[神社] 稲荷って何?

八幡神社について、少し前にシリーズでお話ししました。
[神社] 八幡神社が一番多い理由、その4
今後、不定期ではありますが、色んな神社についてお話ししていきたいと思っています。

稲荷(いなり)
八幡神社のところで、全国で八幡神社が一番多いとお話ししました。
1.八幡信仰 7817社
2.伊勢信仰 4425社
3.天神信仰 3953社
4.稲荷信仰 2970社

ただ、これは、神社庁が所属している神社に対して、お宅は何社ですかとアンケートして得られた回答に基づくもの。
摂社、末社といった、神社の境内の中にある子供の神社を含んでいない。
ウォーキングでいっぱい歩いて感覚として分かったのは
摂社、末社では、稲荷が圧倒している。
神社に手水舎(ちょうずしゃ)があるのが当たり前であるように
ほぼ匹敵するくらいの感覚で、稲荷がある

さらに、屋敷の中に稲荷の小さな祠があり、商店の中にも稲荷の小さな祠がある
銀座を歩くと、どれだけ稲荷が多いかが分かる。

そういうのまで含めると、ダントツで稲荷が多い

江戸時代に、江戸に多いものの例えとして
伊勢屋稲荷に犬の糞、というのがある

江戸に多いものの例えと言っているのは
江戸以外にはそれほど多くないということを含んでいる。

関西って、稲荷はあまり見かけない
稲荷社の総本社は京都の伏見稲荷ですが
ひょっとするとそのイメージが強すぎるのかも知れない
江戸のように小さいのをぽこぽこ作っては、伏見稲荷に申し訳ない
作るんなら、ちゃんと伏見稲荷から勧請してもらって、という感覚かも。

稲荷って
困りました。
稲荷はとても難しい。
分からないことだらけです。

稲荷神って一体何?
そもそも神様なの?ひょっとして仏様?

狐が稲荷神だと思っている人もいるかもしれない。
実は狐は、本殿に祀られている神様ではなく、単に「使い」。

神様が、ちょっとタバコ買ってきて、と言ったら使いっ走りするような

じゃあ、神様は?

稲荷の始まり
始まりは予想通り、伏見稲荷のあたり
京都南部。
伏見稲荷の背後に稲荷山が控えるが
その稲荷山には3つの峯があり、峯自体が神様という位置付けです。

稲荷は、その名の通り、稲の神様
最初は伊奈利と書いていました。
古事記にも日本書紀にも出てきません。
八幡神と同様に、渡来人の秦氏の神様
秦氏が稲作を広めていく中で、祀った神様です。

変遷
八幡神をはじめとし、色んな神様が変貌を遂げますが
稲荷こそ、臨機応変と言いましょうか実にころころ変わっていきます。

まずは、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)とくっつきます。
『日本書紀』では倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
古事記日本書紀と関係無いところから始まっていますので
一緒です、と言っておく必要があります。
倉稲魂命には稲の字が入っていますね
一つ一緒なら全部一緒。

神仏習合(しんぶつしゅうごう)
次は仏教
弘法大師空海に気に入られたのが大きかった。

空海が稲荷神の化身と会う
その後、東寺にも来てくださいねと言い残す。

待っていると家族連れでやって来た。
大歓迎で接待したあと、空海が材木を用意して
伏見稲荷大社が出来る事になる

それ以降も、伏見稲荷と東寺の親戚のような関係が続きます。

本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ)即ち
神様は、仏教の仏様とすれば誰?っていうのは
荼枳尼天(だきにてん)ということになります。

そして、仏教と稲荷の仲の良い理由の一つに豊川稲荷の存在があります。
八幡神が宇佐八幡宮、石清水八幡宮、鶴岡八幡宮のビッグ3がいたがゆえに全国展開出来たように
稲荷も、伏見稲荷だけではなく、豊川稲荷からの勧請も数多くある。

そして何と、豊川稲荷って神社じゃなくって、寺院、お寺なんです。

さあこの後、どう発展をしていくのか
そして、狐はどうからむのか

続きはシリーズの次回でね

[神社]シリーズはこちら(少し下げてね)

[大奥]15 一条美賀子。身代わり正妻。

いよいよ、大奥シリーズも最後の15代将軍となりました。

林真理子さんの「正妻」という小説を読みました。

一条美賀子(いちじょうみかこ)
13代将軍家定の後の後継者争いが最も激しい頃
一方の候補者、一橋慶喜(ひとつばしよしのぶ)の正妻選びが行われます。

ひょっとすると、そのまま、慶喜が将軍になり、御台所(みだいどころ)になる可能性もあります。
将軍の正妻の慣例に従って選びましょう。

慣例は、宮家(天皇の親戚)か五摂家(摂政関白に成り得る特別の名門)

五摂家、一条忠香の娘・千代君(照姫)と婚約
婚礼を待つのみ

ところが、婚約後、疱瘡(ほうそう=今の天然痘)を患ってしまいます。
幸い命はとりとめましたが
顔に大きなあざが残りました。

今出川延(いまでがわのぶ)にお呼びがかかった。

うちに養子に来てもらえんやろか

この顔で嫁に出すのは憚れる
かと言って、丸きり断ってしまうのは難しい。
身代わり立てましょ、と。

えっ、私、摂家でもないですし。

いやいや、ここだけの話。
先の家定公の時、うち一条家から娘を出したんやが
分家の娘を養子にもろうてな。

家定の一人目の正妻が亡くなって、二人目の正妻は一条秀子
分家とは言え、最も貧しい下級公家の娘。
すぐに亡くなってしまう。
まあ、その時よりはまし。
という表現もどうかと思いますが。
三人目の篤姫だって、島津家から輿入れ直前に近衛家に養女に入っています。

美賀子にしよう
そなたにぴったりな名前や

一橋
旦那様、慶喜は優しかった。
おそらく、どんな女性にも。

ただ、とても変な性格なんですが。

正妻としての扱いはしてくれた。
それなりの頻度で通っては来てくれる。
ただ、その最中にも心ここにあらず的感じがする
気のせいだ。
そう思うことにしよう。

慶喜の母代わりとして長く世話をしてくれている、徳信院(とくしんいん)という女性がいる
ただ、母代わりと言ってもとても若い。
慶喜とそれほど歳が違わない。

徳信院は謡曲がとても好き。慶喜も好きで毎晩のように部屋に通う
美しい人

嫉妬した。

謡がそないに好きであらしゃいますか

ああ、一番の楽しみだ

それは、徳信院さんと御一緒やからでないですやろか
殿様は、女として徳信院さんをお好きなんと違いますやろか

たわけ

扇子が飛んできた
眼が充血し、肩で息をしている。

ここには二度と来ぬ。分かったか。それが嫌なら京に去れ。

季節が変わっても、慶喜が美賀子の部屋を訪れる事はなかった。

周りでは、徳信院に詫びを入れ、慶喜との間をとりなしてもらえと言う
意味が分からない。
なぜ、正妻の自分が詫びを入れないといけないのか

気が狂いそうになる
何の為に自分はここにいるのか

紐が目に入った。
鴨居の下に台を置き、紐を渡した。
紐が首を締め付ける

助けてー

目を開けると、女中の顔が見えた

死ねなかったのか。
情けない。
なぜあの時、声をあげてしまったのか

薬で眠り続け、次に起きたとき、目の前に男性がいた

殿様
みっともないことをいたしました。
こうなりましては、京へ去る覚悟でございます。

別に帰らなくても良い
大変驚いた。
それほどのことなのであろうか、私のしたことは

私にとりましては・・

女というのは本当に分からん

謝罪や慰めの言葉はなく
疑問や苛立ちの言葉ばかり

自分がしたことを考えるとある程度は分からないではない。

でも、次に口から出てきた言葉が信じられなかった。

この際、お前に言っておくことがある
わしは女に大層好かれるのだ

・・・

これからも女の事で何かあるかも知れぬ
ただ、それはわしからではなく、女の方が勝手にわしを好いてしまうのじゃ。
そなたは正妻じゃ
美しいし、わしはかなり気に入っている
しかし
嫉妬深いのは大層困る
何かあるたびに首をくくられては大変困る

この自殺しかけた女性を前に言うべき事だろうか

具合が良くなってから
慶喜は毎晩のように部屋に来るようになった
激しく求めることもある

あまり考えないようにしようと思った
そして、美賀子なりに一つの結論を出した。

殿様は本当に変わったお人なのだ

出産
二年が経過した。

子供が欲しい
そう思うようになっていた。

そして、その日がやって来た。

女の子だった

申し訳ございません

良い良い。別に女でも構わぬ

殿様、この子の名前でございますが

ああ、好きなようにすれば良い

お名前を一文字いただけませんでしょうか
喜子(よしこ)と名付けとうございます。

いかん。喜子はいかん。

そやかて、殿様のおめでたい字にあやかりとうございます。

いつ頃だったかのう。一昨年くらいの夏だったと思う
女中が孕んでわしの子を産んだ。
勝手に喜子と名付けたが、その日のうちに亡くなってしまった。
縁起が悪いから別の名を考えることだな。

慶喜は席を立った。

女中が目を真っ赤にしている

殿様は、何と言うことを言わはりますのやろ
前に赤子がいらしたて、今このおめでたい席で言わんでも。

ええんよ
殿様のああいうところは慣れてます。
名前は、喜子にするから。

えっ

ええの。私が決めたの
喜子て大きゅう書いて貼ってちょうだい。

ねえ、喜子。
喜子。

今後はこの子のためだけに生きていく。
殿様の子を産んだ。
徳信院に出来なかった事を私はやり遂げた。
もう、夫の子を産むことはないだろう
夫にはもう絶望しているから
失望している夫に今後抱かれる事はない。

男の子は側室が産めば良い。

喜子さえいれば

続きはシリーズの次回にね

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無学祖元。気骨の人

名僧シリーズ
前回の鎌倉時代の名僧。ただ微笑む蘭渓道隆。
の続き的話になります。

無学祖元(むがくそげん)
1226~1286年 臨済宗仏光派

無学祖元は中国の僧
蘭渓道隆と同じ感じですね

13歳の時に出家
みるみる習得していきます。

当時、元(蒙古)が圧倒的な武力を背景に、南下して
無学の寺にも攻め入ってきた

元兵が無学に切りかかってきたとき
詩を朗々ろうろうと唱えました。

乾坤孤筇(けんこんこきょう)を卓(たく)するに地なし
喜びえたり、人空(ひとくう)にして、法もまた空なりと
珍重(ちんちょう)す、大元三尺(だいげんさんじゃく)の剣
電光影裏(でんこうえいり)、春風(しゅんぷう)を斬る

(天地も私も一切が「空くう」である。
だから、元兵が三尺の剣で私を斬ろうというのなら、喜んで受けてやろう。
そんなものは電光一閃、春風を斬るようなものだ。
一切が「空」であるから、斬っても「空」である)

元兵の中にも学識のある人がいて

止めろっ
と制し
深々と礼をして、去っていきました。

僧探し
時代は少し経ち、日本です。
幕府や朝廷にも、庶民にも信頼された中国の僧、
蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が亡くなってしまいました。

本場の中国から、一流の僧に来てもらうとやっぱり違うなあ
と実感した、鎌倉幕府の執権となる北条時宗(ときむね)

中国へ僧探しのスカウト要員を派遣します。

野球で言うと大リーグからの助っ人ですね。

景徳寺の環渓は、時宗の手紙を読むと
迷うことなく一番弟子の無学を推薦しました。

私ですか、分かりました。
私も祖国を元に奪われました。
聞けば日本も、侵略される危機にあると。
何とか私が、日本をお守りできる一助になれるのなら。

日本へ
弘安2年(1279)6月
無学が、日本にやって来ました。

時宗は早速、蘭渓がいた建長寺の住持として迎え入れます。

国存亡の危機
国を預かる総責任者としての時宗の
考え方や行動が大きく影響します。

建長寺に日参し
座禅を組んで、心を鍛えます。
無学も持てるもの全てを時宗に与えます。

いよいよ、弘安の役(第二回目の蒙古襲来)です
円覚寺を建立し、無学を開山に迎えます。

戦争で傷ついた人を敵味方関係無く、治療するためです。
大きく言うと元だって中国
元の兵士が敵国の地で、寺に運び込まれ
そこには中国人の僧が温かく迎え入れてくれる
そんなこと考えられないでしょう

いよいよ、時宗出陣

どう進みまする

時宗は
目の前に広がる敵兵をイメージ

カーーツッ

よろしい
行ってなさいませ
決して後ろを振り返ってはなりませぬ。

大軍が押し寄せましたので、壮絶を極めましたが
少なくとも日本軍は気迫と士気において大きく上回り
侵略はされず、元軍は退散していきます。

当初の考え通り
多くの怪我人を治療し
多く出た死者も、敵味方関係無く円覚寺で弔うことになりました。

その時の疲労心労がたたり
時宗は34歳の若さで亡くなります。

一定の役割を果たせたし、
時宗が亡くなった事でひとつの区切りかと、中国へ帰国することにします。

でも、時宗の跡を継いだ北条貞時(さだとき)も、時宗以上に無学に惹かれていました

多くの弟子達、信者達に懇願されます。

もう少し私にもやれることがあるのかも知れない。

その後、大干魃があったりと大変な時代は続きますが
無学とその弟子達は、乗り越えていきます。

61歳、日本で天寿を全うすることになります
ひとつの詩を残します。

来たるも、また前(すす)まず、去るも、また後(しりぞ)かず。
百億毛頭(ひゃくおくもうとう)に獅子現(ししげん)じ、百億毛頭に獅子吼(ほ)ゆ
(生も死もない。全身を勇者の獅子と化して、吼えつづけるだけだ)

索引はこちら
[名僧]シリーズはこちら(少し下げてね)

おばけ煙突を見に行きました。

週末です。お出掛けです。
と行きたいところが、歯が痛い

下の奥歯は全く無く、上の両方の奥歯は随分前からもう限界
次痛んだら抜かざるを得ませんと言われている。

とうとう、その時がやって来た
今日は、応急処置ですが、次回は抜いて
入れ歯も作りましょう。

出たっ。入れ歯、下の奥歯で作ったけど、はめると痛くて痛くて
結局全然着けなくなっちゃった
今度は上下だから倍痛いのかなあ。

抜くのは9/15結構先になります。

帰ってきて、カミさんが、今日はどこでも行ってきて良いよ
カミさんは家での仕事です。

やったぁ

とは言え、薬はもらったものの歯が本調子じゃないので
イベントのお昼予約探しだけにしよう。

北千住
イタリアン
若干お高めではありますが
パスタランチは前菜、デザートとワンドリンクまでついて1500円(税別)
前菜だけでもこんな豪華

失敗失敗
メインのパスタを撮すの忘れた。
デザートは、パンナコッタ。
そないなもん、はじめて食べた。

一番ビックリしたのがドリンク
普通、ランチにドリンクと言えば、コーヒーですか、紅茶ですか
何とここは、ビールとかリキュールを含めた、40種類くらいから選び放題

そりゃビール飲まない訳にはいきますまい。
カシスビールって飲んだことない甘いビール
美味しかったなあ

イベントの場所をいくつかおさらいして

ひとつだけ行っていなかった所に行った
ラジオ体操発祥の地
腕を前から上にあげて、背伸びの運動から

ラジオ体操始まりの時の面白エピソードはこちらを見てね
ラジオ体操っ。だいいちーっ

このまま、帰るというのも何だし
一ヶ所位どこか行くかな

グーグルマップで見てみるとおばけ煙突モニュメントというのがあった
そこまでちょっと距離がある

どういうルートで行くかな

あっ荒川があるじゃない、折角だから荒川を歩こう

荒川


スコーンと広くてああ気持ち良い

それにしても、こんな暑い中良くスポーツできるよなあ
スポーツする人って尊敬する

その中で初めて見たスポーツ
ラグビーに似ているんだけど、ボールがフリスビー
見ていてとても面白いスポーツだった
見ていて面白いって言うのは良いですね
オリンピックに採用したら良いんじゃないかなあ
ネットで調べてみたら、おそらく「アルティメット」っていう競技

おばけ煙突
あったー
おばけ煙突モニュメント

大正15年から、昭和38年まで、千住火力発電所で40年間親しまれた煙突

こち亀の漫画とかでも良く出てきていた。

4本の煙突なんだけど
見る角度によってお互いが重なって、1本、2本、3本、4本と4通りに見える
だからおばけ煙突

私は関西人なので分からないけど
昔から東京に住んでいる人は
昔懐かしい東京の風景となると
真っ先にあがって来るものでしょう

一回、どうしても見たかった。

これが解体した煙突の一部を使ったモニュメント

モニュメント越しのスカイツリー

その横に、20分の1スケールの煙突が作ってありましたのでやってみました。
4本

3本

あるいはこれ

2本

1本

煙突の位置を示す図面はこれ

モニュメントがあるのは、帝京科学大学なんですが
その隣の発電所の敷地が実際にあった場所

隅田川のすぐ横です

隅田川大好き
隅田川テラスを多少散策し
尾竹橋(おたけばし)を渡って

結構距離はありましたが、町屋駅まで歩いて、帰ってきました。

おでかけマップ