山なら良かろう。なんだって辛抱できるわ。

今東京はえらいことになっています。

私は宅配寿司の会社という、社員が私一人だけの零細個人事業主だったから気持ちが良く分かる
頼むから騒がないでもらえないかと。

当時、O-157とか米不足とか、何かある度に売上は、ぼんっぼんっと減り、
過ぎ去っても元のところまでは戻らない

過剰反応じゃないかと思っていた
わが家には、4/25の長女の結婚式が風前の灯という重大問題がありますし

ところが、私の予想を遥かに超える状況になってきた

過剰反応ではなかったと言わざるを得ない
来週からうちの会社もテレワーク
会社にすら行けない

素直にお出掛けを自粛すべきだと、先週末おとなしくしていた。

辛い。辛すぎる。
図書館すら閉館

お出掛けしないと気が狂ってしまいそうになる

「素直」と「気が狂う」とを、どう折り合いつけるか
長期戦になるだろうし、平日すら外に出れない
自分の気持ちのガス抜きを何とかせねば

そうだっ。逆方向だ!

都心方向に行っちゃ駄目
素直に従うと決めましたので。

山に行こう

逆方向なら電車はガラ空き。
低山登山を4年ちょっと前にそこそこやったけど、よほど人気のある山じゃないと、
人とほとんど出会わない。

加治丘陵(かじきゅうりょう)
低山の本から、
よし、これだ!
家から一番近く、西武池袋線一本で30分くらいで最寄駅に着けちゃう

山じゃなくて丘なんですけどね

ありがたい事に、入間市がネットに加治丘陵ウォーキングマップをあげてくれていて
これがなかなか良いマップ


印刷してから出掛けましょう

西武池袋線、仏子(ぶし)駅スタート
山だと駅からさらにバスに乗って登山口の停留所まで、というのが多いけど
丘なので、駅から歩いて行けちゃう。
お手軽っ

おっと、弁当買うの忘れてた。
公園で遊んでいる子供の若くて美しいママに聞いたら、この先コンビニがないとのことだったので
慌ててコンビニを探し、弁当を買って再スタート

武蔵野音楽大学の横を通るんだけど、綺麗に桜が咲いておりました

登りもそれほどきつくなくすぐ終わり、あとは上がったり下がったり

案内標識がすごく分かりやすい
さっきのダウンロードしたマップとちゃんと連動していて
絶対に道に迷わない
すごいぞ入間市

石を積み上げてほこらが出来ている

山歩きしていると、こういうのを見つけるとやたらに嬉しくなる

探検の森休憩園地への矢印標識
行ってみよう
ちょっと登りです。
あずまやがあってベンチがあるだけだったけど、一休み

おっと素敵なオブジェがあるぞ

こんなのがあって、

山仕事の広場
その先に山仕事の広場というのがあった

広い広い芝生の公園


まさか丘の上にここまで広い公園があろうとは

子供がキャッキャキャッキャと大騒ぎしながら鬼ごっこ
無邪気な声を聞いていると、嫌な事は全部吹っ飛びます。

桜山展望台
目的地に来ました。

以前行った六道山公園もやっぱり丘だったんだけど、頂上にコンクリートの4階建てだったかの展望台が作ってあった。
それと同じ考え方

あれ?ここに展望台?って感じの
特に眺望が良いわけではないところに、どーん



六道山公園のよりも高い

なぜ桜山展望台というのか理由が分かりました。
ああ、今日来て良かった。

展望台の途中からは、目の高さに手が届きそうに桜があり
展望台の一番上からは、眼下に桜

この方式の良いところは、360度に眺望が広がるということ



山に登って私が頂上の眺望が良いところで決めている儀式
手を大きく回して深呼吸

せっかくだから、ここでお弁当を食べましょう。

出会い
お弁当を食べ終わった頃
ベンチの横に座ったおばさま

あそこの緑、先週よりずいぶん変わったわ

えっ、どこですか

あのあたりよ、緑が濃くなってきたわ

先週も来られたんですか

ええ、先週の土曜日にね

ここから、感動の会話に繋がっていきます。

私は、何のためにウォーキングしているか
歴史の現場に触れるとか
美しいものを見るとか
色々あるけれど
強く強く、良かったなあ、と思うのは、人との出会いがあったとき

今日はそんなことがあるとは予想だにしていなかった。
わざわざ人がいないであろうところを探して、接触しないようにと思って来た訳ですから。

楽しかった
いっぱい喋った。
入間市の近所の人らしい
ちょくちょくここまで散歩に来るそうです

私がウォーキング同好会の話をした

あらそうなの?

私も歩こう会に入っていたわ
あの山のね頂上近くまで行ったのよ
でも、最近は少し億劫になってきたの
90ですもの

えええっ

仰天した
全くそう見えない
90歳と言えば、私の父さんの歳と同じ
父さんも若くてシャキシャキしているから
まあ、あり得るのか

習い事を色々しているのよ
全部中止。やりきれないわ
ヨガとか、俳句の会とか、もっと色々
早くどっか行ってくれないと。

長く生きてるけど、こんなの初めてだわ

ここから眺めてると何事もないようにしか見えませんけどね
私の親父も同じ90ですけど戦争はギリギリ経験ないって言ってました。
予科連は行ったけど、出兵の手前で終戦になった
戦争と比べるのは変かも知れませんけど
今回の事は、戦争みたいなイメージなんでしょうかね

もう、何も無いところから始まったの
何もよ
私は、なんだって辛抱できるわ

(ずしんと来た)

物がないことだって、飢えだってね

(恥ずかしい
やれ、過剰反応だなんだと考えていた自分が。
なんだって辛抱できるわ、って
そういう人がここにいる)

良かった。思いきってここに来て。
導いてくれたのかも知れない
なんだって辛抱できる
おそらくそうだ

やっぱり、人間は会話しなくちゃだめだ
すごいよ。すごい人がいるよ。
特に有名な人じゃなくっても
おそらくゴロゴロいるんだ。
会話を控えましょうだなんて、やっぱりおかしいよ

帰り道でもう一度会った

せっかくだから、マキノスミレを見ていってね

案内してくれた。

植物学者の牧野教授が発見したすみれで絶滅危惧種らしい
ここでしか見れないらしい


縄が張ってあって踏みつけられないようにしてある

先週来たときはなくてね
もう見れないのかと思ったんだけど今日咲いていたのよ。
感激だわ。

そのあと、また別れて、先に進んでいたら、縄も張っていないところにマキノスミレが咲いていた

追い付いて来るのを待って

ほら、ここにも咲いていますよ

えっ
ほんとだあ

おでかけマップ

[明治]岩倉具視。やっぱりちょんまげ切るね

明治シリーズ
三条実美を話しましたので
タッグを組んで頑張った、お公家さん代表、岩倉具視(いわくらともみ)と参りましょう

岩倉具視

出ました。500円札おじさん
2種類あるんですって
B札

C札

私の記憶は圧倒的にC札

岩倉具視は、中級公家の堀河家の出身
岩倉家に養子に入るが岩倉家とてあまり変わりはない
貧乏生活が続く。

関白・鷹司政通へ歌道入門するが、ここから飛躍していく。

大きく浮いたり沈んだりを繰り返すが、公家の中では最も中心になって尊皇、倒幕運動に関わっていく

明治維新
明治維新のありとあらゆる改革に関わっていく。
公家としての格は三条実美に敵わないので、三条実美の上に立つことは最後までなかったけど
実質トップと言って良い

議定、副総裁、輔相、右大臣と色んな名前に変わるが
常に実質トップは変わらない

岩倉使節団
やはり一番大きいのは、岩倉使節団
この写真は何度も見ます

左から、木戸孝允、山口尚芳、岩倉具視、伊藤博文、大久保利通
超大物ばかり

真ん中の岩倉具視だけがちょんまげ姿の異様さは際立っています。

明治4年から明治6年まで。
一番大事な時期にこれほどごそっと中心人物がいなくなるって
よくもまあ大胆な決断をしたもんだなあと思います。

ただ、お陰で留守組は自分達で学制改革、税制改革、徴兵制などを手掛けて
急成長し実力をつけます

留守組トップは三条実美、続いて西郷隆盛、大隈重信、井上馨、そして渋沢栄一

少し前に断髪令が出ています。
ちょんまげを切っても良いよ
切りなさいではなく、義務だったのを解除

岩倉具視は断固拒否
日本人の誇りだ、切ってたまるか

アメリカを皮切りに、ヨーロッパも回るんだけど
外人さんたちは、ちょんまげなんて見たことないので
岩倉具視は一番人気でほくほく

ところが
息子も連れていっていたんだけど
息子が
お父さん、バカにされてるよ

えっ、そうだったのか
慌てて、シカゴの散髪屋さんで切ります。

一番の目的は、不平等条約の交渉
アメリカに渡ってすぐにビックリ仰天

チョコレートやビスケットといった食品までも工場で大量生産しているのをみて
こりゃもう話にならん
早々と交渉は諦めて方針転換

条約の更新ですが
我々、視察させてもらって勉強し、近代化しようと思っておりますので
延期してもらっていいでしょうか

延期を取り付けるのに精一杯

特に岩倉具視は、鉄道に驚き
帰ってから、特に鉄道の立ち上げに尽力することになります。

征韓論
日本に帰ってみると、留守組、西郷隆盛の征韓論で盛り上がっちゃってます

諸国を回って大きくショックを受けた使節団組は
今戦争?とんでもない
全然やるべきことがちがう

岩倉具視と西郷隆盛が大喧嘩
一旦正式に西郷隆盛の方が勝利を納めたのに
三条実美が、二人の喧嘩の板挟みになって、ノイローゼになり、ちょっと休憩
じゃあ私が代理を勤めますと宣言し
天皇に直接かけあって
正式に決まったはずの結論をひっくり返しちゃった

西郷隆盛はやっとれんと、下野
西南戦争へと続いていきます。

公家としては、三条実美と岩倉具視だけが特別に能力を備えていた
18年もの長期公家政権も
岩倉具視の死とともに終焉を迎えます。

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

[名僧]明治の廃仏毀釈の続き

[名僧]明治の廃仏毀釈で寺が絶滅?
の続きです。

経緯
経緯をまとめていきましょう

慶応4年3月13日、祭政一致の基本方針が宣言されます。
思想的に中心になったのは平田篤胤(あつたね)という国学者
神道が好きで仏教があまり好きじゃない

この人の意見が強く影響し、神祇官(じんぎかん)なる組織ができます。
神祇官は太政官(だじょうかん)という政府組織より上位に位置付けられます。

神社と寺院を分離し、仏教を潰せと言わないまでも
寺院を合併せよとか僧侶に還俗(げんぞく)せよとか
六項目でいやがらせ

強く抵抗したのが、浄土真宗。
西本願寺、東本願寺の働きを受けて
政府は方針転換

神祇官は明治4年に格下げになり、神祇省になり
さらに、教部省の管轄になります。

ただ、平行して、地方では廃仏毀釈の風が吹き荒れるのです。

言わば忖度(そんたく)
廃藩置県なんてことになると大変なので何とか中央のご機嫌を取りたい

廃仏毀釈と呼ばれる動きが最初に起きたのは佐渡
539ある寺を、80にまで減らし
廃止した寺の僧侶やその家族たちは80の寺にぎゅうぎゅう詰め
立ち退きしない寺は、大砲を撃ち込んで焼き討ちにすると噂が流れて大騒ぎ

それ以外にも、説法禁止、寺の新設不可、仏像仏具を金属で作っちゃ駄目、等々7項目のいやがらせ

これが他の地域にも広がっていく事になります。

最も過激だったのが富山藩
維新とともに、藩政改革をしようとし、40歳以上の藩士をクビにし
若い人を登用
31歳で大抜擢された、林太仲(はやしたちゅう)は張り切っちゃった
徹底的に廃仏毀釈
各宗派ひとつだけしか寺を認めず、他は全て廃止するとした。

現場は阿鼻叫喚だったとの文書が残っています。

教部省になると、行き過ぎた廃仏毀釈に歯止めをかける動きになります。
寺院の合併などは、中央で判断するので、地方では推進禁止

本願寺が頑張って、
仏教だって頑張るぞ

教院という教育機関を設けることになりました。
大中小の3つに分け
小教院は、全国の全部の寺院
中教院は、各府県
中央に大教院
最初は京都の金地院に置かれましたが、東京の増上寺に移されました。

教部省から、神道も入れてあげてよ
と言われ
仏教と神道の合同教育機関となり
次第に神道の方が強くなっていきます。

増上寺には、しめ縄が張られ、山門の前に大鳥居も出来ました。

ただ、神道の方の神官の説教は人気が無かった。
教えることに慣れてませんから

ついつい、仏教側の本地垂迹説を喋っちゃったりして
失敗した、間違えた。

右往左往しながらも、大きく言うと、祭政一致というのはあきらめ
信教の自由というのは打ち出します。

廃仏毀釈が5年ほどで収束したのはほっとします。

本願寺の頑張りというのはあるとしても
私としては二つの理由なんじゃないかと思っています。

ひとつとしては、全国の神社が反応しなかった。
それまでは、仏教に従属されられてきたので、せっかくのチャンスと言えるんだけど
私達は宗教じゃないし、と拒否反応を示しちゃった

中央ではそんなことおかまいなしに、国家神道というものを推進していき
最終的には戦争へと突入していく訳です。

おそらくそこにはズレがあり
今までにあった神社は、単に自然や先祖へ感謝だけ
何物も意図しなかった

だから、意図した神社はあとから作られ、元の神様たちじゃなく
明治神宮、乃木神社、東郷神社のように、人間を英雄として祀っていくものになった

もうひとつの理由は、外圧でしょう
黒船で開国を迫ったのは、日本を植民地にしたかった訳ではなく
貿易をしたかったんだと思うけど
もうひとつあるのは、キリスト教の布教

屈した基本が明治維新になったからには、キリスト教を大々的にと期待していたのに
日本の神様で行こうとした。

はあ?
ってところです。
こんなにお世話したげてるのにと。

ただ、キリスト教を強制的に信じなさいと言うわけにもいかなかったんでしょう
信教の自由にしなさいよと。

廃仏毀釈は諦めても
「天皇陛下は神様よ」という国家神道化は
お偉いさんがなんとしても進めようと、このあと色々やっていきます。

また、ちょこちょこ触れていくことにしますね

[名僧]シリーズはこちら(少し下げてね)

[天皇]44 元正天皇。結婚すら出来ない哀しき中継ぎ

天皇シリーズ

またまた女帝です。

元正天皇
715~724年

元明天皇の娘、文武天皇のお姉さん、次の聖武天皇からするとおばさんです。

元明天皇が
疲れたわ。あとお願いできないかしら
と、聖武天皇までの中継ぎ役を自分の娘に頼んだ

あくまでも中継ぎであることの確認をしての譲位

元明天皇が即位する段階では、聖武天皇は7歳
ちょっと無理

でも、この段階では15歳
元服も済ませているし、若干無理すれば、即位も可能だったはず。
おそらくかなり本格的な長期になるであろう聖武天皇の政権をどうイメージするかということ

この時点で、元明天皇は55歳
聖武天皇に譲るとなると、自分が太上天皇となって、ちょっときつい
元正天皇に譲るとなると、二人で分担しながら頑張ってもらえ、その次の譲位においても元正天皇が太上天皇となって補佐できる

うん。グッドアイデア
実際には、藤原不比等もいるので、政治面は強力に補佐してもらえる

数年なら頑張ってくれるよね

分かったわ

でも、最初から中継ぎだと分かっているのも辛いものがある
払った犠牲が大きすぎた
この時点で、元正天皇は35歳独身
女帝としては5人目だけど、今までの女帝は、その前の天皇の奥さんだったりお母さんだったり。
すなわち、既に既婚者
今度は、甥っこに譲るために自分は結婚できない。
もし、妊娠しちゃったりすると、話がややこしくなりますので。

ちなみに、平城京になってから二人目の天皇だけど
内裏って男子禁制です。
男性を見ることすら出来ないんですね

ひとりめふたりめは女帝ですので
訳の分からん男を近づけるな、ってことでしょうか
次の聖武天皇の時は、例えば奥さんに子供ができたとすると
それは絶対に天皇の子だと保証するため

男性が入ろうとすると、門の前で
「みかどのつかさ(姈司)」大きな声で二回叫びます。
姈司とはそういう役職の名前の事で、やはり女性です。

はいはい何でしょう、と出てきて、用件を聞きます。
ちょっと待っててね
と、天皇に、入れて良いかを聞きに行きます。

元号
元号も見ておきましょう
元正天皇の即位のとき、初めて天皇の即位を理由とした改元になります。
このあとは若干の例外を除き、天皇の代替わりで改元しています。
霊亀(れいき)です
霊亀3年に、元正天皇が美濃の国に旅行します。
養老の美泉に立ち寄ったとき、肌に傷があったのが治ったんです

あら治ったわ。すべすべよ
ってことで改元
養老(ようろう)です

大宝律令を改良した法律を藤原不比等が中心になって作るんですが
養老令ということになります。

養老7年には、三世一身法(さんぜいいっしんのほう)が発令されます。
当時、全国合わせても農地が百万町歩無かったのに、百万町歩の農地を開墾するという壮大な計画を立てた
農地倍増計画ですね。
そのため、天智天皇が考えた日本の土地は全て国家のものという大原則を変更
開墾した人からその孫まで、所有権を認めましょう。
どえらい方針転換ですね

倍増したんでしょうか
よく分かりません。
ただ、20年後には、
まだ孫は生まれていないだろうに、大幅な更なる方針転換を図るので
それほど効果がなかったのかも
墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいのほう)
やっぱりずっと開墾者の所有で良いことにするわ

「日本の土地は全て国家のもの」は完全に180度変わっちゃいました。

その後、元明天皇が亡くなってしまい
さらに、藤原不比等も亡くなってしまいます。

その次の世代の世の中になっていくのです。

[天皇]シリーズはこちら(少し下げてね)