[三十六歌仙]19 大中臣頼基。子の日の遊び

三十六歌仙シリーズ

大中臣頼基(おおなかとみのよりもと)

子日(ねのひ)する 野べに小松を ひきつれて かへる山ぢに 鴬ぞなく
(子の日の小松引きのように、多くの子供を引き連れて帰る山路に鶯が鳴いている)

大中臣頼基(おおなかとみのよりもと)
大中臣頼基は神祇官をつとめつつ、伊勢神宮の祭主です。
ずっと祭事にたずさわり、
宇多上皇に気に入られて、歌の世界でも活躍しました。

大中臣家は代々神事をつとめる家で、
歌人としても頼基が祖となり、伊勢大輔へ繋がる名家となる

鑑賞
子日(ねのひ)する 野べに小松を ひきつれて かへる山ぢに 鴬ぞなく
(子の日の小松引きのように、多くの子供を引き連れて帰る山路に鶯が鳴いている)

「子の日の小松引き」が分からないと、何のこっちゃ、って歌です。

当時、貴族の中では、正月明けの最初の子(ね=ねずみ)の日に
野に出て、行う行事というか、遊びというかがありました。
「若菜摘み(わかなつみ)」と「小松引き(こまつびき)」
若菜摘みは、その後、春の七草に繋がっていきます。

一方の小松引き
その名の通り、若い小さな松を根ごと引き抜くというもの

松は永遠の命の象徴
その子供を根ごと引き抜くことで
永遠の命を授かろうというもの

こっちは、門松に繋がっていきます。

この根の繋がりと、群れて帰っていく鶯のイメージをかぶせている

もう一首

しののめに おきて見つれば 桜花 まだ夜をこめて 散りにけるかな

(空が白み始める頃に起きて見たところ、桜の花は夜を徹して、
なおも散り続けているのだなあ。)

この発想。初めてです。
桜の咲いた美しさ
ちょっと捻って、桜の散る儚さを歌った歌は数ありますが

桜が夜を撤して散ろうとしているというのは
確かに言われてみると、夜だから散るのはお休み、って訳ではないけれど
そんなところに着目するなんて、びっくりです。

宇多法皇が亭子院にて開催した歌合に出された歌で、
対戦相手はあのスーパースター凡河内躬恒(おうしこうちのみつね)

うつつには さらにもいはじ 桜花 ゆめにもちると みえばうからむ

こっちは、夢の中で出てきた桜が散っていた。ああ惜しい、と

結果は?

引き分け

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[三十六歌仙]18 素性法師。一瞬の千年

素性法師(そせいほうし)

音にのみ 菊の白露 夜はおきて 昼は思ひに あへずけぬべし

噂にだけ聞いてあなたを思っていると菊に置く白露のように夜は 「起きて」、昼は耐えられず消えてしまいそうな気持ちです

百人一首ではこちら
今来むと 言ひしばかりに 長月の有明の月を 待ち出でつるかな

素性法師の本名は良岑玄利(よしみねのはるとし)

僧正遍昭の息子です。
父に続いて天皇の血筋として生まれ、貴族の子として順調に昇進していました。

ところが、仁明天皇が崩御すると、寵愛されていた父僧正遍昭は、出家してしまいます。

お前も出家せい

えっ私も?そんなあ

若い盛りの頃に望まぬ僧の道へと進むこととなりました
それでも、僧正として大成し、歌僧といわれた父の影響を多分に享受します。

父遍昭の建てた、当時貴族たちのサロンとして多くの歌人が利用していた
雲林院(京都)という寺の別当を任されます。

当時の才人、紀友則や在原業平などの歌人と交流し、
やがて父に続いて「和歌の名士」と呼ばれるほどに名歌を残す僧となりました。

鑑賞
音にのみ 菊の白露 夜はおきて 昼は思ひに あへずけぬべし

噂にだけ聞いてあなたを思っていると
菊に置く白露のように夜は 「起きて」、昼は耐えられず消えてしまいそうな気持ちです

恋しい人に会えずに、様子は人の話に聞くばかり。
ああ、会いたい。
思いが募り眠ることもできません

「きく」=「菊」「聞く」、
「おきて」=「置きて」「起きて(熾きて)」、
思「ひ」=「日」「火」といくつもの掛詞を駆使して、

陽に当たり消えてしまう白露の昼と、
恋心燃える夜という一見対照的な事象を、
恋の苦しみを表す歌として見事に紡ぎあげました。

でも、良いのかなあ
煩悩だらけの気がしますが。

いらんお世話でした。

他の歌もいくつか

梅の花 折ればこぼれぬ 我が袖に にほひ香うつせ 家づとにせむ

(梅の花は、折り取ろうとすれば、こわれて散ってしまう。
だから私の袖に匂いを移してくれ。その香を家へのみやげにするから)

花ちらす 風のやどりは たれかしる 我にをしへよ 行きてうらみむ

(花を散らす風の泊る宿はどこか、誰か知っているか。私に教えてくれ。
そこへ行って怨み言を言おう。)

風が泊まっている宿って、なんてロマンチックなのでしょう

ぬれてほす 山ぢの菊の 露のまに いつか千とせを 我は経にけむ

(菊の露に濡れては乾かしつつ行く山道
――その「露の間」ではないが、
いったいいつの間に千年を私は過ごしてしまったのだろうか)

山奥の仙人の宮殿へ、菊を分けて辿り着いた人を描いた屏風絵に添えた歌

一方で露に濡れると一瞬という「露の間」を言い
その一方で、仙人の千年の時を言う、独特の世界観
屏風を見て、こんな歌が歌えるなんて
ただもんじゃない

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[三十六歌仙]17 源宗于。人目も草も かれぬと思へば

源宗于(むねゆき)

山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば

山里は冬こそ寂しさが増すように感じられることだ
人が訪ねてくることもなくなり
草も枯れてしまうと思うので

百人一首と同じ歌になります。
山里は冬ぞさびしさまさりける人目も草もかれぬと思へば

この歌には本歌があります。藤原興風が是貞親王歌合の時に詠んだ一首がそれです。

秋くれば 虫とともにぞ なかれぬる 人も草葉も かれぬと思へば
「かれぬと思えば」という句に、
人のいなくなる「離(か)る」と草木が枯れる「枯る」の意味が
掛詞として掛けられているのが同じですね。

本歌の方は秋になっていますが、
宗于のこの歌は、より「枯れる」というイメージが強い冬を選んでいます
むちゃくちゃ枯れているぞ、と

作者の源宗于は、天皇の孫でありながら臣籍に下ったように
地位が低く不遇だった

自らの境遇を嘆く歌などもよく詠んでいます。
歌物語の「大和物語」にも右京太夫として登場し、そのような一首を詠んでいます。

おきつ風 ふけゐの浦に立つ浪の 名残にさへや我はしづまむ
(風よ 吹上げの浦に打ち寄せた波の残りの浅い水たまりにさえはかない我が身は沈んでしまう)
吹上の浦は和歌山の名所
歌によく歌われます。

和歌山の歌のテーマパークである六義園にも吹上浜があります

そこにある、とても立派な吹上松

もう一首
今はとて わかるゝ時は 天の川 わたらぬさきに 袖ぞひちぬる

今はもう(貴女と)別れねばならない時だが、天の川を渡る前に(涙で)袖は濡れてしまった。

彦星が天の川を渡って戻ろうと。
川で濡れるより先に、涙で袖が濡れちゃったよ

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[三十六歌仙]16 源公忠。定時ぴったり

源公忠(みなもとのきんただ)

とのもりの とものみやつこ 心あらば この春ばかり あさぎよめすな
(屋敷の掃除を任されている守人よ、もし風流心が分かるのであればこの春だけは朝の掃除をしなさるな)

光孝天皇の孫です。

醍醐天皇・朱雀天皇に蔵人として仕え、
太政大臣藤原忠平らの信任も得ていた。
作風は穏やかで、勅撰集に私家集から多数入集している。

公忠は鷹狩りが大好き
公務の間、馬をどこかに繋いでおき、
公務が終わるとすぐにそのまま鷹狩に毎日のように出かけていた。
定時ぴったりで失礼しまーす。

久世の雉と交野の雉の味の違いを識別できるとの噂があった。
ほんとかな
両方の雉を混ぜて料理し、目印を付けて献上した

こっちが久世で
こっちが交野だね

あら、ピタリ

鑑賞
とのもりの とものみやつこ 心あらば この春ばかり あさぎよめすな
(屋敷の掃除を任されている守人よ、もし風流心が分かるのであれば
この春だけは朝の掃除をしなさるな)

満開の桜
桜を読むのも良いけれど公忠は、散った花びらが庭一面に広がり
風が吹くと、波のように揺れるさまを歌った。

うちの近くにもあるんですよ。毎年桜の季節にそういう風景
車が近くを通るたびに一斉にワワワッと舞い上がって花びらのダンス

もう一首

ゆきやらで 山路くらしつ ほとゝぎす いま一声の 聞かまほしさに
(行き過ぎられなくて、山路で日暮れとなった、ほとゝぎす、いま一声が聞きたいために)

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