[足利将軍]3-2 足利義満。室町時代の始まりの大行事

[足利将軍]3-1 足利義満。言うだけの事はある
の続きです。

3代将軍義満は、あまり良い言われ方をされない
とても根強い悪役イメージで
良い方のエピソードがなかなか出てこない

南北朝統一を成し遂げ、室町時代をスタートさせたスーパーヒーローであるにも関わらず。
どうも、その個人的な性格によるようだ
色んな誤解はあるのだと思うが
強烈な支配欲があったことは事実だと思われる

そのおかげで南北朝統一がなった訳だから、良いことなんだろうと思う

父義詮の急逝で若くして将軍になった義満は
実質取り仕切ってくれていた細川頼之の政治を見ながら
そして、尊氏直義義詮と、ぐっちゃぐちゃだった幕府を学習しながら
そして、南北朝という二つも朝廷が存在する異常事態の中で
考えに考えた

なぜ、うまく行かないんだ!
なぜ

構図が複雑すぎる
スッキリさせよう
結局、いくら朝廷に力がなく、幕府に力があるとはいえ
幕府も分裂状態で、地方の御家人たちも全く言うことを聞かない

何かあると、南朝側にあっさり寝返ったりが繰り返されてきたから
南朝に存在価値が見いだされてしまっている

今まで、御家人をなんとか統一しようとか
南朝を力で制圧しようとか
それがうまくいかないと和解をはかろうとしてきたけど
全てうまく行かず、その場しのぎばかり

順番として
1.自分が朝廷(北朝)と幕府両方のトップになり、ここをまず実質的に統一してしまう
2.そうなると自分が南朝に対して優位に立てるので、そこで交渉し南北朝の統一をはかる
3.その上で、御家人を制圧していく

それまで誰もこんな大局的な発想の転換をなしえた人物はいない

朝廷支配をどうしていったかは前回お話しした通り

ターゲットは左大臣、天皇以外では朝廷側の実質トップ
現在で言う内閣総理大臣みたいなもの
決めるのは朝廷だがトントン拍子で出世し、早い段階で左大臣になった

全員に、義満こそがトップだと知らしめなければならない
お披露目式の「拝賀」をかつてない規模で行なおう

花の御所(室町第)と呼ばれる屋敷がある、昔からそうそうたる人物が住み
最終的に崇光上皇が住んだので花の「御所」と呼ばれるようになった
崇光上皇が亡くなったあと、焼失してしまったが、そこを買い取った

急いで再建
花の御所の呼び方は、一度上皇が住んだのでそのまま
申し分ない

ここに住み、「拝賀」の大行列のスタートをここにした。

ここに「室町時代」がスタートすることになる
これは極めて画期的なこと

今まで幕府は鎌倉だった
京都に幕府が置かれたことはない
尊氏もそうだし
父義詮は京都にいたけれども
南朝がすぐに攻め入って来るため
仕方なくいた訳で、幕府は鎌倉に違いなかった
京都に幕府が置かれるという歴史が始まって以来のこと

そのあとの時代にも結局京都に幕府は置かれていない

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

[足利将軍]3-2 足利義満。室町時代の始まりの大行事」への2件のフィードバック

  1. ピンバック: [足利将軍]3-3 足利義満。えっ手紙持っていっただけなんですけど | でーこんのあちこちコラム

  2. ピンバック: [足利将軍]3-6 足利義満。北山殿という最終段階 | でーこんのあちこちコラム

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