鎌倉古道と高田富士

週末ですが、カミさんがいます。
お出かけはあきらめましょう。
カミさんは家でお仕事

カミさんがいるときの掃除はとても大変

いつもやってるようにちゃんとやってね
ハーイ

ソファーをどけたり、拭き掃除したり
はしっこは、細いノズルを使いましょう

クリーニング出してくるね
そのついでにこっそり図書館に寄って
本をまたいっぱい借りてきました。

その中で「東京記憶の散歩地図」という本
東京散歩ものは、ずいぶん読んでかなり歩いちゃってますので
普通のだとほとんど知っていることが多い
この本は心霊スポットとかが好きな小池壮彦さんという人が書いていて
かなり視点が違う。
とても助かります。

読み初めて13:00過ぎ

散歩行ってくれば?

良いの?

気が変わらないうちに、さっきの本と、この前の「東京まちなか超低山」の本を持ってゴー

4時か5時には戻ってきてね

ハーイ

とりあえず電車に乗り、必死に本を読んでどこに行くか決めます。
遠いところは無理だし。
行った事はあるけど、視点が違うので雑司ヶ谷からのこのコースにしよう

雑司ヶ谷から
坂を下って明治通りの学習院坂下
この辺りから、幽霊がタクシーに乗ります

女性の幽霊が「新宿まで」
気づくと女性はおらず、後部座席はじっとり濡れている

雑司ヶ谷霊園が近いのでそういう連想になるのだとのこと。
なぜここまで幽霊が出張してくるかというと
ここまで来ないとタクシーが拾えないから
なるほど、そりゃそうだ。

金乗院(こんじょういん)
金乗院は別名目白不動
五色不動のひとつで丸橋忠弥の墓もあるのでイベントでも来ています。
こちら

まさかここで新たな視点があろうとは

この奥、今墓地になっているところに、関所があった。
しかも、処刑所まであった。
江戸時代よりずっと前、おそらく鎌倉時代

おそらく高台になっているところ
そこからの眺めです

ということなので
前の宿坂という道は何と鎌倉古道だということになります

そう言われると、二つ看板があって、目白不動の話ともうひとつ。

南蔵院と続くこの道もイベントで通ったのに、全然意識していなかったなあ。

ということで、このあと、新たな視点「鎌倉古道を辿る」となります

山吹の里
鎌倉古道が神田川にぶつかる、面影橋のあたりは山吹の里と言われています

七重八重花は咲けども山吹の(実)みのひとつだになきぞかなしき
太田道灌と美少女の伝説です。
詳しくはこちら

ここに山吹伝説の碑があります。

本では、この碑の事もかなり詳しくのっています。
貞享三年と彫られているので、貞享三年(1686)年(5代将軍綱吉の頃)に作られたものと思いますよね
残念!
江戸時代にこの碑について書かれた文献がひとつもない。
ここは、明治に田中光顕(土佐藩出身の明治の大物政治家)の一無庵という庵があった
一無庵は別名山吹の里と呼ばれ、入口に「山吹の里」と横書きで書かれた石碑もあった
この縦書きの石碑は、貞享三年に作られた無縁仏の墓石を改造して作られたものだと思われます。

鎌倉古道
神田川を越えて向こう側
ビルとビルの間の隙間に鎌倉古道が続くとなっています。

出ている写真を元にそのビルを探します。

あったぁ

これが鎌倉古道

奥は天祖神社

そして、亮朝院(りょうちょういん)というお寺の墓地の横の崖沿いに鎌倉古道は続いて行きます。


子育て地蔵のところに繋がります。

そこに戦前の西早稲田の街並み、の地図が貼ってあった。
写真に撮って鎌倉古道に色をつけてみるとこんな感じ

高田富士
ここでテーマを変えて、もうひとつの本、「東京まちなか超低山」へ
ここへ来たなら、高田富士

東京まちなか超低山を読んでいてびっくり
甘泉園に、高田富士って絵がついてるぞ
そんなぁ

甘泉園は早稲田の近くの庭園
金乗院にも行った目白からのイベントで立ち寄ったとても良い庭園
まさか、高田富士ってそんな大物を見逃していたなんて

高田富士とは富士塚ファンとしては基本中の基本
江戸に初めて出来た富士塚なんです。
富士塚その1
富士塚その2
作った場所は今の早稲田キャンパスの中ということだったから諦めていた。
それがなぜ甘泉園に?
甘泉園に行ったとき、甘泉園にも隣の水稲荷神社にもそれらしいものは無かったと思う。
そんなの見落とすかなあ

行ってみよう

もう一度本を見ると、水稲荷神社の方

これか?


あとで分かったのは、これは富塚古墳
それはそれで貴重なものだが富士塚ではない

もう一度ゆっくり本を読もう

なるほど、そういうことか

確かに植木職人の高田藤四郎が作った高田富士は今の早稲田キャンパスの場所
甘泉園も水稲荷神社も富塚古墳も今の早稲田キャンパスの場所
早稲田キャンパスが拡張するにあたって
甘泉園も水稲荷神社も富塚古墳も、そして高田富士もごそっと移築した
高田富士は元は10m
丸々壊して、新しい場所に作り直し
今度は6mと少し小さめ

厳密には、日本最古の富士塚と言えないかもしれないけど
やっぱり高田富士は高田富士。特別の意味を持っている

「参道からは山容が見られないこともあって、気づきにくいかもしれない
ましては普段は素っ気なく閉ざされているのでなおさらだ
登拝は7月下旬の二日間だけ」

がぜん挑戦意欲がめらめらと
本の中に地図を見つけた。
そうか、もっと入口近くなのか

正面からは頂上のほんの少ししか見えない

甘泉園側の裏側に回り込み、やっと何とか写せたが、良く分かりませんよね

そもそも、看板もグーグルマップでのポイントも何もない
そりゃ分からなかったはずです。

日本で初めての富士塚なのに。せっかく移築したのになんでそんな扱いなんだろう。
悲しくなります。

7月のその2日間に来るしかないのでしょう。

その日に登った、著者のイラストがこちら

せっかく甘泉園に来たので、写真も撮りました。
やっぱり良い庭園だ

おっと、こんな時間
続きはまたの機会として、今日は帰りましょう

おでかけマップ

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