荒川区でお寺巡り
の続きです。
満光寺
うわっ、何この門。すごいー。中側からだとこう
元々は上野の不忍池あたりの名主二葉和泉守が開いた寺で
寛永寺が出来たことでこの地に引っ越してきた。
二葉家ゆかりのお稲荷さん
二葉家ゆかりの閻魔さん
一画にこじんまりではあるがとても落ち着く庭園
あずまやがあったのでゆっくりくつろぐ
うわあ、キリシタン灯篭だ
真ん中辺がぷくっと膨らんでいるのがキリシタン灯篭
キリスト教って禁じられていたから、おもてだって十字架を崇拝出来ない
真ん中が膨らんでいる事によって、十字架に見立てている
ひょっとすると、二葉家ってキリシタンだったのかも
満光寺って浄土宗。
我々が思っているよりもっと柔軟で
キリスト教と仏教の信仰って共存できるのかも知れない
この黄緑色も緑青(ろくしょう)なんだろうか
でっかい阿弥陀如来
大仏と呼んでも良いレベル
阿遮院(あしゃいん)
百万遍念仏の用具があり、8メートルもあるそうです
見れはしませんでしたが、ネットで百万遍念仏の用具を検索しました
他のお寺のものですが、こんな感じ
下尾久石尊(しもおぐせきそん)
暦応(1338-42)の頃、しばしば起こる地震に、
村人が不思議に思ってこの地を訪れたところ、約60cmほどの不思議な石
神様として祀ることにした
「出世石尊」と呼ばれることになる
災いをもたらすものは丁寧に祀れば逆に強力な神様になってくれる、
という日本独特の考え方です
この石かな
掘っても掘っても掘り尽くせないという話もあるので
立石で見た立石様と考え方は一緒
立石様はほんとはでかい
石の種類としては、立石様と同じ。
古墳の石室に良く使われる種類というから
やはり何か特別な意味を持つ石だったのかも
横の庚申塔は元禄11(1698)年。5代将軍綱吉の頃。
1600年代のものはなかなか見れません
出たっ。
最近、荒川放水路に関連して勉強しました。
荒川の堤防で守られている地域って、川面より、さらに言うと海面よりも低い
一番大きい原因は地下水を汲み上げた事による地盤沈下だけど
もっと大きく構造的にそうなる運命にある
堤防を人口的に作る前の時代は、川は頻繁に氾濫したけど
氾濫することによって、土砂が地域全体に積もり、土地を引き上げる事になる
自然に土が固まって沈下していって、また氾濫して、を繰り返すんだけど
「氾濫して」がないと土地は沈下する一方
いわゆるゼロメートル地域が広がっていくことになる
さらに言うと、堤防で氾濫しないようにするということは
川の上流から運ばれた土砂は堤防より内部にしか溜まりようがないので
川面って少しずつ上がっていってしまう
人が土砂をさらう等の事を行わない限り、中と外の高さの差は広がる一方
こういう地域は、あちこちにポンプがあり、雨水等を川まで引き上げている
尾久の原公園
どでかい公園です
芝生広場
ここまで広いと気分がスカーッとする
よし、ここで作戦決行だ
大きな声では言えないのですが
実は・・
金がない
お小遣いの蓄えが全くなくなっていることに先日気づきました。
ウォーキングを続けるためにひねりだした作戦。それが
「交通費以外ゼロ円作戦」
出かける時に、弁当箱にご飯と昨日の残りのおかずを詰めました
出番だよ
炭酸水も家から持参
良いんじゃない?
ポカポカ公園で食べるお弁当
原稲荷
ここのよこにある庚申塔はさっきの元禄よりさらに古い正保4(1647)年
なんと3代将軍家光の頃
泊船軒
屋根の大きさに圧倒されます
本堂天井には、小室翠雲の「雲龍図」、
内陣の格天井には、日本画家による「花鳥風月画」が納められている筈なんですが
一生懸命覗き込むものの見えませんでした。
ネットから拝借
大失敗
本来、山吹の塚を見に行ったのに、絵を覗き込む事に夢中になり
すっかり忘れておりました
またまたネットから拝借です
太田道灌の山吹伝説はどこだ!論争の候補地のひとつ
「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき」
山吹の里伝説はこっちを見てね
鎌倉古道と高田富士
目白からあれこれ。二回目
さあ、帰りはチンチン電車で帰ることにしましょう
都営荒川線、今は東京さくらトラムというお洒落な名前がついています
線路沿いはバラで有名
秋バラが綺麗に咲いていました
チンチーン
[お出かけ]シリーズはこちら(少し下げてね)