[首相]38 池田勇人。貧乏人は麦を食え

首相シリーズ
私は1960年生まれなので、いよいよ私が生まれた後の首相になります

池田勇人

佐藤栄作と並ぶ吉田学校の筆頭格です
吉田学校、というのは正式にそういう学校があるわけではありませんが
吉田茂を慕って吉田邸に集まり、日本の将来を語り合った仲間たち

そのメンバーが中心になって「保守本流」という大きな流れを作り
永い間、保守本流中心で日本の政治は動いていきます。

生い立ち
広島で、裕福な家庭に生まれる
子供の頃はガキ大将
期待を一身に背負い、一高、東大へ進もうと希望
しかし、一高は落ちてしまい、熊本の五高へ行くことになる
ここで、同級生になったのが、あの佐藤栄作

佐藤栄作は東大に受かるが、池田は不合格
浪人して京大に入る

京大では一念発起して猛勉強。
難関の高文(文官高等試験)に合格
京大卒業後、大蔵省に入る
広沢真臣という維新の立役者の孫の直子さんと結婚
順調に出世を重ねていた

ところが
落葉状天疱瘡(らくようじょうてんぽうそう)という、大病を患う
当時は明確な治療法がなく、死に至る病気
やむなく大蔵省を退職することになる

闘病生活は5年に及び、
その間に、奥さんの直子さんが狭心症で急逝してしまう

池田のお母さんが、遠縁の大貫満枝さんが、医師の娘だったために看病を頼む
満枝さんの献身的な看護のお陰で、奇跡的に完治

満枝さんと心が通いあって、再婚を決意
親には大反対されるものの、勘当同然で結婚を強行

大蔵省に再入省
5年間の遅れを取り戻すべく猛勉強
どんどん出世していって
第一次吉田茂内閣の石橋湛山大蔵大臣の時、
事務次官にまでなる

この時、佐藤栄作の紹介で吉田茂に会う
吉田茂に政治家への転身を指示され、選挙に立候補
初挑戦ながら見事に当選

すると、吉田茂は世間をあっと言わせる人事を実行する
大蔵大臣池田勇人

えっ、それ誰?
そういうと、初めて当選した人にいたよなあ

大抜擢中の大抜擢

吉田茂の右腕となって、あらゆる課題にバンバン取り組んでいく

ところが
思ったことを口に出してしまう性格が災いし
一部分だけをマスコミに切り取られて大批判を浴びる
「貧乏人は麦を食え」
今でいう大炎上

辞任せざるを得なくなってしまう

極めて高い能力があったのが自民党内では理解され
吉田茂内閣の後の石橋湛山内閣や岸信介内閣で、大蔵大臣、通産大臣を歴任していく

岸信介が安保改正で辞任

いよいよその時がやって来る

池田勇人首相誕生
そして、あの所得倍増

この続きはシリーズの次回

[首相]シリーズはこちら(少し下げてね)

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