[昭和歌謡]70 うそ。

昭和ヒット曲全147曲の真実シリーズです。

うそ
中条きよし
作詞 山口洋子 作曲 平尾昌晃
1974年

♪折れた煙草の吸い殻で
あなたの嘘が分かるのよ
誰かいい女 出来たのね 出来たのね


嘘は良くつきます。

言い訳めいたことを言いますが
嘘をつくかどうかより
どういう目的で嘘をつくかの方が重要じゃないでしょうか

相手を気遣い、無用な心配をかけまいとする
そんな嘘ですよ、私のは

おそらく

ところが、何なんでしょうね
この中条きよしの、うそでもそうですが
女の人の特殊能力はすごいものがあります。

ヤバイっと、とりあえず着いた嘘は、ことごとく見破ります

あっそうそう、言っときますが私は浮気はしたことありません。
もっとちっちゃな可愛いやつの話。
茶碗壊しちゃったとか、
プリン食べちゃったとか
隅っこまでは掃除していないとか
そういうやつ


相手を気遣う、良い嘘でしょ。

あれえっ
ここにあったやつ知らない?

ギクッ

えっ知らんで、何の事?
言ってる意味がよう分からんわ。

この最後のが余計ですね
これ言うときは、ほぼ嘘ついてます。

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西洋柊(クリスマスホーリー)

花カレンダー始めました

梅、梅、梅まつり

花カレンダーが大変です。
4月から始めたので、あと1ヵ月半
花が無い無い

最初から分かってはいたんですけどね。

咲いていない訳じゃないんです。
思った以上に、町に花は咲いている。
ただ、種類が極めて少ない。

今思うと、花が無い時期から始めていれば良かった。
そうすると花が無い時期も乗りきれたかも知れない。
花が多い時期に始めちゃったもので
今咲いている花、どれを見ても既にアップしちゃったものばかり。

で、考えたのが
梅だけで2月を乗りきる。

梅には色んな種類があるから
「梅」と1種類で終わらせるんじゃなくて
「梅 白加賀」「梅 舞扇」のようにいっぱいに分ける
今までも、細かい種類まで分かるものは別物としてアップしております。

そういうこともあって、昨日の日程に、
ウォーキングイベント「神田上水を巡る。小石川後楽園もね」
を入れておきました。
小石川後楽園は、梅の名所で、梅満開の梅まつりの時期です。
10日分位を撮ってくるぞっ

イベント
ところが、大失敗。

実は最初からほぼ分かってはいたんですがね
最近、神田上水がらみでいっぱいブログを上げていましたでしょう
気合いが入りすぎておりまして
喋ることが多い多い。

神田上水は、途中で小石川後楽園を通るという関係上
小石川後楽園もイベントコースに入っておりますが
小石川後楽園も、もう下見も入れると4回目でございますので
喋りたい事が多い多い。

小石川後楽園を過ぎた東京ドームシティの中に昼食の場所を
12:30で予約しておりましたが
梅園に着いた時点で、もう12:30
少し遅れるとの電話を入れようとしたんですが、うまく通じません。

仕方ない、梅園はさっとだけ見て
みんなで早足で頑張っていこう。

結局撮れた写真はこれだけ
白滝しぐれ

くれはしぐれ

大盃

あと、写したのは、名前が分かりません。
もっともっと、咲いていたのに

今日
せっかくの作戦がどうにもなりません。

今日は日曜日
カミさんは出勤なので、例によって、
職場まで車で送っていってね
良いよ

帰りがけ、車の中で
あそこ行くか

去年も同じ時期に行った、車で20分くらいの小金井公園
小金井公園に行ってきました。
梅が満開のはず。

まだ8:30位なので、公園の駐車場はやっていないかも知れません。
さらに言うと、公園の駐車場はまあ高い。
去年、小金井公園に桜を見に行ったときは、近くの紳士服のアオキに止めて行きました。

今回行くと、時間が早すぎて、駐車場には1台も止まっておりません。
これはさすがに良心がチクチクと
結局、少し離れたコインパーキングに止めて、いざっ

やったぁ
満開でございます。
来週くらいの方がもっと良いかも

撮りましたよ、撮りましたよ
紅千鳥

芳流閣

鴛鴦(えんおう)

舞扇

八重冬至

綺麗
上品

それにしても、なんでこんなに梅の名前は優雅でたおやかなんでございましょう
舞扇なんて本当に舞っている感じが確かにしますよね

古城の春

「古城の春」なんてすごいじゃないですか
これ古城の春だわ、って感じします

水心鏡

八重野梅

一重野梅

曙しだれ

品字梅に似る

「品字梅に似る」が梅の名前だなんて

白加賀

緋の司

きれいっ。こんな名前、花につけますか
プリムラジュリアンに聞かせてやりたい

満月

古城の春に似る

出ましたっ「似る」
古城の春に似ているけどちょっと違うって意味なんでしょうね
なんて控えめな名前なんでしょう。

月の桂

丸々、百人一首の世界です。

梅と桜は絶対にセットですね
梅を見てからでないと桜は見ちゃいけないんじゃないでしょうか。

桜に比べてとても控えめなのに
ひとつひとつに和歌の世界観がある

何とか、2月は乗りきれそうです。

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梅(白滝しぐれ)

花カレンダー始めました

[赤穂浪士]なぜ即日切腹だったのか

赤穂浪士シリーズ
[赤穂浪士]なぜ吉良家は威張っていたのか
に続く、第二弾になります。

刃傷事件
浅野内匠頭は、吉良上野介から数々の嫌がらせを受けて、腹に据えかねて刃傷沙汰
当時の将軍綱吉は、怒り心頭。
即日切腹を言い渡す。

ちょっとおかしいんじゃないの
喧嘩両成敗のはず

と、そういうことになってますね

史実を元にしているとはいえ、基本、忠臣蔵というお芝居ですから
当然、勧善懲悪をはっきりした方が良い。

でも、良く良く見ていくと
浅野内匠頭も、いくらなんでもそれは無いでしょ、ってことをやっています。

高家肝煎り
一つは前回言いましたね
[赤穂浪士]なぜ吉良家は威張っていたのか
上野介は上野介で一生懸命やっていた。
性格は良くないかもしれませんが、
性格が良くない奴はみんな殺せ、とはならないでしょう。

場所
場所が決定的にまずい。
江戸城の中でも、松の廊下の場所って、白書院という、将軍に謁見する場所の横の廊下
最も位の高い人たちが謁見する場所。

将軍に謁見する人達が控える控え室というのは江戸城内で、いくつかあるんだけど
殿席と言って、どの控え室を使えるかで
大名の位の順番が決まっていく。
みんなこれを一番気にしている。

一番位が高いのが御三家の控える控え室
それは、丁度刃傷沙汰のあった場所の横
こりゃあかん

江戸城内に限らず、公の場は全て
「鯉口三寸抜いたなら、御家は断絶、その身は切腹」なのに
なんでまたそこで。


輪をかけて、刃傷沙汰を起こした時が悪すぎる。
朝廷からの勅使を接待するためのプロジェクトチームな訳だから
接待に関わるとき

その中でいつかなんだけど
一番最終日
今日お帰りになるというその日
全てが台無しになっちゃったわけです。

とても嫌な奴だったも知れないけど、一緒の仕事ももう終わりなんです。
そこでもうちょっとだけ我慢出来ないってどうにも不思議。

そもそも、朝廷からの勅使ってそんなに大事なの?って思いますよね
江戸時代って将軍がやりたい放題

でも、ひとつだけ将軍にはどうにもならないものがあるんです。
官位です。

綱吉って極端なマザコン。

もと八百屋の娘だった、桂昌院(お母さん)が一番欲しかったもの
女性初の、従一位という官位
それは、朝廷から賜るしか方法がない。

勅使への接待に対してどうしても失敗する訳にはいかなかった。
高家肝煎りは良いとして、それ以外のメンバーも無難な選択をしようとした。
一回経験した者なら大丈夫だろう。
高家肝煎り以外は大名が順々に、というルールを曲げて、経験者を選んだ。
浅野内匠頭です。
その浅野が?

どうしても許せなかったと思います。

革命
でも、今まで言ったことは言わば小さな事。
もっと根本的な事があります。

革命の実現のために、即日切腹は必要だった。

徳川は武士
江戸時代は、武士が支配している時代です。
綱吉はそれを変えようとした。

180度の転換。
革命だと言って良い。

武士とは、人を殺すことで評価され、出世できる職業です。
もちろん、家康もそうだった。

天下統一がなって、平和がやって来ると様子が変わってくる。
四代将軍、家綱の時代になると
いわゆる武断政治から、文治政治へと変わっていった。
天守閣が焼け落ちても、再建しないと判断した。

そして、総締めくくり。

どうしてもこれだけは言えない、ということを
綱吉が文にして明確化した

「人を殺してはいけません」

武士が自己否定をした。
国会議員が議員定数を削減するより難しい。

そのあとに続く
「動物もね」
がクローズアップされ過ぎて、変な風になりましたが。

このお陰で、260年も太平の世の中が続くわけです。

その宣言をしたあとに
最悪の時と場所で、殺人未遂

あかんと言いましたよね
聞いてなかったんですか

物語としての忠臣蔵
松の廊下の刃傷事件は、全面的に浅野内匠頭が悪いと思います。
でも、私は忠臣蔵は好きだし、楽しんで良いと思っています。

分かった上で楽しめば良いんじゃないかと。

そして、みんなそんな事は百も承知なんじゃないかと。

討ち入り後、すぐにお芝居になったんだけどほとんど流行らなかった。
流行ったのは、47年も経ったあとの「仮名手本忠臣蔵」になってから

生々しい「事件」が、「物語」になる期間が必要だった。

嫌味な嫌な上司をみんな経験していて
あの野郎、殺してやりたい、と思ったことがある。
でも、綱吉やでーこんに言われずとも
「だからといって、殺しちゃいけない」
のは分かっている。

でも、物語の中で実現するなら。
スッキリするじゃないですか。

殺せなかったけど、その思いを引き継いだ
47人のメンバーが、1年半かけて実現する。
やったぁ

そうすると切腹だと分かっていても、
ひたすらに立ち向かう。
やっぱり泣けます。

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フクジュソウ

花カレンダー始めました

神田上水物語。春日与右衛門の優しい気遣い

神田上水物語。主人公は3人
神田上水物語。楽しい口喧嘩
の続きです。

春日与右衛門(かすがよえもん)
水道が橋を渡り、市中にやって来て、春日与右衛門にバトンタッチというところでしたね

与右衛門は若いけど、頭も良く経験豊富

よしっ任しとけ、で良いんだけど
ここが与右衛門の良いところ。
腰が低く、各所のプロたちに頼んで歩く。

どうかお助け下さい。

利根川東遷の伊奈忠次にさえも頼み、快く引き受けてもらった。

ここに、素人の試行錯誤が高度な専門家の仕事に取って変わった。
江戸の中をこんな感じの木で作った水道管が張り巡らされることになります。

地図にするとこれくらい

毎日のようにやって来る藤五郎や六次郎が
昨日も説明したけど、という初歩的な質問をしても嫌な顔ひとつせず
実物を見せながら丁寧に説明する。

藤五郎さんが言うにゃ、水は高いところから低いところにしか流れねえ
途中に低いところがあったら、とてつもなく深く掘らなきゃいけねえんじゃないかと

はい、その質問ですね
前もありました。
では、与右衛門に変わって、でーこんが説明することにいたしましょう。

途中に桝(ます)という井戸のようなものを作ります。

そうすると、一旦下がった水位を回復することが出来るから
ずっと深く堀り続けることなく、ノコギリの歯のように下げては上げ、下げては上げることが出来る
結局は、最初の流し初めの水位までは戻ってくれるから
こんなふうに下から上に管を上げることだってできる

枡は、そういう水位を上げる目的
水道管が交差するときのつなぎめ

汚れを沈殿させて、水を浄化させる
という3つの役割を持った優れた仕組みなんです。

実際に、汐留の再開発の時に掘り起こされたのがこちら

地下に潜った水道から水を汲み上げるときは、こんな感じの井戸から汲み上げます。

おう、でーこんとやら、ありがとよ
でも、説明の仕方は、
この前、与右衛門さんに聞いたときの方が分かりやすかったな

こらっ
分かってるんだったら、質問すなっ

開通式
さあ、工事は完了
今までは水の無い状態で工事していました
最初の神田川から分かれるところの蓋を外し
いよいよ今日、水を流してみることに致しましょう。
開通式ですね

理論的には大丈夫な筈ですが、ワクワクドキドキ

功労者、大久保藤五郎と内田六次郎も呼ばれました。

ありがとう、わしたちも呼んでくれるなんて。
感激で感激で。

おいおい、藤五郎さん、泣くのはまだ早いぜよ。

お二人には大事な役目をしていただきます。

ええっ
何かやることがあるのかい

はい
最初に流れてきた水の、味見をしていただきます。

ええっ
そんな大事な役目を?
全てお前さんの手柄なのに。

この日、江戸中大騒ぎ
歴史的瞬間を見ようと大勢の人が集まってきています。
弁当屋まで出て、さながらお祭り気分。

「今、堰が切られました」

ドドドッ
ドドドッ

六次郎の掘った上水を順調に進みます。
カーブしているところでは、ドンっとぶつかるものの何とかクリア
決壊する場所もなく進んでいきます。

そして六次郎の作った水道の橋を渡ります。

よっしゃあ

地下の木製水道管に潜り込みました。

枡へ
枡が満たされ、次の枡へ

三人が待つ水道井戸へ

来たーっ

与右衛門さーん

おーい、また泣きそうになってる
味見だよ、味見

おう

あああ、うまい
こんなうまい水は飲んだことがない

と、そのあと
キャーッ

女性の悲鳴が

見るとあちこちの地面から、噴水が噴き出している。

どうしたどうした。
与右衛門さん
これは一体

そうかぁ
水の勢いが強すぎたんだ。

とりあえず、止めよう。

まさか、強すぎて駄目なんて、考えても見なかった。

大丈夫、与右衛門さんの知恵があれば。
何か方法はありそうかい

そうですね
入り口の関口の堰のところに仕掛けを作るしかないでしょう
その前の神田川は、水の量が多いときもあれば少ないときもある
どんな時でも同じ勢いで水が流れ込むような。
すぐには思い付かないけれども

かなり時間がかかるということだな
わしゃもう年寄りだ。今日の事だけで十分。
良い思い出になったよ。
人生で最良の日だった。

やはり、かなりの時間がかかった。
十余年の日々。
それまで、ただ自然に分岐するだけだった関口の堰は
今で言うダムのような、大がかりな建造物になった。

その後、明治34年まで、300年近くの間、
関口の大洗い堰と名付けられた
水量調節機能の付いた堰は稼働し続ける。

再稼働の日
春日与右衛門と、内田六次郎は静かに手を合わせた。

藤五郎は天の上から見てくれている事だろう。

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センペルセコイヤ

花カレンダー始めました