映画、マスカレードホテル、を見てきました。

カミさんと、映画を見に行きました。

木村拓哉(キムタク)の最新作です。

原作は東野圭吾

カミさんは頑張って見ないといけない映画が苦手
半分寝ていても大丈夫っていう安心できるのが良い。

今回、なんで半分寝ていても大丈夫かというと
原作を読んだから。
カミさんはまあまあ推理小説が好き。
特に東野圭吾は新参者シリーズとかも好きだったし
絶対にハズレがないという安心感があります。

最初から、キムタクで映画化という本屋での大々的な宣伝を見てから
本を買って読んでいるから
映画に行くのは最初から想定済み

マスカレードホテル

調べると
おおおっ、GOLD CLASS でやってるよ

GOLD CLASSとは、武蔵村山市にある巨大ショッピングモール
ダイヤモンドシティの中にあるイオンシネマ
5番スクリーンのみにある特別シート。

夫婦でどちらかが50歳以上なら割引で通常一人1100円のところ
1600円
2階席でスクリーンの真ん前で
シートもゆったり。
再度テーブルまで付いている。
しかも400円程度の飲み物がついてくるから
正直、ほとんど変わらない。

通常、洋画の一番人気のものしかやってくれないんだけど
えっ、邦画もやってくれるんだ。
これはヒットすると、映画館も読んだ訳ですね
良いじゃないですか。

どういう映画かという
連続殺人から謎解きし
あるホテルで殺人が行われるであろうという予想

キムタクを始めとした警察の面々が
潜入操作として、ホテルマンに扮し
犯人を追い詰めるというもの

あらかじめ犯人を知っているカミさんは楽々
推理なんてしなくても良いんですから
ほんとに寝てても大丈夫です

犯人知りたい?
犯人はねぇ

コラーッ

犯人は○○なの

言っちゃったよ
ほぼ半分に絞れちゃいます。

まあ、本当の事を言ったか嘘を言ったか分かりませんからね。

感想
かなり良い映画でした。

良い設定ですね
ホテルというのは入れ替わり立ち替わり色んな人がやって来ますから
来る来る。怪しげな人たち

この人かなあ
違った
じゃあ、今度?

豪華な顔ぶれ、個性派揃い。

結局、カミさんは嘘は言っておりませんでした。
とんでもない奴ですね
でも、半分にしか絞られていませんでしたから
やっぱり最後まで犯人は分かりませんでした。

これ、途中で犯人分かる人
よっぽどの天才か
原作読んだ人ですね

こういう言い方をして良いのか
この映画の見処は
推理じゃなく、人間ドラマです。

当然ホテルマンなんてやったことがない、キムタクが
フロントに配属させられちゃって、四苦八苦

お客様の無理難題に忍の一時

指導役の長澤まさみはベテランの
百戦錬磨のフロント担当

立場も目的も全く違う二人がぶつかり合いながら
成功失敗を繰り返し
お互いを認め合えるようになるという展開

ありがちではありますが
丁寧に作られていて
素直に色んな場面にほろっとさせられます。

やっぱりキムタクは大したもんです。
このような筋書きだとキムタクの右に出る人はいません。
いつものキムタクの感じを思い浮かべて下さい。
はい、そのままです。

とても大事な時期なので、イメージチェンジにチャレンジするのは
一旦小休止したんでしょうね。
あまりにイメージ通りなので、ふーてんの寅さんに匹敵する安心感があります。

ちなみに、カミさんがエンドロールの字幕で見つけたんですが
明石屋さんまが出ていたそうです。
カミさんも私も全く気づきませんでした。

帰ってからネットで検索すると、宿泊客のエキストラ出演だそうです。
あの人が、台詞なしで良く我慢できましたね

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トベラ

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[大奥]2 秀忠→お江

大奥シリーズ二人目

第二代将軍、秀忠と言えば、お江
大河ドラマになったほどの、超大物です。

お江
江(ごう)とか江与(えよ)とか。さらにその前に敬称の「お」が付いたりしてややこしいですね
このブログでは、お江に統一しましょう

この人もまあ、戦国時代に振り回されました。

浅井長政の三女です
お母さんは、織田信秀の娘・市
茶々(淀殿)、初、江の三人娘
すごいメンバーが揃いました。

お市や、他の三人娘も波瀾万丈ですが
訳分からなくなりますので、まるっと割愛。

最初は佐治一成に嫁いたが、豊臣秀吉が

だめです。
離婚して、息子(養子)の豊臣秀勝と再婚しなさい。
無茶苦茶ですね。

でも、結婚してわずか一ヶ月で、朝鮮出兵の戦地で豊臣秀勝が戦死
その時、お腹には子供が出来ていました。
頑張り屋さんです

その後、3人目の夫である、第2代将軍・徳川秀忠の正室となります
秀勝との子供、完子(さだこ)は淀殿に引き取られます。

千姫、第3代将軍となる徳川家光、徳川忠長など2男5女をもうけます。
合わせて8人も子供を産んだわけです。
この子供たちもまたまた波瀾万丈。
長女の千姫と、五女の和子は話しましたね
千姫 強奪計画はいかに?
将軍の娘で天皇の奥さんになった和子

和子の子供が明正天皇ですから、天皇のおばあちゃんということになります。
この明正天皇の血は途絶えますが
定子が嫁いだ九条家の子孫が昭和天皇のお母さんです。
すなわち、今上天皇も、お江の血を引いているということになります。

政略結婚で引っ掻き回された人生ではありましたが
慣れ、というのもおかしいですが
だんだんステップアップしています。

3人目の旦那さん、秀忠の時はうまくいったんじゃないでしょうか。

そもそも、徳川十五代将軍の正室の中で
自分の産んだ子供が、次期将軍になった
即ち、生母となったのは、なんとなんとお江一人だけ
あとは全部側室との間の子ですから。

家光と忠長
でも、ここからの不幸をひとつあげるとすると
長男、家光を自分で育てられなかったこと。

ご存知、春日の局が育てます。

長男じゃなきゃ、自由にしていいと
弟、忠長を溺愛。

比較論ではありますが
忠長の方が切れ者

ここで、春日の局とのバトルが繰り広げられる訳ですね

家康の

やっぱり長男が継ぎなさい
という一言で、お江は、負けた!って感じ

でも、勿論家光だって自分の子には間違いない訳ですから
まあいっか

それより、忠長がその後、だんだんおかしな行動を取るようになり
家光から自殺に追い込まれるという不幸な結末になる

子供同士のいがみ合いで
結局溺愛した息子を亡くすというのは
かなり辛かったでしょうね。

嫉妬
よく伝わっているのが
お江の嫉妬深さ

結果として、秀忠が側室を一人も置かなかったことで
そういう話になっちゃうんですけど
それは分からないですよね
無茶苦茶夫婦仲が良かっただけかもしれません。

生涯、一人だけお手付きをして
その子供が保科正之

お江の、恐い恐い嫉妬から逃れるため、ということで
いろんなエピソードが付け加わっていきます。
こちらを見てね
[徳川名参謀]3 家光→隠し子、保科正之。ならぬものはならぬものです。

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[大奥]シリーズはこちら(少し下げてね)


セロシア(ノゲイトウ)

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[昭和歌謡]67 五番街のマリーへ

昭和ヒット曲全147曲の真実シリーズです

五番街のマリーへ
ペトロ&カプリシャス
作詞 阿久悠 作曲 都倉俊一
1973年

♪五番街へ行ったならば
マリーの家へ行き
どんなくらししているのか
見て来てほしい
五番街は古い町で
昔からの人が
きっと住んでいると思う
たずねてほしい
マリーという娘と
遠い昔にくらし
悲しい思いをさせた
それだけが気がかり
五番街でうわさをきいて
もしも嫁に行って
今がとてもしあわせなら
寄らずにほしい

出ました。ゴールデンコンビ。阿久悠と都倉俊一
さすがです。

ペトロ&カプリシャスは良かったですね
こんな超一流のボーカルをゲット出来たんですから。

その前の「別れの朝」のボーカルが良すぎたので
それを超えられないでしょうと思ってました。

阿久悠さんも、なかにし礼さんの、別れの朝はかなり意識したそうです。
演歌じゃなくて日本人の心を打つドラマ性のある歌
よし、続けって

大型客船で、「日本の歌謡曲を考える」的イベントをやっていて
名だたる歌謡界の有名な人が色々参加
戸倉さんと、船上で即興で作ったそうです。
さすがですね。
ジョニィへの伝言はもう出来ていたのかなあ
あったとしたら続編ではありますが。

ジョニィへの伝言とのセットですよね
ジョニィとマリーはそれぞれのお相手なんでしょうか

ジョニィへの伝言から五番街マリーへまで何があったのか
勝手な想像をしてみました。

ジョニィとマリー
ジョニィはマリーの踊る芝居小屋によく足を運んだ
マリーも次第に意識するようになり
言葉を交わすようになった。

初めてジョニィの部屋を訪れたとき

へえ
絵描きさんだったんだ。

絵の事は良く分からないけど
素人目に、色使いがきれいだなと思った。

特に深い青に見入った。
心のような青だった。

街中で、似た青の服を手に入れお気に入りになった。

どう?素敵でしょ

うん。綺麗だ。

頻繁に行き来するようになり
些細なことで良く笑った。

ある時、ジョニィにチャンスが舞い込んだ
五番街を離れ、北の街に行く必要があった
一緒に行こうと言えば良かったのに
夢を追うために、平凡な日常は邪魔な気がした。
若かったのかも知れない。

結局、その日、会わずに行くことにした。
あの笑顔を見ちゃいけなかったから。

マリーは、「その日」の事を共通の友達から聞いてしまった。
でも、あることをジョニィに告げれば、全てうまく行く気がした。
とてもハッピーな事だったから

いつもの場所で待った
お気に入りの服で

二時間

体の中に芽生えた、小さな命と一緒に。

ジョニィに良く似た、男の子だった。

いつも一緒
些細なことで良く笑った

とても寂しくなることはあったけど
そんなときは、青い服を着て
息子と一緒に、知らない街に出掛けた。

ある街で、小さな画廊に入った。

息子がある肖像画を見つけた。

お母さんと同じ服だね

涙が溢れる
次から次から

まだまだねえ
ちっとも似てないじゃない。

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イヌマキ

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[名僧]最澄。日本の仏教の半分はこの人

名僧シリーズ

平安時代に入っていきます。

いよいよ、この人です。
平安時代の、というより
日本の仏教の半分はこの人が作ったと言っても良いでしょう。
鎌倉仏教と言われる各宗派も
最澄の天台宗からの派生だと言えますから。

さあ、気合いを入れて参りましょう

最澄(さいちょう)
767~822。天台宗

奈良時代末の天平神護元(767)年、近江国(現在の滋賀県)の琵琶湖西岸の坂本というところに生まれます。
幼名は広野

父親は三津首百枝(みつのおびとももえ)といい、中国からの渡来人の子孫
やっぱり、この時代、渡来人は優秀なので、その血を引いている最澄もとても優秀。

この坂本という土地は比叡山(ひえいざん)の麓。
幼い頃から、比叡山を見ながら育ちます。

12歳のとき近江の国分寺の行表(ぎょうひょう)という僧侶の元に預けられます。
行表は近江大国師として近江国分寺を総括する高僧だった。

行表は最澄に言いました。
「心を一乗に帰せ」

一乗、すなわち大乗の精神によって一切衆生の救済の道に邁進せよ。
要するに、頑張って、みんなを救ってね。

19歳のときに東大寺で具足戒を受けて正式な僧侶となった。
この時、僧は国家公務員なので、公務員試験に見事合格、ってことです。

このとき、最澄という法名が授けられました。

エリートですね
超エリートです。

さあ、バリバリ仕事をしていただきましょう。

比叡山
ところが、比叡山にこもっちゃいます。

比叡山は山岳修行者たちの溜まり場
山岳修行者は仏教伝来以前からの日本独特の信仰で
仏教を取り入れてはいるものの、仏教界では異端中の異端
当然、国家資格は持っていません。

お母さんに、
あの子たちとは遊んじゃダメ、と言われるような存在です。

36歳までの、実に17年間も独自の修行を続けます。

修行の最初の頃に書いた「願文(がんもん)」では
「心を一乗に帰す」決意宣言

南都六宗と言われる奈良時代の仏教各宗派
もちろん悪くは無いんだけど
全てをマスターした上で
みんなをあまねく救うという唯一の目的のために、それは十分なのか、と自問自答

もし、更なる可能性が他にもあるのなら
やってみる

内供奉十禅師
31歳の時、内供奉十禅師(ないぐぶじゅうぜんじ)に選ばれます。
仏教界の最も偉いお坊さんベストテン

名だたる重鎮たちに31歳の若造が肩を並べたと言うことです。

ちょっと変に思いますよね
36歳まで比叡山にこもった筈

山にこもるって
俗世間から離れ
滝に打たれたりしつつ
髭ぼうぼうで、ガリガリに痩せちゃって
ってイメージを描きますよね。

最澄の一貫した姿勢なんだけど、
貪欲に色んなものを取り入れるんだけど
何かを排斥するということをしない。

山にこもっている間も、既存各宗派に喧嘩をしかけることなく、ちゃんと付き合っていく。
あれもこれも全部

ここが、良く比較される空海と違うところかも知れません。

どんどん仏教界に革命を起こしていくので
勿論風当たりも強いだろうし
実際に後半生はかなり攻撃されるんだけど
それでも自分から何かを潰しに行くということをしない

ひたすらに取り入れるだけ

大先輩方を集めて「法華十講」なる法会を行ったりもしています。
ちゃんと重鎮たちが参加しているから不思議です。

遣唐使
仏教界でほぼ上り詰めた最澄
残っているのは「どんどん取り入れる」総仕上げ

仏教の本場中国です。

特に、最澄が一番教わりたかったのが
天台大師智顗(てんだいだいしちぎ)が大成した天台宗の奥義
「法華経」を中心として、各宗派を融合した純大乗の教え

各宗派を融合した、っていうのが最澄向きです

国に
中国行って勉強して良いですか

勿論!
じゃあ、他にも行きたい人集めて
遣唐使(けんとうし)ってことで。

最澄はリーダー的立場。
還学生(けんがくしょう)と言って、ここまで、と自分で決めていつでも帰ってこれる。

同じ遣唐使に、実は空海も参加していた。
当時無名だった空海は、留学生(るがくしょう)という立場
20年以上はいなきゃいけない。
結局は大幅に短縮するんだけど、その辺のいきさつは空海の時にね。

中国で
あれもこれもっ

徹底的に凝縮した一年間
修善寺座主道邃から天台円教と梵網戒を、
仏隴寺座主行満からは天台円教を授けられ、
そのほか、禅や密教の教えも受けた
すごいですね
漢字がいっぱいです。

当地の僧侶たちの協力を得て多くの経典を書写
密教法具なども収集して帰国した

帰ってからは、シリーズの次回ね

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オタフクナンテン

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