[徳川名参謀]3 家光→隠し子、保科正之。ならぬものはならぬものです。

徳川名参謀シリーズ
闇将軍の本では、一人の将軍に対して一対一

だから、この人は入っていないんですが
いやあ、入れなきゃまずいんじゃないでしょうか。

実際に名参謀としての役割を果たすのは
4代家綱になってからですので
2回に分けます。
まずは前半。
秀忠から家光の時の保科正之(ほしなまさゆき)

保科正之
二代将軍秀忠は、怖い怖いお江与という奥さんがいます。
怖い奥さん?
その言葉に反応しちゃいます。

無茶苦茶、焼きもち焼き
秀忠も、それが分かっていますから
おかしな事は一切いたしません

のはずだったんですが・・・
何をどう間違えたのかお静さんという人を好きになっちゃった

子供が出来ちゃった。
まずいんじゃないの?
しーらないっと。

ばれないよう、関係者一同必死で隠します。
武田信玄の娘である見性院が色々世話を見てくれます。

お江与自身には最終的にもばれなかったっぽいんだけど
お江与の一派が気を回して、命を狙う。

隠れ、逃れて暮らす日々
いつか本当のお父さんが守ってくれる日が来るからね。
うん。

高遠藩
見性院が話をつけてくれ
7歳の時、信州高遠藩保科家に養子に出ることになりました。
これで身の安全は確保できました。
お静とも一緒に暮らせるようになりました。
でも、お父さんからは遠い地に来ちゃいました。

保科正光に大事に育てられます。

お江与が亡くなって3年後

その日
正之が18歳の時でした。
江戸城西の丸御殿の一室

母者は元気か

大御所様のご誠意に母子とも胸を熱くするばかりです。

あとの言葉は感涙に閉ざされた。

さかのぼること数日
拝謁かなうとの知らせを聞いたお静の感激はそれ以上だったという。

目黒で
それから4年後の寛永10年(1633年)
目黒成就院の住職から、鷹狩りの休憩の時
家光は、もうひとりの兄弟の存在を知らされる。

すぐにでも会いたい。

家光30歳、正之23歳
養父正光が亡くなり、高遠藩の藩主となって3年後。

場所は目黒不動(滝泉寺)

正之は主従関係の態度を崩さなかった。

家光は弟で苦労している。
弟忠長を結果的に自刃に追いやってしまい
その事で、精神的におかしくなってしまう。

私は弟でございます。
って態度をとられたら、信頼できなくなってしまったかも知れない。

慎重に慎重に少しずつ色んな仕事をさせてみる。
見事な実績
そして、常に「弟」であるという色を出さない。

江戸城に登城するときは、常に末席
部屋にすら入らず、廊下にいることもしばしば。

もう少し前に行ってくださいな
いえいえ、私はまだ若うございますから。

出世
実績がかわれ、山形藩20万石を拝領。
3万石から20万石の大出世ですね
さらに会津藩23万石。
出ましたっ、会津藩。
保科正之と言えば、会津藩。
会津藩といえば保科正之。

会津っぽの精神的支柱は保科正之
会津っぽ、は会津の人の愛称で、頑固者の意味でも使われます。

家訓十五箇条を作りました。
   
一、大君の儀、一心大切に忠勤を存すべく、列国の例を以て自ら処るべからず。若し二心を懐かば、 則ち我が子孫に非ず、面々決して従うべからず。
一、武備は怠るべからず。士を選ぶを本とすべし。上下の分を乱すべからず。
一、兄を敬い弟を愛すべし。
一、婦人女子の言、一切聞くべからず。
一、主を重んじ法を畏るべし。
(以下省略)

全体として、保科正之の傾注した朱子学の考え方になります。
ひたすら誠実に忠義を尽くす。
一番最初がすごいと思いませんか。

他が何と言おうがそんなん知らん。
この考え方でいかんといかん
もし、違う事を考える藩主が出てきたら
それは私の子孫ではない。
従わんでよろしい。

そして有名な什の掟(じゅうのおきて)に繋がっていきます。

什の掟
一、年長者の言うことに背いてはなりませぬ
一、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ
一、虚言をいふ事はなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです

大河ドラマでもやってました
会津っぽは6歳になると什という組織に入り活動。
毎日、これを唱和。
会津っぽは、これを現代風に変え、
あいづっこ宣言として今も使っています。

あいづっこ宣言
・人をいたわります
・ありがとう ごめんなさいを言います
・がまんをします
・卑怯なふるまいをしません
・会津を誇り 年上を敬います
・夢に向かってがんばります
やってはならぬ やらねばならぬ ならぬことはならぬものです

いきづいてるね。
色んな考え方はあるかも知れないけど
保科正之はそういう生き方しか出来ないんだもの
良いと思います。
同じくあいづっこは、同じ生き方をしますよと宣言。
当たり前の事は、理由をぐちゃぐちゃ考えない。
ならぬことはならぬものです。

そして、転機が訪れます。
幕府が、保科正之を必要とするときが。
後半は明日。

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