[足利将軍]3-1 足利義満。言うだけの事はある

出ました、超大物
そもそも、室町時代ってこの足利義満からで
室町ってというのは義満が建てた室町第(むろまちてい=花の御所)に由来する
尊氏義詮はまだ室町時代ではなく、南北朝時代

それでは、義詮(よしあきら)の続きからまいりましょう
義満
義詮はとても良く頑張ったのですが38歳の若さで急逝します
その時、義満は10歳
慌てて元服し家督を引き継ぎます。

10歳では何ができる訳でもないので
実際の政務は一門の実力者、細川頼之が引き継ぎます。

まだまだ大混乱の時代
細川頼之も苦労するのですが
さらに追い討ちをかけたのが「南都北嶺」と呼ばれる寺社勢力
強訴(ごうそ)というわがままな要求を繰り返します。

寺社勢力はあまりに強いので呑まざるを得ないのですが
いくらなんでもというときに、拒否しちゃったから大変

寺社には手を焼いていた他の武士たちも応援してくれず
自分に火の粉が振りかからないよう知らんぷりするだけ
解決までに5年の月日がかかります。

義満はというと
その間、何度もやめたいという細川頼之を説得
まだまだ勉強中ですから

この間の細川頼之の政治を見ながら
寺社勢力に対する苦労は反面教師ともしながら
5年後から、徐々に義満は政治に携わるようになっていきます。

おそらく義満が学んだことのひとつは「味方づくり」
何かをしようとすると一人では無理
この混乱期において敵の懐に入り込まなければ何も進まない

武士対公家という大きな対立構造ではなく
公家社会に溶け込もうとした
北朝の廷臣日野家から、正室業子(なりこ)を迎え入れる
これをきっかけに、公家社会の様々な行事に積極的に参加
ややこしいしきたりも覚え、公家社会に受け入れられていく。

一旦公家社会に受け入れられると、今度は次の段階に入る
公家社会の支配
本来、幕府にとってみれば、武士は家臣であっても、公家たちは家臣ではない
にも関わらず、公家たちをも直接支配していく

なぜそんな事が可能なのか
それは、公家社会にとって大きな意味でメリットがあったから

二条良基という野望を持った人物がいた
南北朝のゴタゴタで公家社会の本来の有り様は崩れに崩れていた
二条良基の野望とは、公家社会を建て直すこと
義満の思いとピッタリと重なった。
手取り足取り、徹底指南
義満もそれに対応した

生半可な公家たちには太刀打ちできなくなった
「嫌な奴だけど言うだけの事はある」状態
北朝はそもそも三種の神器さえない状態で始まった訳で
現実的に朝廷らしく公家らしくなっていく

同様なことを厄介者であった寺社勢力にも行っていく
直接的に仏神事に携わり
誰よりも詳しくなる
寺社勢力のキーマンたちに、義満には敵わないと思わせ
メリットも与えて取り込んでいく
あれほど激しかった強訴がピタッとなくなる

そんなベースを作り上げた義満
続きは次回といたしましょう

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

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