「高輪ゲートウェイ」の本当の理由

ええええっ

山手線の新駅が「高輪ゲートウェイ」だとニュースで言っていた。

一般応募で、一番多かったのは「高輪」
そりゃそうでしょうね
高輪ですから
2位、芝浦
3位、芝浜
この芝がらみも分かります。
「芝で生まれて神田で育ち」が江戸っ子ですから芝の字は欲しいところです。
駅の西が高輪なら
駅の東は芝浦ですので、一騎討ちです

「高輪ゲートウェイ」は130位
36人が投票。

ええええっ、は
変なの。という否定的なええええっ
ではなく
肯定的な、よくぞやってくれた、という、ええええっ

江戸ファンの東京ウォーカーとしては
意味するところはすぐに分かった。

当然、その話が理由としてニュースで語られるんだろうと思ったら

リニア中央新幹線の発着である品川駅に近い
はあ?

品川は、以前職場があったため、ずっと利用してきて、ゲートウェイ感が半端ない
新幹線が止まるは、羽田は近いは、さらにリニア
品川を品川ゲートウェイに改名するならぴったしカンカンだけど
その品川に近いからって、高輪はゲートウェイじゃないよね

さらに、羽田空港に近いからという理由
だから、それは品川でしょ
品川より、もう一個遠いんですけど

公式の文書を見てみましょう

この地域は、古来より街道が通じ江戸の玄関口として賑わいをみせた地であり、
明治時代には地域をつなぐ鉄道が開通した由緒あるエリアという歴史的背景を持っています。
新しい街は、世界中から先進的な企業と人材が集う国際交流拠点の形成を目指しており、
新駅はこの地域の歴史を受け継ぎ、今後も交流拠点としての機能を担うことになります。
新しい駅が、過去と未来、日本と世界、そして多くの人々をつなぐ結節点として、
街全体の発展に寄与するよう選定しました。

ううん、間違いじゃないんだけど
もうちょっとハッキリクッキリ言って欲しかった。

ウォーキングで高輪を語ろうとすると
大きく二つのスポット

ひとつは泉岳寺
赤穂浪士の泉岳寺

新駅が出来ると発表があってから
私は、「泉岳寺」になるものとばかり信じて疑わなかった
だって、もう既に、その場所に都営地下鉄の「泉岳寺」駅があるんですから
当然乗換駅になるでしょうから
都の関係者は全員「泉岳寺」推しだったはず

さあ、もうひとつのスポットが答です。

高輪大木戸
ここには、江戸時代に高輪大木戸があったんです。

そこまでが江戸、そこから先が地方
もうちょっと先が東海道一つ目の宿場町、品川宿
各地方から東海道を歩いてきた人から見ると
まさしく江戸の入口

立派な門があってピシャッと閉まって、番所も設けられた。

あれれ?変ですね
門らしきものが書いていない。

実は立派な門
江戸260年の歴史の中で、そう長い期間ではない。

最初、札の辻のところにあったのが移転し
何度か大火で焼けては復旧したが
江戸後期には、
ええい、めんどくさい
と、取り払われたまま

元々とってもアバウトな性格の人達
世界的に見て、大都市でいくつか例があるような
都市を城壁で囲んで、みたいな発想はない
明け六つと暮れ六つに木戸を開け閉めしたところで
横はスカスカ

朱引き、墨引きっていうのがある

常に、江戸時代の最中に
江戸の範囲ってどこまで?って議論が何度もなされ
ずいぶん後期になって、文政元(1818)年やっと公式見解になったもの

朱引きは、南北町奉行の管轄範囲で
墨引きは、寺社奉行の管轄範囲

これ見ると、ビックリですが
高輪大木戸や四谷大木戸の結構先まで、江戸だと言っています。

これはあくまで、行政の範囲であり
庶民の感覚とは違う気がします。

四宿(街道のひとつめの宿場[品川、内藤新宿、板橋、千住])までは全て江戸です、
っていうのは、いくらなんでもと思います。

やっぱり庶民感覚的には、大木戸まででしょうね

東海道で地方から来た人を送っていく場合は
なんと、高輪大木戸まで送っていっています。

別れ際にちょこっとお茶でもして
じゃあ元気でね

そんな茶屋で賑わっている町なので
物理的な大木戸は無くったって、
気持ち的にはここが境目

まさしく入口、ゲートウェイです。

今後
とは言え、江戸時代よりも現在

山手線初のカタカナを取り入れ
こんな大仰な名前をつけたと言うことは
よほど気合いが入っています。

36人が投票したというのはとっても驚き
まあ、関係者でしょう。
良いじゃないですか、結果オーライになれば。
私は大賛成です。

JR品川車両基地の跡地をJRが再開発するプロジェクトで、
1期では、4棟の巨大超高層ビルと1棟の大型低層ビル計5棟が建設される予定

5棟の施設全体の敷地面積は約72,000㎡、延べ床面積は約851,000㎡と途方もないスケールの規模
東京都心でも最大級の再開発計画

恵比寿の再開発は大成功で、恵比寿と言えばガーデンプレイス
若者がお洒落な町として思い浮かぶ筆頭

さあ、今度のゲートウェイはどんなコンセプトになるのでしょう
個人的には、せっかく高輪の歴史から名前を持ってきたんだから
和のテイストを出して欲しいなあ
思いきって、建物の形を江戸城にしちゃうとか

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ミセバヤ

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[昭和歌謡]64 涙の太陽

昭和ヒット曲全147曲の真実シリーズです。

涙の太陽
安西マリア
作詞 湯川れい子 作曲 中島安敏
1973年

夏だーっ

じゃないですね
冬です。
基本的に本に載っている順番でやっているものですみません。

安西マリア
このシリーズで紹介した曲で言うと
辺見マリ、山本リンダの路線ですね

ヘソ出してくれてありがとうっ、路線です。

安西マリアと辺見マリと夏木マリの違いは難しいですね
ここで、クイズです
以下のABC三人のうち、誰が安西マリア、辺見マリ、夏木マリでしょう
答は最後にね
A

B

C

これが分かれば、芸能界で生きていけます。

この歌、安西マリアの前に、英国生まれの、エミージャクソンが、英語で歌ってヒットしている
でも、純日本産の歌なんだなあ、これが

ダンス
当時流行ったのが、海岸でこの曲をかけながらモンキーダンスを踊ること
出たっ、モンキーダンス

後にゴーゴーと名を変え
ディスコに取り込まれ
さて、今はどうなっているのか、
おじさん、良く分かりません。

私はダンスなんちゅうものは
はなから何ともなりませんでしたが
今の人はすごいですね

昔は曲の合間にダンスでしたが
今は激しい躍りを踊りつつ
歌もちゃんと歌ってますもんね

そもそもが、学校の授業でダンスやってるらしいですからね
学校教育っていうのはやっぱり全然違いますね
学校で一輪車やったら、みんな一輪車乗れるんだもん
お前らサーカス団か

今は一億総ダンサーを目指しているわけですね
あのじめじめ気質の日本人が
まさか総ダンサーになろうとは

娘に、
いやあ、授業でダンスは画期的だわ、と言ったら

あほか、お父さん
あの時間、どれだけ地獄か
運動神経ない人間が踊れると思う?
変な風になるに決まってるやん
人を笑いもんにするための時間よ、あれは

なるほど、私の娘だっちゅうことを忘れてました。

【答】
A:辺見マリ、B:夏木マリ、C:安西マリア

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八重咲きカランコエ

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[百人一首]97 来ぬ人を。藤原定家、その2

[百人一首]97 来ぬ人を 藤原定家本人の歌
の続きです。

百人一首
武士で歌人の宇都宮 頼綱(うつのみやよりつな)に頼まれたことがきっかけでした。
頼綱は、定家の息子である藤原為家(ふじわらのためいえ)のお舅さんです。

京都嵯峨にある、うちの小倉荘の襖に穴が空いちゃって
紙貼ってごまかしたんだけど
目立っちゃってね

いっそのこと、逆転の発想で
百枚くらい色紙貼ったら風流だと思わない?

良いですね、その考え方
そこに和歌とかさらさらっと書いてあったら、いとをかしですなあ

いやあ、さすが
定家さんならではの発想
となると、どうでしょう
そのさらさらっ、をお願いでけんやろか

前回、後鳥羽上皇から言われた「新古今和歌集」の事は言いましたが
後鳥羽上皇失脚後、今度は後堀河天皇から「新勅撰和歌集」を作るようにと
今度は、いつものような複数の選者ではなく、藤原定家一人だけ
責任重大

そんなふうに、仕事として、和歌を選ぶことはやって来ましたが
今度はあくまでもプライベート

キリの良いところで百枚かなあ
どうせだったら、別々の人で百人一首
小倉荘なので、小倉百人一首です。

百人で一首ずつ選ぶことぐらい
定家にとってみれば、おちゃのこさいさい、屁の河童なんですが
せっかくのお遊びです。

仕事でどうしても出来なかったことをやりたい

全体として意味のある作品にしたい

代表的歌人のそれぞれ一番良い歌という発想は仕事でやりつくした。
えっ、この人だったらもっと良い歌あるじゃない、と言われても良い
基本的に時代の古いものからほぼ順番に並べるとして
その順番、配置に意味を持たせよう
配置に絶妙の意味があります。

かるた
同時期にほぼ同じ内容の百人秀歌というのも出しているから
完全プライベートじゃなく
多少は、売ったろか、と欲を出している気もしますが
本人もまさかここまで人気が出るとは思ってなかったでしょうね

あまりの評判に
昔から宮中でやられていた、貝合わせに上の句と下の句を分けて書いた遊びとして採用され
大人気

江戸時代になって、木版技術が開発されたことで
かるたという発想に発展し、一気に庶民まで大人気になります。

鑑賞
お待たせしました。歌の鑑賞にまいりましょう。

来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに
焼くや藻塩の 身もこがれつつ

待てども来ないあの人を待つ私は、
松帆の浦の夕凪に焼く藻塩のように
毎日、身を焦がれるような思いでいることですよ

松帆の浦はわが兵庫県の領土、淡路島の北端
夕凪は夕方、風がピタッと吹かなくなる時間帯
藻塩というのは、製塩という兵庫県の一大産業の昔のバージョンで
海草をじっくりじっくり焼いて、塩を取り出します。

「全体として意味を持つ」ということのサンプルみたいな歌。
おそらく自分の歌は早い段階で決めていたんじゃないでしょうか
これを最後から4番目に置く
とすれば、他は、こう配置しよう。

ひとつには、風

百人一首には、風の歌が多目に配置されています。
嵐だったり、そよ風だったり

だめ押しで、ひとつ前の公経の歌で
花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり

散々風を吹かせて、ここへ来て夕凪
ピタッと風を殺した。
それを象徴するように、藻塩を焼く煙が、細くまっすぐに立ち上る
静かにひっそりと立ち上る。

そして、次の歌で、また風を吹かせています。
風そよぐ ならの小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける

ふたつめは、主人公。

これは本歌取りです
万葉集の笠金村の長歌

名寸隅(なきすみ)の 船瀬ゆ見ゆる 淡路島
松帆の浦に 朝凪に 玉藻刈りつつ 夕凪に
藻塩焼きつつ 海人(あまをとめ)ありとは聞けど 見に行ゆかむ
由のなければ 大夫(ますらを)の 心は無なしに 手弱女(たわやめ)の
思ひたわみて 徘徊(たもとほ)り 我(あれ)はぞ恋ふる 船楫(ふねかぢ)を無み

松帆の浦に、藻塩焼く海女の乙女が待っていると聞くが
会いに行く方法もなくて、行きつ戻りつ恋うている
というような意味

ということは、主人公は若い女性。

古くから、この時代まで、結婚は通い婚
女性のところに男性が通うスタイルなので
待つのはいつも女性
今日は来ていただけるかしら
悶々とした気持ちで待つ
その気持ちを歌にして届ける

必然的に百人一首も、女性が閨(ねや)で待ちくたびれる歌が多くなる
待つのは適齢期の女性で、夜から明け方まで

正直、ああまたか、の感がある


定家は、そこをひっくり返した。

同じ、女性が待つ歌でも
こんな情景だって出来るんですよ、と

昼間に、
家の外で
少女が待つ

ひょっとして初恋

あの人が通り掛かるのをひたすらに待つ

経験が少ないから
辛い思いの処し方が分からない

朝凪からずっと待って、もう夕凪
真っ直ぐに上がる弱々しい煙

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アツバキミガヨラン

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[百人一首]97 来ぬ人を 藤原定家本人の歌

百人一首シリーズ

ながらく続けてまいりましたが、残り4首です。

いよいよ、百人一首の選者、藤原定家自身の歌になります。

来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに
焼くや藻塩の 身もこがれつつ

待てども来ないあの人を待つ私は、
松帆の浦の夕凪に焼く藻塩のように
毎日、身を焦がれるような思いでいることですよ

藤原定家
「ふじわらのていか」でも「ふじわらのさだいえ」でも良いけど、ていかの方が一般的かな

83.世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる
の藤原俊成(ふじわらしゅんぜい)の息子

和歌の世界では、神様のように思われている人。

和歌を社交の道具から、芸術として自立させるべく、
自分で作ることのみならず、評論や、指導やらと精力的に活躍した。

本人が書いたものしかないと、紙が朽ち、いつかはなくなっていく
印刷という技術がない訳だから
誰かが、これは優れた文学だと見いだし、書き写して増やしていかないと
後世に繋がらないし、広がりも持てない。

藤原定家は、書き写しも積極的にやった
特に源氏物語や土佐日記

定家ほどの大御所になると
自分が作ったものを発表するだけで良さそうなもんだけど
和歌を中心とした文学が好きで好きでたまらなかったんでしょうね。

『古今集』の歌風を尊重し、
その上にお父さん、俊成の唱えた「幽玄」をあわせる
そしてさらに、「有心」の美というものを説いた。

有心というのは、定家が名付けた、和歌の世界の概念で、歌に深いこころがあること。
「ことばは古きを慕ひ、心は新しきをもとめ、
及ばぬ高き姿を願ひて寛平以往の歌に習はば、
おのづからよろしきこともなどか侍らざらむ」

後鳥羽上皇
当時のトップ、後鳥羽上皇も負けず劣らず、和歌が大好き
二人は意気投合
後鳥羽上皇は定家に「仕事」をさせます。

『新古今和歌集』という和歌集を作らせる
密月時代です。

ところが
後鳥羽上皇は、あまりにも歌が好きだったために
あれこれ口を出すようになります。

最初はそこでの議論自体楽しかったんだけど
藤原定家は、すぐに引くような性格じゃなかったので
次第に、
こらっ、定家、言うこと聞かんかい

大喧嘩になってしまい、干されちゃいます。

それでも、定家の方からは
後鳥羽上皇に対する、尊敬の念は持ち続けます。

後鳥羽上皇は、そのあと幕府を倒そうと事を興して失敗し、島流しになっちゃうんですが
後鳥羽上皇大好き!は変わりません。

普通なら、後鳥羽上皇派の藤原定家は
一緒に冷や飯を食うところですが
ラッキーと言ったら良いんでしょうか
途中から後鳥羽上皇に嫌われていたので
世間的には、後鳥羽上皇派とは見られていない。

さらに、幕府派で強力な実権を握った藤原公経と親戚になったことで
一気に引き上げてもらえます。

そのあとも、ずっと後鳥羽上皇の事が気になっている定家
もちろん、幕府派ということで引き上げてもらったので
あからさまなことはできません。

ある計画をするんですが
その話は、後でまたする機会があるのでその時にね

藤原定家は1回で終わらせるのは勿体な過ぎるので2回に分けますね
明日は、百人一首ができた敬意と、込められた思い
そして、この来ぬ人をの歌について続けていきます。

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ミズヒキ

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