下谷の散策

下谷と入谷をウォーキングしました

湯島から
ウォーキングイベントに入谷や下谷を組み合わせられるか調べるのが目的です。
湯島スタートで上野は突っ切って、入谷への時間を計りたい

無縁坂のあと、忍ばずの池を突っ切って

上野公園も越えて・・・
ん?

上野公園東照宮ぼたん苑の看板

前回東照宮に来たとき、ぼたん苑は時期じゃなかったので閉まっていた
そうか、ぼたん苑の時期か
えっ、2/24まで。明日じゃない
今日はその目的じゃないんだけど。

ぼたん苑

ここのぼたん、こんな風に藁被ってます。
かっこいいー

ぼたんは種類も多く、花がとても大きく華やかです
かなりいっぱいあったのですが、そのうちのほんのいくつかだけ



何が良いって、バックに上野の五重の塔


五重の塔と梅

五重の塔と寒桜

五重の塔とぼたんと梅

ああ、やっぱり来て良かった

下谷神社
どでかい鳥居

ここは、落語の寄席発祥の地でもあります。

三生亭花楽がこの地で始めました

明治5年より前は、下谷稲荷神社だったから、この辺は稲荷町です

永昌寺
嘉納治五郎先生が講道館柔道を始めた場所

いだてんでは、役所広司が大活躍でしたね

幡随院(ばんずいいん)
幡随院跡、みたいな案内版はありませんが
古地図に照らし合わせると、この辺が幡随院

幡随院長兵衛(ばんずいいんちょうべい)のいたところです。
日本の侠客の元祖ともいわれる
歌舞伎や芝居で大人気
神楽坂の時にお話ししました水野屋敷に、殺されると分かっていて乗り込んでいく
「怖がって逃げたとあっちゃあ名折れになる、人は一代、名は末代」の啖呵を切ってね

源空寺

超大物の墓が4つも
一人は、先程の幡随院長兵衛

二人目は、谷文晁(たにぶんちょう)
向島百花園でも出てきた有名な画家です。

そして、大好きな三人目
高橋至時(よしとき)

寛政暦を作った人です
麻田剛立の弟子でもあります。
そして、超大物4人目
伊能忠敬(いのうただたか)です。

伊能忠敬
商売で成功し、50歳で引退
それで人生終えても十分なのに
小さい時、星を見るのが大好きだったので
せっかく引退できたからあとは自由にさせてもらいたいと
江戸に出て、天文学の勉強
当時31歳の天文学の最高峰高橋至時に弟子入りします。
20歳も若い人を先生と呼び
一から天文学を猛勉強

高橋至時も持てる知識全てを伊能忠敬につぎ込みます。
地球の周囲の距離を正確に知りたくなり
江戸から出来るだけ遠い場所北海道で測量をしようと思い立ちます
そのための方便として、幕府に地図を作りますからという名目で北海道行きを許可してもらいます。
言わば方便としての地図作りだったのですが
ここから生涯の仕事になります。

師匠高橋至時は、資料集め等
江戸にいて出来る支援は全面的に行います。

ようやく第一弾の地図が完成して歓喜の中
師匠高橋至時が40歳という若さで亡くなってしまいます。
全国を測量のため旅をしてまわっても
正確に江戸の方向を調べ
毎朝、高橋至時の墓の方向に手を合わせます
その場所がここだという訳です。

そして、自分が死んだら、墓は必ず師匠高橋至時の隣に作ってくれと言い残します

そこまでは知ってたんですが
本当に伊能忠敬の墓が、高橋至時の墓の横にあるのを見ると
じーんと来ます。

まだまだウォーキングは続きますので
続きは明日ね

おでかけマップ

下谷の散策」への1件のフィードバック

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