[宇宙]木星観光で癒されるぅ

「宇宙の歩き方」からのシリーズ
木星観光に行ってみよう!

木星
木星観光へようこそ

木星ってガス惑星なので、着陸はできないんです。
その代わり、色んな見処を回りますので、
楽しんで帰ってくださいね

まずは、やはりこの模様でございましょう

ガスの流れで出来る渦、ゆっくり変わっていくその模様を眺めていると
地球でのうさを忘れさせてくれます。

あれが、大赤班
巨大な台風だと言われています。
命が惜しいので、近づくのはやめて、ここから眺めることにいたしましょう

300年前に発見されたんですが
ずっと存在しているんです。
不思議ですね

大赤班から離れれば、ガスの中に入れる事ができます。
シートベルトをしっかり締めて、つり革にも捕まってくださいね
気流がすごいことになりますので
気分が悪くなるような事があれば、右手をあげて合図してください。
大丈夫。今日の宇宙船の運転手さんは、この道15年の大ベテラン
おそらく

輪っか
さあ、次のスポットに参りましょう
はいこの角度から
見えますか、輪っか
土星ほどではありませんが、薄い輪があるんですよ

ボイジャーが発見したんですよ

衛星巡り
次は衛星巡りと参りましょう
七福神巡り同様、ご利益があると言われています。
木星には4つの衛星があるんです

それぞれ味わいのある、とても良い衛星です。
まずは、水星よりも大きい、ガニメデ

次に、水星と同じくらいの大きさのカリスト
きれいでしょう

もっと小さくて月と同じくらいの、イオ
見るたび、美味しそうって思っちゃいます。

巨大な火山があるんですよ
硫黄の溶岩を数100km上空まで吹き上げている姿が発見された事があるんです。

エウロパ
今日のメインエベントでございます。
最後のエウロパに上陸いたしましょう

月と同じくらいの大きさです。

氷で覆われていて滑り易いので気をつけて下さいね。
浅田真央ちゃんが一緒なら良かったんですけど

厚さ3km以上の氷で覆われていて、その下は海です。

生物がいるんじゃないかと一時は大騒ぎ
深海魚的なのがね

まだ私は出会っていないんですが、今日こそは
潜水船で、探しましょう。
みなさんも頑張って目をこらしてくださいね

ああああーっ

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[首相]14 加藤高明。三菱はおぬしにのっとられてやろう

首相シリーズ。14人目の首相です。

「凛冽の宰相 加藤高明」という本を読みました。
ひとごととは思えない、この人の人生
なんで?なんで?
の連続でした。

加藤高明

幕末の尾張に服部家の次男として生まれる
父は代官所勤めだったから恵まれていた

9歳で明治になる
13歳で加藤家に養子に出る
名前は総吉だが、どうもダサい
高明に変える事にした。
服部総吉は加藤総吉へ、そして加藤高明に変わった。

高明の性格は傲慢でわがまま
あまりにも何でもすぐに分かってしまうからかも知れない

明治の時代は洋学だと、名古屋洋学校に入った。
幸運だったのはフランス人とイギリス人の二人の外国人がいたこと
特にイギリス人のアレキサンドルが大好きになり
数少ない生徒だったから、ほとんど個人指導のようにして
生きた英語をみっちり学ぶことが出来た。
英国と深い繋がりの高明の人生がここで形づくられた。

高明の能力と時代からして、上京は自然な流れとなった。
東京外国語学校に入り、次に東京開成学校に入った。
在学中に、東京開成学校は東京大学と名前が変わるから
高明は自動的に東京大学第一期生となった。
学部が4つに分かれ、法学部に身を置くことになった。
そして何と首席で卒業となる

三菱
東京大学を首席で卒業
普通に考えると官界入りだが、入ったのは郵便汽船三菱会社だった。

大喜びしたのは岩崎弥太郎
この時すでに大会社ではあるが、成り上がり
東京大学の首席卒業生を迎えられるほどになったのだと感慨深いものがある

晩餐の席で加藤の顔をまじまじと見つめた。
とても日本人離れした尋常ではない顔つきがとても気に入った。

三菱はおぬしにのっとられてやろう

加藤は旧来の前垂れをかけ、ひたすらに働いた。

そんな働きぶりに益々上機嫌な弥太郎
全国津々浦々の出張所を早いサイクルで巡っていく
ただ、商人相手の折衝はうまくいったと言えない
理屈が多すぎる。腰が高い。
それでも随所に、やはりものが違う、と思わせるところがあった。

良くやってくれた。おかげで将来が開けてきたよ。
お礼にわしの時計をやろう

金時計を差し出した

ありがたいことですが、汚れた作業服に金時計は似合いません。
金時計を持つにふさわしくなるまで、どうか預かっておいて下さい。

その言葉が気に入って、岩崎弥太郎は洋行させる事にした

海運業の本場イギリスで2年間みっちり勉強してこい

イギリス
イギリスの海運は学ぶべきことが多く忙しい毎日だった
そして、さらに色んな事を身に付けた。

イギリス人的ものの見方
それは、元々の加藤の気質に会っていた
日本人的な人に合わせる事が苦手な加藤にとって
とても住みやすく、加藤の気質を増長させる事に繋がったかも知れない。

そこで出会ったのが、後に日本の外務大臣として大きな成果をあげる陸奥宗光(むつむねみつ)
加藤の一本気なところが気に入ったようで、よく政治論を戦わせた
もちろん、加藤はその時点では、自分が政治家になるなどとは夢にも思っていなかったのだが。

ある時、訃報が届いた
岩崎弥太郎が急死

加藤は自分の立つ大地が崩れる思いがした。

帰国
帰国することになり日本へ
三菱は弟の弥之助が継いだ。

郵便汽船三菱会社は、共同運輸会社と合併し、日本郵船になった。
社風の全く異なる二つの会社
大変苦労するが、加藤が牽引役となり何とか乗りきることが出来た。

そんな時、縁談話が出た。
岩崎弥太郎の娘、春路(はるじ)と高明

今後「三菱の婿」とのレッテルがついて回るだろうし
自分の人生として、三菱に骨を埋めるしか選択肢がなくなる
どうにも気乗りがせず、陸奥宗光に相談
陸奥は「世評がどうした。なんなら嫁と一緒に外務省が拾ってやっても良いぞ」
とのけぞって笑った。

結果としてとても仲の良い夫婦になる

外務省
結婚して9ヶ月後
高明は外務省職員としてのスタートを切る

理由は「三菱の婿」
思った以上にこの波紋は大きかった。
完全に無難な人生のレールが目の前に敷かれた。
それが、どうにも耐えられなくなった。

お父上が存命なら、真の心をお伺いしたいことがある

さあ、どんなことなのでございましょう
たぶん、父は私とよく考えが合いましたから
あなたの思われることが父の真意だと思いますわ。私は賛成ですから。

弥之助に相談するといともあっさり許してくれ
逆に戸惑ったほどだった

当時の外務大臣は井上馨
最大の課題、不平等条約改正のため、鹿鳴館を作り、欧風文化をアピールしようとしていた。

春路としては得意分野
高明に舞踏のレッスンをつけたが
結果的には一度晴舞台に出席しただけで
世論に鹿鳴館方式は否定され、姿を消した。

条約改正に失敗した、井上馨のあと、首相の伊藤博文が兼任
その後、大隈重信が外務大臣になる

その大隈重信がどうしたことか、やたらに加藤の事を買ってくれた。
秘書官に大抜擢してくれる。

条約改正の下案づくりを担当することになった。
ねじり鉢巻きで、朝も夕もなく取り組む。
大隈が交渉する時の通訳も、加藤だった

アメリカが改正案を飲み、ドイツやロシアとも感触をつかんだ
いける!

ところが、極秘に進めていた改正案が、英国のタイム紙にすっぱ抜かれた。

実は、一部、そこだけ見ると問題がある部分がある
それを突かれた。
さらに、その後詰めて、総合的に解決出来る筈だった。
まだ今はまずい

大隈がやり玉に上がる
爆弾が投げつけられた。
大隈の右足がぶっ飛んだ。

大隈の入院中
黒田首相以下、大隈以外の大臣全員が辞表を出してしまった。

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続きはシリーズの次回ね

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[天皇]70 後冷泉天皇。皇太子を巡るせめぎ会い

天皇シリーズ

後冷泉天皇
1045~68年

後朱雀天皇は、臨終の時、腹違いの弟、尊仁(たかひと)親王を大切にせよ、と言い残した。

後冷泉天皇のお母さんは、藤原道長の娘の嬉子(きし)
関白の藤原頼通としては自分の娘ではないので、外祖父ではないが、外叔父
まあまあなんとか。
でも、尊仁のお母さんは禎子(ていし)内親王
道長と一番折り合いの悪かったあの三条天皇の娘。
外戚関係が無くなってしまう。

でも、頼通側に手立てがなかったため、尊仁親王が皇太子になるのを許す。

そのうち何とかしよう作戦

現実に、三条天皇の息子が皇太子になったあと、プレッシャーをかけつづけ
本人に辞退させた実績がある

切り札は頼通の娘、寛子
後冷泉天皇に入内させる

男の子を生んでくれ、生んでくれ

願い続けるも男の子どころか、女の子も生まれない

しびれを切らせて、頼通の弟教通(のりみち)も娘を入内させる

どっちかで何とかなれば作戦

よっしゃ、生まれた!

ところがすぐに亡くなってしまった
ナンタルチア

その隙に、勢いづいてきたのが、摂関家ではない藤原氏
巻き返すチャンス
藤原北家閑院流(かんいんりゅう)公成(きみなり)の娘、茂子(もし)が
皇太子の尊仁親王に入内し
見事、男の子を出産

尊仁親王は次の天皇、後三条天皇であり
生まれた男の子は、その次の白河天皇です。

後冷泉天皇は結構長く在位しましたが、結局皇子を生むことなく、亡くなりました。
タイムアップ

摂関家の外戚による黄金時代は終焉を迎えるのです。

前九年の役
後冷泉天皇の在位期間に大きな出来事は、前九年の役
これで、後に源頼朝が出る河内源氏が力を持つようになった

源氏と平家のばくっとした流れを言うと、
平忠常の乱、前九年の役、後三年の役という三つの戦いで、グッと河内源氏が力をつける
源頼信、源頼義、源義家の三代

平将門を破った平貞盛の直系が伊勢平氏と言って、後に平清盛が出るんだけど
このあたりまでは鳴かず飛ばず

源義家の次が、義親(よしちか)
これがバカなことをして、平正盛が追討使を命じられ成功
ここから、勢いが伊勢平氏に移ります
平正盛、平忠盛、平清盛の三代

この大きな流れを踏まえつつ、河内源氏の話をします。
平忠常の乱の話もしておきましょう。
平将門の乱の時の、平良文が生き残っていて、その系列の平忠常
朝廷に対して反乱を起こします。

これを見事に制圧したのが、源頼信

やるじゃないか
一気に大出世

そして、前九年の役です。

東北で安倍氏が力をつけており、南下
朝廷は、こりゃ危ないってことで、源頼義に追討使を命じます。
源頼義はお父さんの頼信と一緒に平忠常の乱を制していますのでね。

でも、安倍氏がとっても強くて大苦戦
最後の最後に、同じく東北でとっても強かった清原氏が応援に回ってくれ
からくも勝利を納めます。

ほぼ、清原氏の手柄なので、清原氏が大出世
源頼義もちょこっと出世
この時、源頼義の子、源義家は大活躍していたので
義家は大出世。
あの八幡太郎義家です。

東京をウォーキングしていて、この源義家って実に多くお目にかかります。
関東で大人気だったんだなと分かる
源頼朝って鎌倉幕府を開いて、超有名ですが
室町時代以降の足利や新田や木曽や武田は源義家のあと、頼朝より前に分岐しているので
武士の大本は義家だってことになるのでしょう。

義家については、白河天皇の時にまた書きますね。

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[植木等]2 小学生が檀家を回ってお経

[植木等] 物語の始まり
の続きです。

子供の頃の話

栗谷
困難な方を選んだお父さんの徹誠、家族で行ってみるととんでもない田舎
三重県多気郡荻原村大字栗谷小字栗谷(現在は同郡大台町)の常念寺
等は4歳から。
自然豊かな田舎暮らしが楽しかったようですが。

引っ越した後も、徹誠は水平社や労働運動の集会に行った
たまに檀家を集めて話す説教は「自由と平等」
横に置いた仏像を物差しでぺちゃぺちゃ叩きながら
こんなものは何の役にもたちゃしない

等も小学校に上がる前からお経を教わる
檀家回りにも連れていかれるようになる

学校でも人気者
関西弁でいうところのおちょけ
人前でちょけて、笑ってもらうのが大好き

5年後、度会郡四郷村大字朝熊区(現在の伊勢市朝熊町)の三宝寺に引っ越す
その地域の部落解放運動が大変になっきたというのが理由

檀家を集め

私は死人の供養に来ましたが
同時に、生きている人の良き相談相手にもなる予定です。
お互い友達同士として、何でも相談に来てください。

さらに2年後、日中戦争が勃発
徹誠を含んだ、部落解放運動のメンバーが治安維持法違反ということで一斉検挙された。
突然、お父さんがいなくなった。
等は6年生。号外を広いその中にお父さんの顔写真があった。

お父さんは何か悪いことをしたんだろうなあ
お母さんに聞くと、お母さんを苦しめる事になりそうで聞けなかった。

勇気を振り絞って、檀家の人に聞いてみた。

お父さんが逮捕されたの知ってますか

知ってるよ

何したんですか

戦争に反対したからだよ

えっ、
戦争はやらない方が良いんですか?みんなやれやれって言ってますけど

そうだなあ
やらない方が良いけど、やらない訳にはいかないんだよ

等は、子供心に考える
やらない訳にはいかないんだったら、反対って言っても仕方ないじゃないか
変なお父さんだなあ

徹誠は反戦論者
檀家の人が召集礼状を受けると
戦争は集団殺人だ。卑怯だなんだ言われても絶対死んじゃ駄目だ。
なるべく相手も殺しちゃ駄目だ
と言っていた。

等は、学校で
キョーサントー、キョーサントーと言われる
キョーサントーって何なのかが分からない。

なにそれ

お金持ちはお金持ち、貧乏は貧乏っていうのをやめて
みんな一緒にするんだってさ

えっ、それは良いことなんじゃない
ちょっとお父さんを見直す。

とても長かった。
お父さんは、結局色んなところにたらい回しにされ、3年間も帰ってこなかった。
毎日、お父さんのところにお弁当を届けに行く

お父さんは刑務所で、お兄さんは名古屋の学校
仕方ないので、檀家回りは等がやる
だぶだぶの袈裟を来て、お経をあげる
お経は小学校上がる前から教わっていましたので。

よく覚えたねえ、えらいえらい
でも、あなたのお経じゃねえ

お布施を値切られちゃう。

お兄さんが、名古屋の学校から戻ってきている時にお葬式があった
お兄さんと一緒にお葬式
うまくお経が合わなくて、兄弟喧嘩
檀家から、こらこら、兄弟喧嘩しちゃダメでしょう、ってたしなめられる。

等はマイペースな性格なんだけど、お兄さんは問題児
問題を起こしては、親に心配ばかりかけていた

そんなお兄さんに召集礼状が届く
ニューギニア近くを航行中の輸送船に乗っていたお兄さんは
船もろとも、海の藻屑になった

戦死広報が届く前に一通の手紙が届いていた。

内地ではお母さんに親不孝なことばかりして、心配のかけ続けでした。
本当に申し訳ありませんでした。お許し下さい。お母さん、いつまでもお元気で

戦死が分かると、お母さんは号泣した

あんなに迷惑ばかりかけていたのに
死んじゃうと、こんなに悲しむもんなんだ、と思う

東京へ
お父さんの収監が長引くと植木家の家計はどんどん苦しくなっていった。
このままでは、等を学校に行かせてやれない。

お母さんは、等を東京のお寺に預ける事を決意
東京のお寺なら、等を学校に行かせてもらえる。

上京するときは、一旦お母さんも一緒に東京へ
銀座で白い帽子を買う。

これ、かぶりな

一緒に食事
何を食べたかまでは覚えていない。

お堀端を歩いて行って、鯉を見ているとき
帽子が落ちちゃった

お母さんが、頭をピシャーン

そういうことって良く覚えているもんです。

お母さんが戻るとき
汽車が離れて行くと急に悲しくなって、号泣

このあと、東京での暮らしは、シリーズの次回ね

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