料理のレシピをEvernoteでまとめてみた(続き)

Evernoteで料理のレシピを整理して
という話でした
Evernoteで料理のレシピをまとめてみた
今日はその続き

さらなる工夫
やりはじめると、いろいろ改善点が見えてきました。

発想の原点としては
レシピの元ネタを使っているだけじゃ進歩がないということ

Evernoteだと、注意点、改善点を追記できます。
本来なら、文の途中に入れたいところですが
写真の後ろに書き足すだけでも十分分かります。
例えば、先日長女に大絶賛をもらった照り焼きハンバーググラタンでいうと
「ホワイトソースは、普通にフライパンで作った
コンソメは2倍量で2個使ったけど1個で良い
ホワイトソースは緩めの段階で止めないと
待っている間に固まっていく。」
みたいな感じ。

一番欲しい情報は、評価だということが分かってきた。

早い話が、美味しかったものを早い段階でもう一回作れば良い。
いまいちだったものは、次作るのはずいぶん後でも良い

そうすると、お父さんは料理がうまくなったと絶賛のお言葉
物事、結構単純。
でも、それが覚えておけないのよ
毎回本から作っていると。
えーっと、これ、美味しかったんだっけどうだっけ

この一番重要な情報を一番分かりやすくした。

タイトルの一番前に入れる。
例えば
1えびとほうれん草のクリームスパゲティ
1から5までを頭につける
そうすると、
Evernoteはレシピがあいうえお順に並ぶから
1ばっかりが最初に並ぶ。
だから、1の方が美味しい方ね。
5は元ネタで美味しそうだったから入れたけど
まだ作ってないやつ
従って、実質4段階評価ね。
何度か作って
評価を上げたり下げたりして精度を上げていく予定。

自分としては、むちゃくちゃ美味しいやん、と思っても
家族に受けが良くなかったら、2止まりね。
そうすると、長女って好みが狭くて
グラタンとかのクリーム系なので
そのあたりが上位を占めちゃうんだけど。

そうこうしているうちに、さらなる改善点を思い付いた。
メインの料理と、副菜を一緒にしていると分かり辛い

主菜は1から5にするけど
それに合う副菜はABCにする
副菜ってそこまで評価は重要じゃないと考え
和洋中で分けた。
Aが和、Bが洋、Cが中
レシピが増えてきて、やっぱり評価で分けたいとなったら
A1 A2みたいに後ろに数字を足そうかなと
そうすると、和の中で評価で固まる。

以前、お父さんはバカじゃないの?
と非難ごうごうだったのが
主菜が和、副菜が洋みたいな混在型で作ったとき

自分的には美味しそうだと思うものから順番に作っていくと
そうなった。
別に良いんじゃない?
って思ってたんだけど
世の中的には、そうじゃないらしい。
世の中に合わましょう。
主菜を決めた後、副菜を選びやすくしました。

スープとサラダ
そうなってくるとだんだん欲が出てきます。
良く言われるカミさんからの指令は
一汁三菜
主菜、副菜、スープ、サラダ
主菜以外は副菜で引っくるめるんじゃなくて
スープとサラダを分けようか

ということで
スープも和洋中に分けて
E=和、F=洋、G=中
だしを使うやつ、コンソメを使うやつ、とりがらスープの素を使うやつ、って感じでしょうか。

サラダは和洋中も何もないかな、ってことでSにしました。
SはサラダのSね
あれ
スープもSですけど。
まあ、固いこと言いっこなし、ってことで。

進め方
今後どんな風に進めていこうかと思っているかというと
今、メジャーな材料なら
検索すると複数ヒットするようになってきています。

登録が楽になったので、どんどん増やして
と言いたいところですが
グッと我慢。

まずは、1のメニューを確実なものにしたい
あれ、前回は美味しかったんだけどなぁ
というのが、現状。
何度やってもこりゃ間違いなし
味付けの、大さじ何杯的なところ以外は
見ないでも大丈夫さ
にしたい。
改善点の追記もどんどん充実させていってね。

今、味付けまで含めて
何も見ないで作って
評判が良いのが、オムライスかな。
長女のお気に入り。

そのレベルの1が20個位できたら楽になるよね
基本、私の担当は土日なので
それだけでも回していける。

今日何しようかなって考えるのも楽になるだろうなあ。

大体のイメージで
7が作ったことあるやつ
3が新しい挑戦

見えてくるもの
大体、そんなペースで増やしていきつつ、レシピが300位になるまでには
その先に行きたい。

主婦のみなさんには当たり前の事
味付けを自分で調整

酒とみりんと砂糖はどうちがうのか
ネットで調べて理屈は分かったけど
実際のレシピで何をどれくらい使うべきなのか
皆目わからん。

旨みが出るだのコクが出るだのスッキリした甘さだの
今食べた味のどの辺の事をゆうてんのよ

いつまでも、レシピを見ないと料理を作れません
という入門状態を早く解消しませんとね。

毎回レシピ通りに作るからダメなんでしょうね

例えば、レシピより少な目の分量入れて
みりん足したりして
むむ?変わった?
ひょっとしてこれ?
みたいな舌でのお勉強をしていけば良いんでしょうね

ようし
チャレンジするぞ

掛け算に
もし、ある程度味付けが舌で分かるようになったら
次は素材

今はレシピを足していっているけど
掛け算にできるとぐんと広がるなぁ

例えば、昨日
次女に何食べたいって聞いたら
パスタ

1にあった、なんとかとほうれん草のクリームスパゲティを思い出して
ほうれん草のクリームスパゲティでいい?

いいよ
鮭でお願いね

はーい

見てみたらえびだった。

よっしゃ
Evernoteでやっている意味が出てきたぞ。

結果

美味しかったよ

ようし
掛け算になったぞ

鮭でもOKと一行追加

主たる材料と味付けと大体の作り方を
組み合わせを変えながらの掛け算にしながら
これはOKだけどこれはNG

ここまでできるとすごいよね
でーこんのなんちゃら風なんちゃら
ってタイトルつけれるよね

レシピブログみたいに
このブログでレシピ紹介できる日が来れば良いなあ

料理のレシピをEvernoteでまとめてみた

以前、料理のレシピを検索しやすいようにまとめています、とお話ししました。
料理、もうちょっとちゃんとやってみるか

その後の経過報告です。

挫折
その時の発想は、本とかクックパッドとかブログとか電子書籍とか
色んなところにある料理のレシピを検索しやすいように同じ形式でまとめようという事でした。
テキスト形式(写真とか色とかもない単純な文字)で保存しましょうという事でした。

結論から言います。
20件越えた辺りからなんともめんどくさくなってきて、挫折。
ある程度の期間、そのまま放っておきました。

次女にその話をしたら
そこはEvernote(エバーノート)でしょ

さすがは次女です。

Evernote
Evernoteというのは、色んな情報を同じ形式で保存でき、検索しやすくするためのアプリ
基本的な機能だけで良いなら無料で使えます。
仕事に関わる色んな情報をまとめようと、以前使ったことはありましたが
何年もそのまま放っていました。

次女の言うことは正しいに決まってます
よし、そっちに移してみよう。

20件ほどのレシピをそっちに移行。

そして、新たに、レシピブログで探したレシピを追加。

今、一番作る率の高いのは、山本ゆりさんのレシピ

山本ゆりさんは本だけじゃなく
ブログもやっているから
本で見ておいしかったやつは
ブログにも出ているはず

ブログを同じレシピの名前で検索して、
ブログのページから
共有で、Evernoteに追加、ってすれば、Evernoteにごそっと入ります。

やったー
こりゃ楽だ。

とはいえ、
あれえ、今度はうまく入らなかったぞ
今度は本にあるのと同じレシピがブログにないぞ

それぞれ、うまくいかない原因はあるんでしょうけど
その辺引っくるめると
劇的に便利とまでは行かないか

ちゅうことで
残念ながら、ちょっと後回し。

続きはまた、日を改めて、再挑戦しよう

また、ある程度の期間放っておきました。

結局、やっぱり、ネットで検索したり、
クックパッドや楽天レシピで検索したりしたレシピより
自分の気に入った料理研究家の出している本が一番家族の評判が良い。

本だと、書き移さなきゃいけないから
結局挫折しちゃうんだなあ
とか思いながら、時が過ぎていった。

とはいえ、もともと思っていた、本読んで作って、
美味しかった、いまいちを繰り返しているだけで
進歩している感がない

そうだ!
そんなとき、ふとひらめいた。
この方法で行けるんじゃない?

写真を撮る。

書き移そうとするからめんどくさい。
写真を撮って、そのままEvernoteに送れば良いんじゃない?

Evernoteのタグという機能で、検索したいキーワードは登録できる。
テキストで打ち込もうとしていたのは
レシピの中の全ての情報を検索対象にしたいと思っていたからだけど

よくよく考えると
中火とか
レンジとか
フライパンとか
大さじとか
醤油とか
砂糖とか
そんなもので検索したら
いっぱい出て来すぎる。

検索したいのは
豚バラとか
じゃがいもとか
ブロッコリーとかの
主たる材料だけ

だったら
本を、タブレットから写真写して
電子書籍だったら、スクリーンショット撮って
後は、主たる材料をタグに入力しておくだけならそれほど手間じゃない。

やっていけるかも。

何とか
結論的に言うと何とかやっていけそうです。

Evernoteのノートブック(フォルダみたいなもん)にレシピというのを作って
写真撮ったのを入れていく。

タイトルは自分で打ち込みます。
で、主たる材料をタグに入力。

今のところ、54レシピ
かなりサクサク追加していけます。

さらなる工夫
ここまでだったら、
Evernoteでまとめるようにしたのね
はい、ごくろうさん

特に面白くもないでしょうけど
でーこんオリジナルの更なる工夫をしていきました。

まずは評価。
ちゅうところで
長くなりますので、2回に分けます。

続きは明日ね。

ちなみにこれはハンバーググラタンです

御三家と御三卿

将軍及び名参謀シリーズをやっていると
大きく関わってくるのが御三家、御三卿

この視点で調べ直してみるか

御三家はどこで何のため?
今さら何て質問するの?
尾張、紀州、水戸に決まってるじゃない。
徳川宗家の血が途絶えたときに、御三家から将軍を出して補完するため。
将軍のスペアって事ですね。

基本の基本のようだけど
本当にそうだろうか。

15代の将軍。
次は誰にしようという時に、最後まで完全に守り抜かれたルールがある。
「血が一番濃い人」
前将軍、の息子で生きているもののうち、一番年長者
当時、大人まで生きていることがかなり難しかったので
何男かは別にして生きているものだけで考えて
実質長男という言い方をさせてください。
そこに候補がいなければ、もうひとつ前にさかのぼって。

徳川宗家の血が途絶えた事が何度かありました。
その都度、後継者争いが活発化するんだけど
「血が一番濃い人」ルールは、
結局一度も破られたことが無かった。

とすると、御三家って、意味あるの?
ってことになる。

どういうことか。

将軍に何人か息子が産まれたとする。
実質長男だけ残して、実質次男以降はどこかの藩に養子に出さされ
そこの藩の藩主になる。

その時点で、御三家にちゃんと跡取りがいれば
御三家に出される訳ではない。
例えば、 館林藩だったり甲府藩だったり

とすると、血が濃いのは、御三家より
館林藩だったり甲府藩になる。

御三家は
家康の、子や孫くらいまでは意味を持っていても
代が重なっていく度に、血が薄くなっていく。

最初に徳川宗家の血が途絶えたのが4代家綱の後。
実質次男だったので館林藩に養子に出さされていた綱吉が
徳川宗家に養子に入って、5代将軍となる。
綱吉にも、息子ができず

甲府藩に養子に出されていた
先に死んじゃっていたお兄さんの息子
即ち、甥っ子が徳川家宣(いえのぶ)として徳川宗家に養子に入って6代将軍となる。

もし、将軍のスペアを御三家と呼ぶとするならば
御三家は、館林藩や甲府藩ということになる。

じゃあ、もう御三家、尾張、紀州、水戸は解散?

いえ、奇跡的に復活します。
甲府藩から来た6代家宣には息子はできたが
その息子7代家継には子供が出来ないうちに死んでしまう。
ああ、また途切れた。

もう、甲府藩からも、館林藩からも養子にもらいなおしてますから
血の濃い人は残っていません。

さかのぼってさかのぼって
随分さかのぼって、とうとう家康のところまでさかのぼりました。

ここまでさかのぼると、尾張、紀州、水戸が意味を持ってきます。
家康の実質次男が起こした尾張家
実質三男の紀州家、実質四男の水戸家

そこから今度下っていって、御三家の候補者のうち
現在生きているものの中で、誰が一番家康からの血が濃い?

それが吉宗だった。
吉宗は、紀州徳川家から徳川宗家に養子に入った。

ようやく御三家の出番。

御三卿
吉宗は当事者なので
このシステムの危うさが分かった。

さらに、御三家の尾張家が自分に反抗的なのも気になった。

さらに、気になったのが、実質長男、家重のこと
とても将軍がつとまる人物ではない。
この後すんなり行くイメージがわかない。

システム変えちゃおう。

実質次男以降は、他藩に養子に出す
このルール変えちゃおう。

実質長男が継ぐ
このルールを変えたら大混乱になる。
今までの日本の歴史の中で繰り広げられた
兄弟同士の殺し合いが再発するやもしれん。

実質次男以降は、分家はしよう。
でも、他藩に養子に出すのはやめて
キープしとこう。

御三家が、〇〇藩というのに対し、
御三卿は、〇〇家というのはそういう意味

田安家 宗武(むねたけ) 吉宗の実質次男
一橋家 宗尹(むねただ) 吉宗の実質三男

あれあれ?
御三卿なのに2つなの?

御三卿は、後の呼び方。
吉宗としてはこの二人に家を立ち上げさせた。

じゃあ、私もってことで
長男の9代家重が、真似する
清水家 重好(しげよし) 家重の実質次男

これで御三卿

何するの
藩の経営はせずに、使命としては将軍のスペアに徹する。

住んでるのも江戸城の中。
彼らの子孫も、ただ家を継いで、将軍のスペアとなることだけ。

最初は給料制だったんだけど
それもなんだし、ということで
幕府直轄領の中で、ここは〇〇家の分ね
藩、って扱いではない。

吉宗のやりたかったこと
要は、自分の子孫だけで、将軍を回していこうと。

藩って、合衆国みたいなもんだから
意識としては、徳川宗家とは別の国
何かと反発する尾張藩を見て、そう思ったんでしょうね。

とは言え、あんまり増えすぎてもね。
3つ以上に増えちゃうようであれば
藩に養子に出てます。

ひとつの例が松平定信。
白河藩に出されて、将軍になりそこなった。

もうひとりの例が、清水家から紀州藩へ養子に出た徳川斉順(なりゆき)
この孫が、あの14代将軍、家茂(いえもち)

結論から言うと、吉宗の思惑は成功し
最後まで、吉宗直系と御三卿だけで回ることになります。

このあと、シリーズで
御三家と御三卿をひとつづつ取り上げていきますね

「ん」がなかった。続きの続きの続き。「ん」が生まれる

「ん 日本語最後の謎に挑む」から

「ん」がなかった
「ん」がなかった。続き
「ん」がなかった。続きの続き。空海のチャレンジ

かなの誕生
いよいよ、かなの誕生になります。

ひらがなが最初に現れたのは、紀貫之(きのつらゆき)の土佐日記935年
カタカナが最初に現れたのは、成実論(じょうじつろん)の828年

教科書で習いました。
ひらがなは、漢字を崩し字にして出来た。
カタカナは、漢字の部分を取って出来た。

ということはですよ。

元になる漢字がない「ん」「ン」は生まれようがない。
空海の大発見「吽」は残念ながら無視されちゃっていますので。

土佐日記より早い900年に書かれた伊勢物語には、
はねる音は「に(に当たる漢字)」と書くことにします。
なぜなら、はねる字がないからです。
と明記されているので、まだこの時点では「ん」はない。
935年の土佐日記。
ひらがなばかりで書かれているんだけど、一切「ん」は出てこない。

残念!
ひらがなカタカナはできても、「ン」の登場にはまだ時間を要します。

「ン」が生まれた
さあ、出た「ン」
カタカナの「ン」が最初に現れたのは1058年になります。
「法華経」です。
やったー
とうとう

でも、おそらくこれは突発的で
このあと急速に広まって、ということにならない。

1079年の「金光明最勝王経音義」
これは、最初にいろは歌も50音表の元が書かれている書物なんですが
そこに「ん」は「レ」か「ゝ」で仮に表しますと書いてある。

そして、明覚(みょうがく)が1101年に出した、「悉曇要訣」
この本、むちゃくちゃ画期的なんですが
50音を母音と子音の組み合わせで表現できると
縦横の50音表で表している。
そして、「ん」の音の存在を明確に書いた。
音としての「ん」については後でね。

いよいよ
カタカナの「ン」については、初出は1058年「法華経」でしたが
長く鳴かず飛ばずでした。

ここから急にという明確な書物はないんですが
1100年を越えた辺りからどんどん増えていったそうです。

若干遅れてひらがなの「ん」
1120年、元永3年に書き写された元永本「古今和歌集」に「ん」の形が初めて現れます。
ただ、ここでは若干疑問があって
「ん」の意味で「む」も使われているので
本当に今の「ん」と一緒か分からない。

とはいえ、同じく1120年にそのあとすぐ出た「今昔物語集」
ここで、急にひらがなの「ん」がバンバン多用されて出てくる。

いよいよ、定着となっていきました。

「ん」の音
昔の日本語に「ん」の音があったか
何度か後で再度触れますと書きました。

おそらくこう。
表現は難しいんですが
「ん」の音はあった。
ただ、「ん」を含む言葉ですよ、というのは無かったかもしれない。

例えば、明覚の「悉曇要訣」に出ている例だと
「馬(ま)に乗りて」が「マンノリテ」
「ありなむ」が「アンナン」
「知りなむ」が「シンナン」
後ろに続く言葉の関係でちょっと言いにくいなあ
となったとき「ん」に変化しちゃう。

古事記でいうと
「神」の事を「加微」と書いてあるんだけど
下に何かの言葉がつく場合
神館、となると
「加牟」と変わってしまう。
変化していたと思われる。

こういうのって現代でも良くある
腹の中が「はらんなか」

でも人々の中では、「正式じゃない意識」がある。

「ん」は言うとしても書くのはちょっとやだな

仮借の「ん」がなくて思いきりみんな苦労したので
漢字は無いとしても、記号でもなんでも何とかしそうなもんですよね

でも、随分遅れたのは
書かないで良いなら書かないで済ませたい、との意識が働いている。

例えば「土佐日記」
印刷がない時代なのでみんなが書き写しながら広まっていく。
少しずつ違う土佐日記がある

あらざるなり、のところ
あらざなり、と書かれている本がある。
おそらく、あらざんなり、と読んでいたと思われるが
ん、は書きたくない。
あらざなり、と書いても、あらざんなりのことだと分かるよね。

ちょっと待って
今の言い方おかしいよ
ん、は書きたくない、じゃないでしょ
ん、は当時ないんだから、書けないよね。

どうも、そうじゃない。
紀貫之はあらざるなりみたいに、変化前の表現で書けるところも
敢えて、ん、抜きで書いている。

ちょっと遅れて、清少納言の枕草子では
んを書くのは雅じゃないねと
「ん」にあたる言葉(例えば「む」)を抜くことを推奨している。

江戸時代まで行っても多少残っていて
ふんどしのことは「ふどし」と書いてあったりする

現代人の意識の中でも多少残っている例として
本で上がっていたのが
鳶が鷹を産む
これに振り仮名を打ってくださいと言うと
ほとんどの人が
「とびがたかをうむ」
と書くらしい。
ところが、読んでくださいと言うと
「とんびがたかをうむ」と読む。

話を戻して平安時代から鎌倉時代
雅な世界が終わり、庶民にも書き文字が急激に広まっていく段階をもって
「ん」抜きの感覚が薄れ
話していることと、書き文字が違うなんてめんどくさい。
「ん」も出来たんだったら使いましょうよ、と広まっていった。


残っている疑問が、形。
「ん」と「ン」の形はなんでこうなったの?

ひらがなカタカナは漢字が元になっています、という教科書の説明。
ん、ン、に関する限り当たらない。
元になっている漢字がないわけですから。

結論から言うと分からない。
諸説あるんだけど、どれも決め手にかける
多いのは、無理矢理、この漢字から、というものだけど
そうかなあ

カタカナのンの方は面白いのが新井白石の説。
新井白石ってさすがに学者ですね
こんなとこまで、頭突っ込んでます。

良いとこ突いてます。
サンスクリット語の音がはねる事を意味する空点「・」と
荘厳点「下に緩やかにカーブした形」を組み合わせたんだとする説
例えば「ア」を表す梵字に空点と荘厳点を付け加えると「アン」になります。

私的には
新井白石大好きなので、この説、採用!

お疲れさまでした。
これで「ん」がなかった話はおしまい。