[大奥]2 秀忠→お江

大奥シリーズ二人目

第二代将軍、秀忠と言えば、お江
大河ドラマになったほどの、超大物です。

お江
江(ごう)とか江与(えよ)とか。さらにその前に敬称の「お」が付いたりしてややこしいですね
このブログでは、お江に統一しましょう

この人もまあ、戦国時代に振り回されました。

浅井長政の三女です
お母さんは、織田信秀の娘・市
茶々(淀殿)、初、江の三人娘
すごいメンバーが揃いました。

お市や、他の三人娘も波瀾万丈ですが
訳分からなくなりますので、まるっと割愛。

最初は佐治一成に嫁いたが、豊臣秀吉が

だめです。
離婚して、息子(養子)の豊臣秀勝と再婚しなさい。
無茶苦茶ですね。

でも、結婚してわずか一ヶ月で、朝鮮出兵の戦地で豊臣秀勝が戦死
その時、お腹には子供が出来ていました。
頑張り屋さんです

その後、3人目の夫である、第2代将軍・徳川秀忠の正室となります
秀勝との子供、完子(さだこ)は淀殿に引き取られます。

千姫、第3代将軍となる徳川家光、徳川忠長など2男5女をもうけます。
合わせて8人も子供を産んだわけです。
この子供たちもまたまた波瀾万丈。
長女の千姫と、五女の和子は話しましたね
千姫 強奪計画はいかに?
将軍の娘で天皇の奥さんになった和子

和子の子供が明正天皇ですから、天皇のおばあちゃんということになります。
この明正天皇の血は途絶えますが
定子が嫁いだ九条家の子孫が昭和天皇のお母さんです。
すなわち、今上天皇も、お江の血を引いているということになります。

政略結婚で引っ掻き回された人生ではありましたが
慣れ、というのもおかしいですが
だんだんステップアップしています。

3人目の旦那さん、秀忠の時はうまくいったんじゃないでしょうか。

そもそも、徳川十五代将軍の正室の中で
自分の産んだ子供が、次期将軍になった
即ち、生母となったのは、なんとなんとお江一人だけ
あとは全部側室との間の子ですから。

家光と忠長
でも、ここからの不幸をひとつあげるとすると
長男、家光を自分で育てられなかったこと。

ご存知、春日の局が育てます。

長男じゃなきゃ、自由にしていいと
弟、忠長を溺愛。

比較論ではありますが
忠長の方が切れ者

ここで、春日の局とのバトルが繰り広げられる訳ですね

家康の

やっぱり長男が継ぎなさい
という一言で、お江は、負けた!って感じ

でも、勿論家光だって自分の子には間違いない訳ですから
まあいっか

それより、忠長がその後、だんだんおかしな行動を取るようになり
家光から自殺に追い込まれるという不幸な結末になる

子供同士のいがみ合いで
結局溺愛した息子を亡くすというのは
かなり辛かったでしょうね。

嫉妬
よく伝わっているのが
お江の嫉妬深さ

結果として、秀忠が側室を一人も置かなかったことで
そういう話になっちゃうんですけど
それは分からないですよね
無茶苦茶夫婦仲が良かっただけかもしれません。

生涯、一人だけお手付きをして
その子供が保科正之

お江の、恐い恐い嫉妬から逃れるため、ということで
いろんなエピソードが付け加わっていきます。
こちらを見てね
[徳川名参謀]3 家光→隠し子、保科正之。ならぬものはならぬものです。

索引はこちら
[大奥]シリーズはこちら(少し下げてね)


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