それ違うでしょ、というていを取りながら
実は丸々同じことを言っている気がするんです。

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