寝殿造り系庭園の特徴

浄土式庭園
神仙式庭園の話をしました。

庭園の分類の時にちょこっとお話しした、寝殿造り系庭園について
もう少し、掘り下げてみましょう

寝殿造り系庭園
これが、寝殿造り系庭園だ!という典型は「東三条殿」らしいのですが
現存していないので
どちらかというと、寝殿造り系庭園ね、みたいに、ばくっとした感じでとらえてください。
庭園は色々影響しあっていますので

特徴
敢えて浄土式庭園との比較をするとすると
浄土式庭園は西に建物、東側に池でした

寝殿造り系庭園は、北に建物、南に池になります。

書院造り庭園と比較すると
書院造り庭園は池の周りに石組がありますが
寝殿造り系庭園にはそれがありません。
池の縁はなだらかな斜面になっていて
小石が敷いてあるのが特徴です。

寝殿造り系庭園は時代的に古いので
水量の調節技術が未熟で、常に水面が一定しなかったと思われます。

それでも出来るだけ不自然じゃないように工夫したのでしょう。

神仙庭園はすべてのベースなので
寝殿造り系庭園の池にも中島が三つあるケースが多くなります。
中島とは橋で結ばれる

池には、釣り殿と呼ばれる池に張り出した屋根と床だけの吹きさらしの建物
実際に釣りもするけど
夏にそこで涼むためのもの
これは金閣寺の釣り殿ね

建物と池の間には白砂の敷かれた平地
蹴鞠をしたり舞踊を踊ったり

池の背後には
松、竹、梅等の季節おりおりの植栽が施されました。

国風化
神仙庭園での話は主に中国でしたね
庭園も中国の真似だったんですが
遣唐使の廃止が894年
その頃、いつもいつも中国の真似ばかりをしているんじゃなくて
日本独自の庭も作ろうじゃないかという動きが起こります。

その代表が、私が親愛を込めて、とおるちゃんと呼んでいる源融(みなもとのとおる)です。
嵯峨天皇の息子でモテモテの御曹司、光源氏のモデルと言われ、松田聖子の祖先でもあるすごい人
陸奥の しのぶもぢづり たれゆえに 乱れ初めにし われならなくに
の百人一首の作者です。
日本にも良いところがあると、塩釜の風景を再現しちゃった。
ここから、寝殿造り系庭園が始まったと言えるかも知れません。

風水
寝殿造り系庭園の特徴というより
寝殿造り系庭園以降の、といった方が良いのかも知れません。

五行、風水といった考え方を取り入れます。
[巫女さん入門] 五色布って何?
でもお話しした、四神信仰
「東=青龍(せいりゅう)」「南=朱雀(すざく)」「西=白虎(びゃっこ)」「北=玄武(亀)(げんぶ)」
の四つの神様が守ってくれます。

平安時代の日本最古の庭園書である『作庭記』で書かれています

青龍は川に住むので東に川、
遣り水(やりみず)と言うんですが
池を作るための川から引っ張ってくる用水を東から引く

朱雀は海に舞い降りるので
南に池を配置

白虎は道を走るので
西に道を作る

玄武は山に住むので
建物を北に、さらにその後ろに山を

でも、なかなかその通りにならない事も多いですよね
南と西は何とかなるにしても
遣り水を東から引くのはかなり難しいことも多いでしょうし
北に山を、とか言われても
北に山がない土地には
庭を作れんのかいってことになる

でも、作庭記は親切です。
そんなこともあろうかと
こうすれば、その代わりになりますよ。

東に流水なければ、柳を9本
南に池なければ、桂9本
西に道なければ、きささげ7本
北に山なければ檜3本

うーん、こりゃ便利

きささげって耳慣れなかったですが
こんな木らしいです

おそらく、北の檜3本が一番可能性高いですね
今度、庭園に行って、池の逆の建物側の後ろを見て、山がない場合
そこに檜3本が植わっていないか確認することにします。
檜も覚えておきましょう
こんな木の葉です

ちなみに桂はこんな葉

柳は分かりやすいですね

神仙苑

大覚事嵯峨院

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シーボルトの続き。あの事件とその後

シーボルトの激烈日本愛。でも何かある?
の続きです。

江戸へ
江戸で一通りの仕事を終えたシーボルト一行

予想通り、色んな人が先生にぜひお会いしたいと訪ねて来ます。
そのために、外国紹介グッズを持ってきた訳ですから
待ってました!

高橋景保(かげやす)がやってきました。

ひょっとして?
そう
天文方の高橋景保
高橋至時(よしとき)の息子です。
高橋至時は伊能忠敬(ただたか)の師匠ですね

本や地図で外国の状況を説明

やっぱり高橋至時の息子
いてもたってもいられません。

先程見せていただいた本と地図
大変貴重なものだとは存じますが
何とかお譲りいただくわけにはいきませんでしょうか
おいくら程、お支払すれば

お分かりいただけるとは思いますが
値段のつけられるようなものではございません。
ただ、先程からお話させていただいて
あなた様の熱意には感服いたしました。
あなた様にならという気持ちも一方ではございます。
どうでしょうか
交換条件をつけさせてください。
私としては、日本のことが深く知りたい
その目的に合い、この価値に見合うもの
それと交換させていただきたい。

一つしかないですね

地図には地図
伊能忠敬のあの日本地図

でも
ことが重大すぎます。
半生を費やした伊能忠敬の苦労
コピーがある時代ではないから
複製を作るのに年単位の時間がかかる
国家の重大機密として門外不出で大切に保管されている。
今、国宝に指定されているほどのものです。
そもそも、天文方で保管しているが高橋景保の所有物ではない。
まして、相手は外国人

でも、この男、シーボルトなら、という気持ちもある
そちらの国の地図は下さい、でもこっちの地図は渡せません
というのも、筋としてどうなのか

渡してしまうんです。

長崎で
長崎に帰ったシーボルト一行
持ち帰った植物の苗をもとに、出島に植物園を作り
1400種もの植物を最終

例えばシーボルトの栽培したお茶はオランダ経由だかでジャワに渡り
それをもとにジャワでお茶(紅茶)の栽培が始まったりしています。

ある時

お滝さん
ちょっと里が恋しくなったから
帰ってきて良い?
大丈夫、すぐ戻ってくるから。

早く戻ってね。
愛してるわ、チュッ

シーボルト事件
帰る筈だった船が、出発前に台風で壊れてしまいます。
その中に、何と日本地図が

何だ何だ、これは何だ

即刻、地図を返還せよ

断固拒否します。
素直に返せば良かったのにね

一方で、
全ての責任は私にあります。
私は一生人質になっても構いませんから
高橋さんや弟子たちに罪が及ぶことは何卒お許しいただきたい。

このシーボルトの申し出は拒否されます。

高橋景保は厳しい取り調べ中に病死してしまいます。

家族は遠島
関わったと思われる弟子たちにも処分が及びます。

幕府としても、シーボルトの人柄や仕事ぶりに信用し
ことごとく決まり事に異例措置を施してきたのに
裏切られた感は強烈に持っていたと思います。

結果として、国外永久追放、再入国禁止。
娘イネが2歳の時です。

日本学
面白いですね
犯罪者になった筈のシーボルトなのに
オランダをはじめとし、欧米諸国で大歓迎されます。

日本研究の成果が発揮され
いくつかの本も出版され

日本学と名付けられる程の一大ブームを巻き起こします。

日本は外国から正しく理解されていなかったと思われがちですが
そのお陰で、かなり正確に理解されています。

既に、シーボルトが集めた「日本学」の資料は
ジャワティーの例から分かるようになった
ずいぶん持ち出されていました。

各地名をオランダ表記に直した日本地図さえ出回っています。

実は先程の難破船のくだりは
後に話を面白くするために、小説で書き加えられたフィクションのようです
本当は単純に誰かの密告
間宮林蔵の密告という説もありますが
これはまたこれで話を面白くするためかなと

とすると
地図の返還拒否は
実はもう持ち出されていて手元になかった、とも考えられます。

いずれにしても、シーボルトの日本愛には嘘偽りはなかったと思います。
シーボルトのお陰で、大きく日本の医学が進歩したのも紛れもない事実です。

シーボルトは再婚し、二人の子供をもうけます

一方の滝は、泣き暮らし、と思いきや
こちらも再婚
良いじゃないですか
お滝さんだって幸せにならなきゃ。
楠本さんと結婚したので、楠本イネです。

ペリー来航
シーボルト事件から24年後、ペリー来航です。

実はその前から、
ペリーが大船団率いて、日本に行くぞというのは
世界に知れ渡っています。

その乗組員を広く公募もしています。

その話を聞き付けたシーボルト

はい私も!

鬼に金棒ですよね
こんなに日本について詳しい人はいません

これが実現していれば、かなり面白い歴史になっていたと思いますけど
ペリーさん、断固拒否

ロシアのスパイだと疑われた。

少なくともロシアはあり得ないと思うけど
一度スパイに疑われちゃうと、難しいんでしょうね

そんなペリーのお陰で、日本は開国。
ここも、シーボルトの日本学はかなり役に立っている。

ペリー来航は近くまた書く予定ですが
ペリーの強行姿勢は、結構演じているところがあって
実は、日本に好印象を持っている
日本学のお陰で、日本人の気質や能力も理解していて
植民地化は不可能だと始めから思っています。

再来日
開国した日本。
オランダとも修好通商条約を結びます。

その経緯を持って、シーボルトの罪が解かれることになります。

シーボルト再来日。

将軍家茂からも大歓迎の接待を受けます。
結構あっさり手のひら返しますね

滝さん、イネさんとも再会を果たします。
めでたしめでたし。

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シーボルトの激烈日本愛。でも何かある?

江戸の理系力シリーズ

このシリーズを書くための二つの本からすると
次は楠本イネってことになるんだけど
ちょっとちょっと、そういう訳にはいかんでしょう。

その前にこの超大物を説明しておかないと
楠本イネの何たるやが分かりません。

シーボルト
医者等 1796-1866

シーボルトは一体何の人と言ったら良いのか
普通にみんな知っているので言うと医者ですね
すごい医者

それだけじゃなくて、すごい植物学者だったりもします
それ以外にも・・
それは、このあとね

植物学者として新たな品種の研究がしたい
世界を見回して、まだ研究されていないところは?

あるじゃないか
他の国の人が入れないここ

シーボルトの激烈日本愛は、こういった理由から始まります。

オランダへ
ドイツ人なんですが
ドイツ人としては、一生かかっても日本にはいけない
そうだ、オランダだ

そのために、まずオランダに移住
色々努力して、オランダ政府にも認められる

すみません、日本に行きたいんですけど

ええよ

ただ、ここ
あっさりなのか
ええけど、そのかわり
があるのかが、微妙なところ
どうも何かある気がします。
何かの任務を負わされた。

日本へ
日本に来ました。

怪しまれます。
ちょっとあんた、変なオランダ語しゃべるね

いやその
オランダと言っても山の方の地域なもんでして
なまりがひどくてすみません。

実はオランダって風車で水を掻き出すぐらいですから
ほとんど低地ばっかりで、山は一切ありません。

シーボルトも言ったあと、しまった、失敗したと思ったでしょうが
あっさりスルーしてくれます。

さあ、植物の研究するぞ

でも、出島からは出られません
とりあえず出島の中を徹底研究

そうこうしているうちに、病気の人がやって来ます。

すごく立派なお医者様だとお聞きしました。

私?

忘れてましたね
すごく立派なお医者様です。

いともあっさり治しちゃいます。

私も、お願いします。私も。

もともと日本に憧れてやって来たけど
みんなとのやり取りの中で、もっともっと日本のことが好きになります。

お金ないの?
良いよ良いよ。今日は特別。

僕らのシーボルト先生は特別な先生だ

本当は出島を出ちゃいけないんだけど
良いんじゃないの、この先生なら

出島って出入りできる日本人は極めて限定的だし
外国人(オランダ人?)は外にはオランダ商館長以外は一切出られない。
異例中の異例。

出島外での診察が認められます。

噂を聞きつけて、患者が殺到します。

シーボルトも日本のためになりたいという気持ちが日に日に強くなり
出島の外の鳴滝という場所に鳴滝塾というのを開きます。
出島の外なら誰でも訪れる事ができる
弟子たちに最新医療を伝授

ここの弟子たち、そうそうたるメンバーですよ
高野長英、二宮敬作、伊東玄朴、戸塚静海
次々回紹介予定の楢林宗建だってそう

外国人の診療も初めてなら
外国人が直接学問を教授するのも史上初めて。

今までは、出島に入れる通訳で、吉雄耕牛みたいな人が
たまたま自分も学問に優れ、色々習得してみんなに伝授のような
間接的でしかあり得なかった。

弟子たちがビックリしたのが教え方
今日はこの本の何ページ目から何ページまでです、みたいな教え方は一切しない
全て実践しながら

今日のこの患者さんは脱臼したみたいだから
脱臼についてね
まずはやってみるからよく見ててね

こちらの患者さんは痔ですね
はーい
お尻に注目

教えたのは医学と植物学だけではありません。
動物とか民俗学的なこととか
スーパーマンです。
何でも来い
例えば、シーボルトが発見した日本で一番大きなミミズの種類は
シーボルトミミズと言ったりもします。

日本には研究しに来ているわけですから
それでもって、日本が大好きになっちゃってますから
日本の事なら何でも研究したい

そのためには、弟子の存在はある意味好都合立だったりします
教えるのは良いけど、その代わり研究に協力してよ

良い制度を思い付きます。
ドクトル試験

鳴滝塾を卒業するとき、認定証を差し上げましょう
そのために卒業論文書いてね

例えば、高野長英に与えられた課題は
日本の鯨と捕鯨について

く、鯨ですか

評判は全国に知れ渡り
江戸からも、何と中国からまで弟子にしてください、とやって来ます。

そして、いよいよ幕府から

オランダ商館長って多い時だと年に一回、江戸に行って
色んな情報提供をする義務を負っているんだけど
商館長付きの医師という事で、
江戸に来なさい。

よっしゃあ。

これで、植物ほかもろもろの研究が一気に進みます。

弟子たち総出で準備に大わらわ。
道中各地の植物の苗を集めて回らないといけませんし
どうせ噂を聞き付けて集まってくるであろう各地の学究の徒に
外国の色んな事を紹介するための本だったり地図だったり道具だったり
測量や天文観察もしないといけませんから、そのための道具も

大行列になります。

長くなりました。
例のあの事件も含めて、続きは明日ね。

あっそうそう
書きたいことが有りすぎて、重要なこと書き忘れていました。

あまりに多忙で
夜は3時間くらいしか寝ていなかったんじゃないかと言われているんですが
ちゃんと、やることはやっているんですね

滝さんという人と結婚。
その間に産まれた娘がイネです。

発見したアジサイの品種になんとかオタクサ、と命名しているんですが
オタクサはおそらくお滝さんのなまりです。
何せ山出身でなまりが・・

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[昭和歌謡]42 戦争を知らない子供たち

昭和ヒット曲全147曲の真実シリーズです

戦争を知らない子供たち
ジローズ
作詞 北山修 作曲 杉田二郎
1971年

大好きな北山修さんです。

永六輔さんのラジオに準レギュラーで良く出ていました
私は大声でガッハガッハ笑う人が大好きで、
北山修さんの出るときは食い入るように聞きました

♪戦争を知らずに、僕らは生まれた
戦争を知らずに僕らは育った
大人になって歩き始める
平和の歌を口ずさみながら
僕らの名前を覚えて欲しい
戦争を知らない子供たちさ

江戸時代
江戸時代が大好きです。
最初はウォーキングしているとどうしても関連してくるから、という理由で調べ出したんだけど
面白くて面白くて。

何でこんなにこの時代は面白いんだろうって何回か思って
考えてみるんだけど、答えはいつも一緒

平和がとっても長く続いたから

家康の天下統一のあと
秀忠を経て、

家光が武家諸法度(ぶけしょはっと)で平和への大きな一歩
次の家綱の時、明暦の大火の時、天守閣が焼け落ちても、保科正之が平和の時代に天守閣なんて無用の長物と
造り直さなかった
天守閣なしということでの平和宣言
次の綱吉がだめ押し。
人を殺すのが仕事の筈の武士なのに、「人を殺してはいけません」と法律で決めちゃった。
生類憐れみの令がそれ。

この三代の将軍の時代に大流行した歌があるんだけど
何だか分かります。

戦争を知らない子供たち

ごめんなさい、嘘言っちゃったね

でも、この歌ってそういう意味だと思う。

平和ボケ結構
薄っぺらいと言われようが

戦争を知らない子供たちであることに誇りを持とう

江戸時代は日本の歴史の中でも
260年も平和が続いた稀有な時代

城の変わりに庭園を造り
武術の変わりに文字を習った。

今年、2018年から260年引くと、1758年
明治維新1868年より100年も前のこと

このあとの260年でどれだけ戦争という過ちを繰り返したろう。

でも、大丈夫。

われわれは戦争を知らない子供たちの、栄誉ある第一世代として生まれた。
家光。

娘たちは戦争を知らない孫たち
家綱であり、保科正之

娘たちが産んでくれる(?)であろう孫は第三世代
綱吉

徳川十五代まではまだあるけど
武家諸法度や「天守閣作りません」や生類憐れみの令に匹敵する
「日本国憲法」という平和宣言をしたんだ

15代なんて、目と鼻の先だ
追い付き、追い越せ

反戦歌
反戦歌、ずいぶん歌った。

小学校の時、もうすぐ社会科で戦争について学ぶって前に
先生に言った。

反戦の歌詞、教室の後ろに貼っても良いですか

模造紙に、3曲、歌詞を書いて、教室の後ろに張り出した。
変な子供だね。

すると、授業の時、先生が
佐々木君、どれか一曲、歌ってくれよ。

その時歌ったのが、この「腰まで泥まみれ」

腰まで泥まみれ
作詞 中川五郎

♪昔ぼくが優秀な軍隊の隊員だった時
月夜の晩にルイジアナで演習した
隊長はぼくらに河を歩いて渡れと言った
ぼくらは腰まで泥まみれ、だが隊長は言った「進め」

隊長危ない引き返そう」と軍曹は言った
「行くんだ軍曹、俺は前にここを渡った
ぬかるみだけど頑張って歩き続けろ」
ぼくらは腰まで泥まみれ、だが隊長は言った「進め」

隊長こんな重装備では誰も泳げません」
「そんな弱気でどうするか、俺についてこい
俺たちに心要なのはちょっとした決心さ」
ぼくらは首まで泥まみれ、だが隊長は言った「進め」

月が消え溺れながらの叫びが聞こえて
隊長のヘルメットが水に浮かんだ
「みんな引き返そう」と、軍曹が言った
ぼくらは泥沼から抜け出して隊長だけ死んでいった

裸になって水に潜り死体を見つけた
泥にまみれた隊長はきっと知らなかったのだ
前に渡ったよりもずっと深くなっていたのを
ぼくらは泥沼から抜け出した「進め」と言われたが

これを聞いて何を思うかはあなたの自由だ
あなたはこのまま静かに生き続けたいだろう
でも今の世の中思い出させるあの時の気持ち
ぼくらは腰まで泥まみれ、だが馬鹿は叫ぶ「進め」
ぼくらは腰まで泥まみれ、だが馬鹿は叫ぶ「進め」
ぼくらは腰まで、首まで、やがてみんな泥まみれ
だが馬鹿は叫ぶ「進め」

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