小野篁、わたの原〜、地獄と行ったり来たり

わたの原 八十島(やそしま)かけて 漕(こ)ぎ出でぬと
人には告げよ 海人(あま)の釣り舟

広い海を、たくさんの島々を目指して漕ぎ出して行ったよ、と
都にいる人々には告げてくれ、漁師の釣り船よ。

小野篁
意外なところにエピソード満載の歌があるものです。
小野篁(おののたかむら)知らなかったなあ
こんなびっくりするような人が人知れず。
百人一首では、最終的な位で、参議篁とされています。

小野路と小野神社
まずは、先日鎌倉古道のウォーキングイベントの時、実際に行って見てきたという事。
町田市の鎌倉古道は、小野路と言われ、小野一族のゆかりの地が多い。
小野一族には、小野妹子(おののいもこ)、前回の百人一首での小野小町、
そして、この小野篁、小野道風(おののとうふう)と盛りだくさん。
小野道風は花札で唯一描かれている人間です。
小野篁の祀られている小野神社にも行って参りました。

遣唐使
安倍仲麻呂が遣唐使に行ったはいいものの、帰りに遭難しかけたため、
帰って来れなくなった話はしました。
小野篁は逆パターンです。
行きがけに遭難しかけて行けなかった。
一回ダメで再度挑戦。
再度の時に何らかのトラブルがあり、誰かの逆鱗に触れたようです。
資料によってこの辺、色々な書かれ方をしているのでよく分からない。

いずれにしても、歯に衣きせぬと言いますか、好き放題言う性格だったらしく
結構嫌われることもあったみたい。
今で言うと、森さんとか麻生さんとか?

結局、隠岐の島に流されてしまいます。

この歌は、その時の恨み節です。
一人で行くのは悔しいから、京の人達にあいつは行ったと言うてくれと。

例えば、菅原道真とか、崇徳上皇とか、不遇の死を遂げた人は
祟りを怖れるが故に、神社に祀られたりもするのですが
小野篁は2年で許されて帰ってきます。

という事で、とても不思議な言い伝えが広がっていくのです。

地獄と行ったり来たり
小野篁はサイドビジネスをします。

昼間は宮廷に役人として仕えながら、
夜は京都六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)の
裏手にある井戸から冥途世界に下っていた。

夜の間、地獄に行って閻魔大王の元で仕事をし、
昼は戻って来て、何食わぬ顔をして、お役人。

地獄に行ったくせに、自由に毎日戻ってこれるって
あとにも先にもこの人だけじゃないでしょうか

お得
やっぱり、閻魔大王に顔が利くというのは、お得ですね

以前、お世話になった藤原良相(ふじわらのよしみ)が病気で、亡くなりました。
閻魔大王の前に引っ立てられます。

あれっ? たかむらちゃんじゃないの

ひょんなところで会いましたなぁ

閻魔さん閻魔さん。
この人はとても良い人でね。
戻してやってくださいよ。

という事で生き返ったのです。

頑張るねえ
それにしてもかんばり屋さんですね
体が持ちませんよね
さぞや眠いだろうなと思います。

どっちかと言うと、昼に目を盗んで居眠りしたかもね。
なんせ、夜の方の仕事でコックリコックリやったら
すぐ横が地獄ですもんね。

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