日本語には、昔、主語も文も無かった

「近代日本語の思想」という本を読みました

知らなかった事がいっぱい
へえ、日本語って、そんなに色んなものが無かったのか

まずは主語から

主語
これはなんとなく聞いたことがあるような

学生の時、英訳するときに苦労した覚えがある
英語ってめんどくさいなあ。いちいち主語を考えなきゃならん

言語学者の間では、日本語に主語があるかないか論争があるらしい
「近代日本語の思想」の著者柳父章さんによると
昔は日本語に主語はなかった
そもそも主語という概念が無かった
ところが、蘭学として江戸時代に西洋文化が入ってきて
翻訳するために「~は」という表現がされるようになった
広まったのは明治になって、大日本帝国憲法が発布されてから

第1条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第2条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス
第3条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第4条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
第5条 天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ
:

いちいち「~ハ」で始まっている
伊藤博文がドイツ人法学者ロエステルの憲法試案を翻訳したのをスタート台にしているから。

聖徳太子の十七条の憲法では「~は」はない

第一条、和を以って貴しと爲し忤ふこと無きを宗と爲す
第二条、篤く三寶を敬へ、三寶とは佛と法と僧となり
第三条、詔を承けては必ず謹め
第四条、羣百寮體を以て本とせよ
:

明治が始まる時点の、五箇条の御誓文にも「~ハ」はない

一 廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スヘシ
一 上下心ヲ一ニシテ盛ニ經綸ヲ行フヘシ
一 官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス
一 舊來ノ陋習ヲ破り天地ノ公道ニ基クヘシ
一 智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ我國未曾有ノ変革ヲ爲ントシ朕躬ヲ以テ衆ニ先ンシ天地神明ニ誓ヒ大ニ斯國是ヲ定メ萬民保仝ノ道ヲ立ントス衆亦此旨趣ニ基キ協心努力セヨ

柳父章は、明治以降広まったのは主語らしきものであって、主語とイコールではないという
主語というのは、西洋の概念なので近づいてはいてもイコールにはなりえない

いちいち「~は」をつけるのは勘弁だが、「~は」は慣れ親しんでしまっているので
無いのは無いで困る

では、主語って本当に「~は」なのか「~が」とどう区別すれば良いのか
「象は鼻が長い」の主語は象なのか鼻なのか

我々は言語学者ではないので、書いてあった難しそうな事は省略
もともと今の日本語に現れたのは主語的なものであって厳密に主語ではないので
「~は」も「~が」も主語的って事でばくっと解決にいたしましょう


それよりびっくりなのは、「。」で区切られる文(センテンス)が無かったということ
英語には必ず「.」ピリオドがあって、はいここで文(センテンス)が終わり
それを翻訳するに当たって、「。」を使うようになった
それをかなり強力に推進していったのが明治になってからの教科書

主語ってこの「文」というまとまりを支配する概念なので、文あっての主語

平安時代は、「。」だけじゃなく「、」も段落も無かった
もっと言うと、漢字かな混じり文も無かった

この辺はその前に読んだ「日本語の発音はどう変わってきたか」に詳しい
発音の話もまた改めてしますね

紀貫之の土佐日記に始まる平かなの開発は、その時点で漢字かな混じり文になった訳ではなく
平かなばかりが続いていく文
それも、区切りがなくただ文字が続いていく

あまりに読みにくいので、漢字かな混じり文にして、区切りで行を分けるようにしたのが
あの百人一首を編纂した藤原定家
大革命がなされた事になる
かなり読みやすくなったんだけど、句読点はまだ無かった

その後も、今からたった100年ほど前まで、短く文を切る事はせず
かなり長く続くことが多い
敢えて「。」をつけたが、金々先生栄華の夢は、以下の感じ

今ハむかし片田舎に金村屋金兵衛といふ者ありけり。生まれつき心優ゆふにして浮世うきよの楽しみをつくさんと思へども、いたって貧しくして心にまかせず。よつてつくづく思ひつき、繁華はんくわの都へ出で奉公を稼ぎ、世に出て思ふまゝに浮世の楽しみを極めんと思い立ち、まづ江戸の方へとこゝろざしけるが、名に高き目黒不動尊ハ運の神なれば、これへ参詣して運のほどを祈らんと詣まふでけるが、はや日も夕方になり、いと空腹になりければ、名代の粟餅を食わんと立ちよりける。

もともと「。」は芝居の台本で、台詞で間を開けてほしい時の記号

学校での教育により、「。」をつけることが広まったとはいえ
最初の頃は、専門家のはずの小説家でさえ、今の我々からみると「、」と「。」が混同されているケースがかなりある

このあと
「た」で終わる文は無かった
「である」は無かった
と続いていきますが、次回といたします

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[古文書]百人一首は美しい

古文書解読に再挑戦
の続きです

今、古文書解読に挑戦していっているのですが、その現在進行形のレポートです

かな
前回、平かなだけでは古文書解読は難しく、漢字の解読も必要だったという話をしました。
「江戸が大好きになる古文書」は漢字中心

やっぱり平かなも読めるようにしたいので、一旦平かな側に行って
また漢字、平かな、と交互にいこうかな

平かなを覚えるために、良い材料はないかなと探すと、ありました
変体仮名「読み」学習帳:小野鵞堂先生書の百人一首で学ぶ

百人一首なら、以前シリーズでやりました
結構前なので忘れてはおりますが、全く下地がないわけではない

何が良いって、下に母字(平かなの元になった漢字)まで対応して書いてくれている

そして、次のページに再度のおさらいと、歌の概略の意味
この概略の意味が良いんです
以前シリーズでやったときの事がぼんやり思い出されて歌に愛着がわく

その下に歌留多バージョン
今は平かなひとつの音に対してひとつの形の文字にしか対応していないけど
昔は、いくつも対応し、おそらくその時の気分でかき分ける
従って、小野鵞堂先生と使う仮名が違う
歌留多バージョンの方が文字が続いていないので読みやすい

だんだん慣れてきて
五七五七七のうちのいずれかの部分が読めるようになってくる
第五十首くらいで、丸々読めるものがあった
歌を覚えていたってのがあるんですがね
そのあともちょこちょこと

そうなってくると楽しくなってくる
最後まで行ったあと、また最初から
そしてまた3回目
だんだん通すのが早くなってくる
歌自体も覚えてきて相乗効果

さらに言うと、「美しい」
さすが書の大家
ほれぼれします
平かなの古文書の続け文字はこんなに美しいものだったのか
花の色は うつりにけりな いたずらに わが身夜に降る ながめせしまに

ちはやぶる 神代も聞かず 龍田川 から紅に 水くくるとは

久方の 光のどけき 春の日に しづこころなく 花の散るらむ

そうなってくると、今度は美しいものを見たいという欲求にかられてきます
百人一首で他にないかな

歌留多なので下の句は文字数が少ない
美しさ重視でバラバラに配置されています

いまひとたびの みゆきまたなむ

三笠の山に いでし月かも

よをうじやまと 人は言うなり

知るも知らぬも 逢坂の関

おとめの姿 しばしとどめむ

紅葉のにしき 神のまにまに

吉野の里に 降れる白雪

美しいっ

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[ことば日本史]喧嘩両成敗

「ことば日本史」室町時代に入っていきます

喧嘩両成敗(けんかりょうせいばい)
中世社会では、自力救済の観念が強く、喧嘩は当事者同士で解決することが普通だった。
武士同士なら戦になる
それには、紛争の解決のみならず、名誉を守るという意味もあった。
ただ、全てのものが限りなく武力を持たなければならないので、できることならば避けたいところ
何らかの基準を決めて欲しいし、裁定してくれて双方が納得する「権威」にお願いしたい
それが朝廷だったり、幕府になる

幕府が作った基準が「故戦防戦の法」
攻撃を仕掛けた(故戦)側を防戦した側より重めに処罰するというもので、
私闘・私戦を行った双方を処罰することで、私闘・私戦を禁止しようとした。
仕掛けた方と防戦の方で差はあるが、両方が罰せられるということで
喧嘩両成敗の元とされる

次第に大名が力を持つようになってくると
「故戦防戦の法」と同様の基準を設け
領地内の紛争は大名が裁定するようになる
「大内氏壁書」<史料1>
「結城氏新法度」<史料2>
「吉川氏法度」<史料3>

これらに対して、典型的な喧嘩両成敗を規定したのが今川氏
「今川仮名目録」は8条において、
喧嘩を行った者は理由を問わず双方死罪に処すと明確に規定している。

喧嘩両成敗は、自力救済による私闘・私戦を否定して、
紛争の調停を大名権力の下に一元化し、その裁判権に服させることを目的として定められた。
多くの戦国大名が、中世社会の通念であった自力救済を否定する方向に向かいつつ、
なかなかこれを克服できなかったのに対して、
今川氏が自力救済を分国法において完全に否定したことは、
今川氏の戦国大名としての権力の強さを物語っている。

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古文書解読に再挑戦

次女が「江戸が大好きになる古文書」という本を買ってプレゼントしてくれました

古文書については以前ブログにも書きました
江戸では、かなは、こう書いていた
なんで色んなひらがなが?

でも、江戸かなを覚えるのは難しすぎて歯が立たず断念。

そのあと、色々ウォーキングして思ったのが
意外に古文書に触れる機会が多いと言うこと

今度は娘からのプレゼントです
いやあ、過去に挑戦したんだけどね
なんてな訳にはまいりません
読みましょう

すると分かった事があります
なぜダメだったか

江戸かな、変体かな、くずし字、古文書、行書
全てほぼ同じ意味ですが
そもそもかなだけ多少読めるようになったところで、古文書が読めるようにならない

「江戸が大好きになる古文書」では、
白木屋(江戸時代の大店で今の東急)に伝わる商いのテキストで
どちらかというと、漢字が中心

ウォーキングしていて、色んなところでくずし字に出会ったところで
なんとも分からなかったのは、漢字が分からなかったから

さらに、もうひとつ必要なことが分かった
独特の言い回し
候文(そうろうぶん)と言ったりするのだけど
申すべく候(可申候)みたいな言い方
上から単純に読めば良いんじゃなくて
レ点とかを補って上に戻ったりする
そりゃ分からん筈

以前江戸かなの時にブログにコメントをいただいて
いつもコメントをいただける方が古文書を読める
羨ましいなあ、と思っていた

読んでみると
作者の油井宏子さんはおそらくかなり性格が良い人だと思われます
どんどんおだててくれる
誉められて伸びるタイプの私としては嬉しくて仕方ない

同じ「永録」というテキストを少しずつ読み進めていくので、
同じ字が出てくることがある
あれ?ここからここまで読めるぞ
そんなとき、ちゃんと油井さんは察してくれていて
ここはスラスラ読めたんじゃないでしょうか

えへへ、分かる?
そうなのよ、読めたのよ

もちろんそんな良いことばかりじゃなく
うーん、さっき見たような気がするんだけど

最後まで何とか本は読みきったものの
うーん、やっぱりあんまり分かっていないなあ、と
最初からじっくり読み直し

3回通読するとなんとか、7割くらい読めるようになった
本当の事を言うと、同じのを読んでいる訳なので
書いてあることを覚えちゃっているんですけどね



でも大丈夫。
覚えちゃっていたとしても大丈夫、と性格の良い油井宏子さんは太鼓判
よっしゃあ

こうなってくると、読めてる気になってくるので
今度は平かな中心の本に挑戦

あかん、全然読めない

詳しくはシリーズの次回お話しします
百人一首の本です
これがとても良かった

これも3回読み

その後、平かな中心の本をもう一冊
漢字中心の本をもう一冊

このあと、シリーズの次回でお話していきますね
それぞれとても良い本に巡り会え
大きく視点がプラス出来ていっています

現在進行形でお話ししていきます

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