[赤穂浪士]9 武林唯七はおっちょこちょい

赤穂浪士シリーズ9人目です。

武林唯七(たけばやしただしち)
表門組 玄関固め 馬回り 32歳

中国の思想家孟子の子孫というすごい人。
豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に、唯七の祖父が捕虜として日本に連れてこられた。
勇猛果敢で、義にあつく、正しくないことが嫌いな一本気な性格

でも、おっちょこちょいなエピソードも数多く残されている。

「粗忽(そこつ)の使者」という話がある

ある日、とある公家から広島浅野家本家の江戸屋敷に「かきつばた」というお花のプレゼントがあった。
そのプレゼントをおすそわけしてくれるということで、
唯七は、このプレゼントを取りに行くよう浅野内匠頭から言われ、
馬で広島浅野家本家の江戸屋敷に向かった。

屋敷に到着し、座敷に通されたときに、なんとなくふすまを見た唯七は「家紋が違う!」と、びっくり!

なんとそこは、訪問する予定だった屋敷の隣の屋敷だった。
しかし、いまさら「家を間違えました」とは言えない唯七は、
「おなかがペコペコなのでお昼ごはんをいただけませんか?」と、
わけのわからない言い訳をしてその場をやり過ごした。

その後、ようやく広島浅野家本家の江戸屋敷を訪問し、
プレゼントの「かきつばた」を入手した唯七。

しかし、帰ろうとしたときに、偶然火事を知らせる鐘の音が。
近くにいた人に「火事が起きたのは鉄砲洲(江戸にあった赤穂藩のお屋敷付近)ですよ」と聞き、

びっくりした唯七は手に持った「かきつばた」をムチにして、
馬の尻をバンバンたたいて急いで屋敷に帰った。

幸い屋敷には火事の影響はなかったが、内匠頭へのプレゼントである「かきつばた」の花は散り、
茎も折れ、ボロボロになっていた。

これを見た内匠頭は、苦笑いするしかなかった

討ち入りまで
普段は江戸の屋敷につとめていたが、刃傷事件のときは赤穂にいた。
江戸急進派に属し、早くから仇討ちを主張していた。

しかし、なかなか煮え切らない態度の大石内蔵助にしびれを切らし
「ご家老(内蔵助)がなかなか動かないのは、あんたらが腰抜けだからだ!」と
大高源五に八つ当たり。
大ケンカになり、不破数右衛門に仲裁された。

討ち入り
間十次郎と二人で吉良上野介を見つけ、十次郎が一番槍(いちばんやり)を、
唯七が一番太刀(いちばんたち)をあびせ、吉良を絶命させた。

その功で、泉岳寺への凱旋の後の浅野内匠頭の墓前での焼香は
間十次郎が一番、武林唯七が二番

ひょっとすると、唯七の太刀の方が槍より早かったかも知れない
おそらく、とても微妙
本人は自分の方が早かった気がすると思っているんだけど
その場の流れが、間十次郎が一番槍って事になっちゃった。
まあ、良いか、と譲った
でも、あんまり、十次郎がはしゃぐもので
おいおい、本当は分からないんだからね、と釘を刺した。

切腹
介錯人が、首を斬り間違えちゃった。
ありゃりゃ。
唯七は、すでに一度首を斬られながらも、
この失敗を大きな声で叱り、二太刀目でようやく絶命した

辞世の句
三十年来一夢中、捨身取義夢尚同、双親臥病故郷在、取義拾恩夢共空

元は中国人で、孟子の子孫だというプライドです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です