[洗濯] 干し方のコツ

[洗濯]カミさんには内緒。間違いだらけの洗濯術
[洗濯] 水より後に洗濯物を入れる
[洗濯] プレウォッシュできれいに
の続きです

洗濯ネット
カミさんが大好きな洗濯ネット
おしゃれ着や下着など型崩れが心配な衣類は洗濯ネットに入れる事があるかと思いますが
洗濯ネットが大きすぎると結局衣類がシワになったり傷んでしまいます
余分な部分をくくっちゃいましょう

干し方
最初に一番衝撃だったのを紹介した「外に干しちゃダメ」
干し方に入っていきましょう
晴れた日は紫外線がいっぱい
人の肌に良くないのと同じで、洗濯物にも良くない
色の濃いものについては、色褪せていってしまいます

なるべく狭い部屋に干す
湿度を下げやすいためです
サーキュレーターと除湿機で乾かします

湿度は低いところに貯まるから
なるべく高いところに干します
ジーンズなどの乾きにくいものは裏返してポケットを外に出し
ハンガーを2つ使って表面積を増やします

乾き安いものは風を当てなくても十分に乾きますが
乾きにくいものに風を当てるときは下の方だけでも大丈夫です

ニットなどは伸びてしまわないよう
ハンガーを2つ使って重さを分散させます
最近は平たく干すハンガーも売っているそうです

汚れの落ちるメカニズム
洗い→脱水→すすぎ、のうちどこで汚れが落ちるでしょう

そんなの洗いに決まっていると思いますが、違うそうです
ちゃんと汚れが落ちるのは脱水とすすぎ

全自動モードですすぎをすると、水が足りない。
今の洗濯機は売るために節水を強調しすぎているからです
だいたいの洗濯機はマニュアル設定ができるので、脱水の時間を短めにし
すすぎの水量を多くする
これでバッチリね

[家事]シリーズはこちら(少し下げてね)

お蕎麦と大國魂神社と武蔵野ふるさと資料館

(1/13[土]の事です)

いよいよ、カミさんが仕事を変わり、週末が休み
こりゃ大変。秘密でお出かけしていたのをどうしたものか

美味しいお蕎麦を食べたいと言い出しました
美味しいお蕎麦となると毎回調布の深大寺そば
ちょっと違うところにしようよ

私は山ほど神社仏閣にお詣りしていますが
カミさんは初詣をまだしていませんので初詣もしたい
その組み合わせを考えつつ、色々ネットで調べます
あれこれ却下されて、府中でなんとか落ち着いた

府中は大得意
昔、武蔵国の国府のあったところなので史跡の宝庫
いっぱい解説できます
さあ、車で行きましょう

ふるた
駅で言うと府中の隣、分倍河原駅のすぐそばのお蕎麦屋さん

駐車場がとんでもなく分かりにくい場所にあり苦労した
カミさんは天ぷらセット

私は湯葉丼セット

一口食べて
あっ普通じゃない
手打ちなんでしょう。ちょっと固めの、経験のない食感
何とも美味しかった

府中と言えば、足利尊氏の高安寺
カミさんを案内しようと一生懸命説明
山門がすごいんだよ。弁慶の井戸もあってね

横を車で通って、ここが高安寺・・

はい、見たぁ

ここの和菓子屋さんでこの前買って帰ったよ

えっそうなの?なんてとこ?
あとでそこ寄りましょう

これは食いついた

駅の地下駐車場に車を止めて
ほら、八幡太郎義家だよ

あっ、そう

夜に竹灯りがともるようだ

大國魂(おおくにたま)神社


まだこの時は孫は亡くなっていなかったので、カミさんもお詣りしたかったのでしょう

裏までぐるっと回りましょう

大きな御神木

御神木自体は枯れかかっていたけど、その辺りは巨木だらけ

こんなに木が大きかったら日陰になって洗濯物乾かないじゃない
きっと切りたいと思ってるよ

あっ、宝物殿開いている

入ろうか。何度か来ているけど、宝物殿はなぜかいつも閉まっていたのよ

何があるの?

何だろうね。ほらお神輿とかあるよ

お神輿みて何が面白いの

こっちはどう?
これ面白いんだよ
ふるさと府中歴史館
府中は武蔵国の国府だから、歴史の宝庫
万葉集とかも、ハイテクの仕掛けで説明してくれるんだよ

あっそう

そっちの奥にはね
国府跡が発掘されて、柱とかが再現されているんだよ

お饅頭行こうお饅頭

亀田屋

さっきネットで調べたらね
鮎もなか、っていうのが有名らしいよ
字を武者小路実篤が書いたらしいよ

えっ、そうなんだ

知らなかったの?
あら、そんなことも知らなかったんだ
あらら、びっくり

うるさいわ


もなかの皮が薄くほぼほぼあんこでした。

(1/14[日]の事です)

イオンに買い物を頼まれた
車で行くことになります

よし、車だったら一ヶ所くらいどこか行ってもばれないだろう
武蔵野市のふるさと資料館行ってみるかな

武蔵野ふるさと資料館

こじんまりした資料館
写真で見た1t爆弾ここに展示してあったのか

あとで、子供向けではありますが、展示内容がパンフレットになったものをもらえましたので
そのページと見比べながら、時代の古いものから紹介していきましょう
■旧石器時代、縄文時代




最近、縄文時代については3冊本を読んだのでかなり詳しくなってきました
改めてどこかで書きますね

■古代、中世

武蔵野八幡宮の境内から見つかった蕨手刀(わらびてとう)

■江戸時代

明暦の大火で江戸は丸焼けになり、復興するにあたって江戸幕府は抜本的な都市計画を実施した
大火に強い町作りとして、類焼を少なくするように道を広くしたり
お寺も民家も大移動
移動先が、ほぼ開発されていなかった武蔵野の土地
例えば、住みたい町ランキングトップで有名な吉祥寺は
吉祥寺というお寺が駒込に移ったけど、その門前町はごっそりと武蔵野市の吉祥寺に移転
だから、吉祥寺には「吉祥寺」というお寺はない
その隣の西久保村は、港区の現在神谷町あたりから移転
その時の古文書だ
所々だけど読めるぞ。よしよし


■明治時代
中央線でとても便利になった

■昭和時代
やっぱり中島飛行機
主なる目当てはこれ


映像が流れ、米軍側の資料とかも含め、詳しく紹介されていた

ちょうど一時間ほど
さあ、急いでイオンへ

ただいま

あら、ずいぶんイオンは混んでいたのね

そうよ。レジが大行列でにっちもさっちもいかんかったわ

[お出かけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

小平市史跡巡り3

小平市史跡巡り2
の続きです

平櫛田中美術館
彫刻家では超有名な人なんですね
お恥ずかしい。全く知りませんでした
平櫛田中(ひらくしでんちゅう)と読む彫刻家の号
幼い頃は田中姓だったんだけど、平櫛家に養子に入ったから、二つの姓をくっつけて号にしたらしいです

とても長生きした人で、何と107歳まで生きた
その時の長寿記録保持者
同じ時に泉重千代さんという人がいて、120歳ということで、私も名前に記憶があるけれど
その後、出生年が疑わしいとのことで今は否定されているらしい
ということでくりあがり
玉川上水沿いの平櫛田中美術館の場所は、「九十八叟院(きゅうじゅうはちそういん)」と言って、98歳の時に移り住んだ邸宅
余生を楽しむためではなく、ここでもどんどん創作

一番有名なのが鏡獅子
そういえば見たことあるような
美術館内は撮影NGなので、
購入した絵葉書やネットからの引用で紹介していきます

鏡獅子
さすが代表作
戦争中で製作出来なかった時期を含むとはいえ、20年もかけて作り上げた超大作


平櫛田中の製作手法は星取り法というもので
石膏でまず作り、そのあと木彫りに移していく
その関係なのでしょうか、ひょっとしてオリジナル作品もいくつか作れるのかな
美術館にあったのはけっこう小さい
本当は、というか有名なのは、高さ2メートルの大迫力のもので
国立劇場に置いてある

六代目尾上菊五郎が全面協力
時には裸になってポーズをとった

出来上がった鏡獅子に感激した国立劇場が2億円で買いたいと申し入れた

これは菊五郎さんと一緒に作り上げたもの
そんなことしたら、先に天国で待ってくれている菊五郎さんに合わせる顔がありません
と、寄付をした

もちろん鏡獅子には引き込まれるものを感じたけど
私が一番心引かれたのは気楽坊(きらくぼう)

後水尾(ごみずのお)天皇は、徳川秀忠の娘と政略結婚させられたことに不満で、
「世の中は 気楽に暮らせ何ごとも 思えば思う 思わねばこそ」という歌をつくり、
気楽坊と名づけた指人形を作らせて、日々のやるせない気持ちを慰めた。
以前、ブログにも書いて、その思いが分かっていたから
後水尾天皇と聞いただけで、この指人形の意味することがよく分かった
ずっと見ていられる

人から求められることが多かったことから、
格好や彩色に様々な変化をもたせて数多く制作している。
絵葉書を買ったのは、色付きバージョン

もうひとつ絵葉書で買ったのはこちら
お坊さん二人が問答をしている様子
こんな良い表情よく表現できたなあ

以上3枚の絵葉書を寝室に押しピンで止めて毎日眺めている






邸宅「九十八叟院(きゅうじゅうはちそういん)」の庭園は
残念ながら、現在改修工事中で囲われちゃっていた
それでも伸び上がってこれだけは写真におさめた
100歳の時に、数年かけて大作に取り組むべく入手した大木

平櫛田中




海岸寺



ここの何が良いって、茅葺きの山門
でも、残念。改修工事中で、囲われちゃっていました

本来ならこんな感じというのをネットから拝借しました


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お通夜と告別式

孫のお通夜が昨日の金曜日で、告別式が今日
大阪じゃなく、東京でやりたい、と遺体を娘夫婦が自分達で運ぶことにした
死亡診断書さえあれば大丈夫らしい

1週間持たせるために、娘夫婦は涙ぐましい努力をした
15度に保たなければならない
この冬の寒いときに、窓を開けっ放しで、自分達は登山用の防寒具を着て頑張る

お父さん(娘の旦那様)の職場であるUSJをはじめとして
大阪の主たる観光地を車で回る
ほら、ここが梅田だよ
ずっと、病院にしかいなかった生涯だったので

娘が言っていた
生まれてからずっと病院で、毎日面会には行ったけど
何かの世話をしてやれる訳ではなかった
亡くなってからは、ずっと一緒で
保冷剤を替えてあげたり、子育てっぽいことができて、楽しかったの

車で東京へ移動中、富士山も見せてあげられた
東京へ来てからは、
東京で住んでいた家、結婚式をあげたホテルニューオータニとかの思い出の地と
東京タワーとかのいくつかの観光地

親族だけの小さなお葬式
北海道から次女も来て参列

お通夜が始まる前、お化粧をして、綺麗になった
別品さんだね
娘も口に紅をさしてあげた

自慢の子供をみんなに見せたかったんだと思う
どう?可愛いでしょ
そのために15度に保ち続けたんだから

心底愛していたんだとよく分かった

お坊さんから有難い話をいただいた
命って、ここからここまで、って考えがちだけど、仏教ではそうではない
生まれる前から、亡くなったあとまで、ずっと繋がっている

たった一ヶ月、短すぎると思ったけど
そうじゃない。ずっと繋がっているんだ

早く忘れられるように、って考える必要もない
ずっと思い出してあげるために
娘夫婦は、この一週間、子供と思い出づくりをしてきたんだ
親と子は繋がっている

立派だった
お別れにだっこしてあげるときや
火葬場での最後のお別れは
涙涙だったけど
式の主催者としての役割や挨拶を
見事にやりとげた

娘夫婦は片時も離れなかった
何をするにもずっと一緒だった
あれ?確かに前から仲は良かったけど、ここまでだったっけ

二人はもうすでに二人のやり方で前を向いていたんだと思う。

明日はずいぶん久しぶりに長女が家に来る
気兼ねのない実家だから、
ゆっくり寝かせてあげることにしよう

これで一区切り

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