思い立ったが板橋区

今日は、セキセイインコのくうちゃんの病院が12時から
結果は、全快とは行かないまでもお薬を服用しながら様子を見ましょう
まずまずで良かった良かった。

帰ったらカミさんが
スカイツリー行くんじゃないの?
本当は昨日行った訳ですが
せっかく勘違いしていますので
うん、行くよ

さあ、これからお出掛けってどこ行くよ
もう1時半

例によって、行きの電車の中で色々検索しつつ行き先を決める、無計画お出掛けスタートです。
西武池袋線の電車に乗ると眠たくなってうとうと寝ちゃいました。
あああ、何も決まっていないのに池袋着いちゃったよ

そういうと、以前板橋宿に行くときに、板橋区のサイトからウォーキングコースを検索したなあ
そのうち一つ行っただけだから残り残っているぞ
ええっと、検索っと
考えている余裕無い
最初のこの赤塚コースでゴー
大仏があるってほんとかなあ

スタートは成増
池袋から、準急で一駅、10分くらい。
既に2時半
こんな時間からこんな本格的コースに行こうとしますかね
アホですね

赤塚氷川神社
最初は赤塚氷川神社
おっと、その前にいきなりの感動

乳房榎ーっ


目白の南蔵院に行ったとき、怪談の落語で有名な「乳房榎」のゆかりの地であり
乳房榎そのものは、板橋の赤塚にあると書いてあった。

いつかそちらも行ってみたいなあと思っていた。
それが、こんな無計画お出掛けのしょっぱなに出会えるなんて。
生きていて良かった。

赤塚氷川神社は、素晴らしい神社だった。


なんと富士塚まである
富士塚ファンとしては、たまらん

高いぞ

赤塚城址公園
次は赤塚城址公園か

目の前にすごい規模の森が
ひょっとしてあれか?
どこから回り込めば良いんだろう

ふと、横を見ると、茅葺き屋根
何だろう、行ってみよう
行ってみて理由が分かりました。
板橋区郷土資料館

参ったあ
正直、全く時間がない中で、東京大仏とやらを見れれば良いかなと思っていたのに
こんな想定外の大物があろうとは

いやあ、面白い
いきなり新藤楼玄関
ここか、ここにあったのか

板橋宿のウォーキングしたとき
観光案内センターの案内のおじさんと盛り上がり
そのおじさんが新藤楼という遊廓の玄関がどこかに移築されたと言っていた。
長らく行方が分からなかった昔の友達に会えたような、そんな気分

中に入ると、続々と昔の友達がやって来る
加賀藩下屋敷の乗り物
火薬の圧磨機圧輪記念碑
縁切り榎の絵馬
和宮の東遷の宿場見取り図
みんなあの日の仲間たちだ
そして、室町時代の豊島氏や千葉氏等の話

茅葺き屋根の古民家も色んなところで色々行ったなあ

庚申塚の数々

ここの資料館
私が興奮するツボをようく分かっていらっしゃる。

赤塚城址公園
城址公園もいくつか行きましたが、すごいのも結構ありました。
今回はどうだろう。

こりゃすごい
大きな山です


長い階段を登りきると広大に広場が広がります

バッタ広場っていうのがあって、バッタがいっぱいいるらしい
そして、本丸跡

赤塚城は、室町時代の城なので
戦国時代以降のように天守閣があったりはしません。
千葉自胤(よりたね)が築城した
豊臣秀吉の小田原征伐で廃城になる

広大な梅林もあるので、その時期には壮観でしょうね

肝心の東京大仏がどうだったかは明日お話しします。

どこ行こう、そうだ!おでかけマップ

法然は、悪党の息子。

名僧シリーズ

鎌倉時代に入っていきます。

今までのところをまとめておきましょう。

仏教は、十三宗と言われています。
奈良時代から続いている宗派に華厳宗・法相宗・律宗。
法相宗は、孫悟空の友達の道昭
律宗は、中国からわざわざ来てくれた鑑真です。

平安時代は、出たっ 天台宗・真言宗、そして融通念仏宗がある。
天台宗は最澄、真言宗は空海でしたね。
融通念仏宗(ゆうずうねんぶつしゅう)については、良忍という人が始めるんですが
念仏というのをどうとらえるかなんで、このあとの浄土宗での説明に譲ります。

そして、鎌倉時代です。
浄土宗・浄土真宗・日蓮宗、時宗・臨済宗・曹洞宗

最後の江戸時代には黄檗宗(おうばくしゅう)が開かれる。

こうしてみると、十三宗のうち六宗が鎌倉時代ですから
いかに大きく華開いたが分かります。
まずは、その筆頭、浄土宗を作った法然から。

法然
梅原猛さんの「法然、親鸞、一遍」という本を読みました。
ものすごい数の古文書に当たっていて
通り一辺の解釈ではない独自の解釈をされていました。

一般的にはこう
法然上人の父親は美作国久米南条稲岡庄(現在の岡山県久米郡久米南町)の押領使・漆間時国(うるまのときくに)という人ですが、
上人が九歳の時に夜討ちにあって殺されてしまいます
その時、勇敢に立ち向かった法然少年は、犯人の目玉を射抜きます。
親を失った法然少年は出家し、数々の奇跡を呼んでいく。
四十八巻伝という本を元にしているとこうなります。

宗教の特定の宗派の開祖なわけですから、多少の奇跡話は付き物です。
ただ、もう少し事実に近いであろう書物も残されていて
それによると、親が夜討ちにあって殺されてしまうのは一緒でも
時期の前後関係が違う。

10歳で親が存命のうちに出家
その才能を見出だされ、当時の仏教界でのエリート集団、比叡山に推挙される。
15歳の時
比叡山に行くことを報告に行ったとき、父親に言われる

私には敵がいる
もうすぐ殺されるかも知れないので
その時は比叡山のどこかに葬って欲しい

予言のような遺言のような。
そして、その通りになってしまう。

実は、両親は、悪党と呼ばれていた集団に所属していた。
反政府勢力
今、我々が受ける言葉のイメージとは違うでしょう。
所属していた悪党が、テロリスト的なのかとか、犯罪的な事を行っていたかとかは
資料がなくて分からないのだけど
命が狙われていて、その通り殺されてしまった事は確か。

おそらく、真相は法然少年自体にも分からなかっただろう
資料からは分からないが、おそらく母親も一緒に殺された筈

人生観が変わるほどのショック
そりゃそうでしょう。
両親が殺されて、
ひょっとして、殺されてしかるべきような事をしていたのかも知れない。

私はこのまま比叡山にいることはできない。
父母の菩提を弔いながら
遁世の人(乞食僧。托鉢をしながら各地を巡り歩く)として人生を送ろう

師である叡空(えいくう)の言葉で思い止まります。

例え遁世の道に出ることが必要だとしても
まだその年齢であれば学問を身に付けるべき
そうすると、本当に自分が何をすべきか判断できる能力が身に付くから
それからになさい。

そこから、猛勉強が始まります。
誰も不可能なほどの書物やお経を読み
考え続けます。

両親は救われるべきなのだろうか
阿弥陀様は救ってくれるのだろうか
両親が救ってもらえるとしたら
どうすれば良いのだろうか

生涯自分に問い続け
それを形にしていく
それが、生きる意味だったのでしょう。

出された結論

悪人でも救われる筈
弟子の親鸞(しんらん)とともに作り上げた悪人正機説
親鸞も背負っているのがありましたので。

エリートにしか出来そうもない観念念仏(かんねんねんぶつ)という方法論ではなく
南無阿弥陀仏と唱えるだけの、口称念仏(くしょうねんぶつ)という方法を全面的に押し出した事

口称念仏自体は、空也も源信も言っているし
観念念仏の補助的な方法論としては古くから用いられている。

でも、法然は悩み苦しみ
自分自身が答えを求める過程で出てきたものだから
庶民の心を打ちました。

お偉いお坊さんが、上から目線で行う説教とは訳が違う。
心底、どんな人でも救われなきゃ困る
誰でも出来る方法でなきゃ、ああそうですか、で終わっちゃう
一緒にやりましょう

世の中が変わりました。
庶民が目覚めたのです。

暇なんてあるわけない
そんなに良いことばかりしているわけでもなく
姑に「死んじまえ」とか心のなかで叫んでいる自分にだって
阿弥陀様は救いの手を差しのべてくれるらしい。

難しいことは一切分からないけれど
あの法然さんの言うことなら信じられる。

庶民の心の中に、仏教が広がり
それをきっかけとして、庶民のための鎌倉新仏教が様々な形を取りながら生まれていく。

始まりは、法然の、気持ち、でした。

次回、法然の作った浄土宗のもう少し内容的な事もお話ししますね。

索引はこちら
[名僧]シリーズはこちら(少し下げてね)

東京スカイツリーから、錦糸町へ

週末です。
お出掛けです。

今週は簡単に
このあと控えているウォーキングイベントの昼食予約場所を探すくらいにいたしましょう。

東京スカイツリー
ええっと、上野乗り換えか
じゃあ、その一つ次の上野のイベントの昼食場所も行っちゃいましょう。

上野公園ってあんなに人がいっぱいなのに皆さんどこでご飯にするのかなあ
予約取ってくれるところがなくて、結局反対側まで行ってOK

さあ、スカイツリー

いやあ、何度来てもすごいわこれ
こんなもんよう作ったね

ネットで検索すると、観光案内所があるとあった。
行ってみよう。
船の形していて、ローラー滑り台がある

ひっきりなしに子供が滑っていて大人気

大きな凸面鏡もある
何かというと、スカイツリーをバックに自分の写真を撮りたい人用
スカイツリーってでかすぎるから、
スカイツリーバックに写真撮ろうとしても、どうしても入りきらない

賢いね

スカイツリーのすぐ横を流れているのが、北十間川
水が吹き出していて、何だかアート

おおっ。鯉のぼり
すごい数

予約取りも成功したので
ちょっと巡ってみようか

ネットで検索すると川に映った逆さツリーが撮影出来るポイントがあるみたい
行こうとは思ったんだけど、
若干風が強く、川面がさざ波立ってうまく見えそうにない
途中で、
あっここも、映っているぞ
ここだってことにしよう

また、引き返し
スカイツリーに近づく
真下から見上げると、思わず吹き出してしまうほどのすごさ
分かっていても、さっきもそうであっても、また吹き出しちゃうんだから余程です。

帰りは、大横川親水公園を通って錦糸町まで帰る事にしよう

あっ、業平橋だ

とうきょうスカイツリー駅は、業平橋駅と言っていた
在原業平です
ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは 
古代から現代に至るまでで、最も男前です。

伊勢物語の主人公だと言われていて
東下りの章で、京都から関東に下ってきた事になっている。

父方なら平城天皇の孫、母方なら桓武天皇の孫という血筋の良さ
でも政争に敗れて、在原の姓をもらう

自分はもう、京には不要な人間だ、と関東に下ってくる訳です。
はるばる江戸まで来て、大きな川が流れていた

これは何という川じゃ

隅田川と申します。

川って、越える度に都から遠くなる事の証明なので
気持ちの整理がなかなかつかない。

川の渡しが
乗るんですか、乗らないんですか

はい、乗りますけど

あっ、あの鳥、
都では見たことのない鳥だけど
何と言うのじゃ

都鳥と申します。
(今のユリカモメです)

おおっ、都鳥とな

名にし負はば いざこと問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと

(都からここまで、飛んできたのだろうか。そのような名がついているのなら、訪ねてみたい、都鳥よ
私の想っている人は、今も生きておろうか、いや亡くなってしまっていようか)

ということで、
ここは業平橋で
隅田川には、言問橋もあります。

大横川親水公園です

家康が、本所地域に縦横に巡らせた、運河
南北方向が横川
東西方向が竪川(たてかわ=縦)
今は、地図が北が上なので逆のイメージですが
江戸城から見ると、横は南北

江戸城寄りの大きな横川が大横川、その次の大きいのが横十間川
大横川は、大活躍しましたが、
低い地域なので、洪水の心配とかもあり、竪川より北側は埋め立てられちゃいました。

でも、大横川の跡は残したいよね、ということで
公園になった。
水の流れる親水公園

長い長い公園です。
あんまり長いのでいくつかのゾーンに分かれるんだけど
それぞれのゾーンで趣が違う。


吊り橋があったり

こんなワイルドな感じもあり



桜越しのスカイツリー

菖蒲園だろうか


この四角いのも良いなあ

最後は、おそらく噴水とかも出る近代的な感じ

親子3人で来ていた幸せそうなファミリー

3~4歳くらいの小さな坊や
お父さんとお母さんが物陰に隠れてちょっと意地悪
みるみる顔が曇っていって
ばあっ
大喜び

公園ってこういう若いファミリーの幸せそうな様子が大好き
こっちも幸せな気分になります。

最後は錦糸町駅前のでっかいオブジェ越しのスカイツリーです

どこ行こう、そうだ!おでかけマップ

[赤穂浪士]6 大高源吾は有名芸能人

赤穂浪士シリーズ6人目です

大高源吾
表門組 玄関固め 膳番元方・腰物方・金奉行 32歳

有名人という意味では、特に当時は、堀部安兵衛に次ぐ有名人。
俳句で有名なんです。

「子葉(しよう)」という俳号で、本を2冊を出しています。

何と言っても、元禄文化の頃ですから
芭蕉を中心にして、俳句が大フィーバー。

四十七士にも、俳諧三羽がらすといって
「子葉」「涓泉(けんせん)」萱野三平、「竹平(ちくへい)」神崎与五郎

でもやっぱり子葉が有名かな

茶道でも有名で、そんなこんなで人脈が広い。

12月14日に吉良上野介(きらこうずけのすけ)の屋敷でお茶会がある、
という貴重な情報を入手した一人
お茶会の情報なら任せとけ

平安時代から続く名門である大高家に生まれます。
さすが文化人。
おなじ赤穂義士である小野寺幸右衛門とは兄弟で
小野寺十内、岡野金右衛門とは親戚。

神文返し
人間として一味違うので、大石内蔵助からの信頼はとても厚かった。

貝賀弥左衛門とともに、神文返しという重要な役目をおおせつかります。

一旦、赤穂の武士たちは、大石内蔵助の指示に全て従いますという誓約書(神文)を提出しています。

御家再興の道が絶たれた時点で、討ち入りに一本化
となると、完全に自分達は切腹決定になるので、
空気に流されるのではなく本当にやる気のあるものにだけ限定したい。

ひとつ芝居を打ってくれ

内蔵助殿が申すには、御家再興を願っていたけれど完全にその望みは絶たれた。
そこで、計画は取り止める。
それぞれも、勝手次第に致してください。
このため、この神文はお返しします。

その時、なんだとおっ、内蔵助の腑抜けがっ
と怒り出した人にだけ

実はさっきの嘘!
と本当の計画を切り出す。

宝井其角(たからい きかく)という俳句では超有名人と、
討ち入り前日に街で偶然に出会った。

宝井其角
年の瀬や 水の流れと 人の身は

さすがですね。
このクラスになりますと、こんにちは、というかわりに
俳句で話しかけます。

子葉
あしたまたるる その宝船

すかさず大高源吾も下の句で返します。

あれれ、あしたまたるるはまずいんじゃないの?

大高源吾ってそんな繊細な人ではあるんだけど、体は四十七士で一番でかい

吉良上野介の屋敷へ一番乗りしたのは大高源吾です。
塀を乗り越えた。
薙刀(なぎなた)のような長太刀で戦いました。

辞世の句
梅で香む茶屋もあるべし死出の山

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