[天皇]82 後鳥羽天皇。二人目の天皇

源平シリーズが追いついて来ましたので、天皇シリーズを再開することにいたしましょう

後鳥羽天皇
1183~1198年

出ました、超大物
後鳥羽が天皇の時期よりは、上皇になってからがさらに激動なので
82代から85代の仲恭天皇にいたるまで、後鳥羽上皇がらみをばらけながら見ていきます。
百人一首シリーズの時に4回に渡り、かなり詳しく扱っていますので
そちらも見てくださいね
[百人一首]99 その前に、後鳥羽院について
[百人一首]99 承久の乱
[百人一首]99 承久の乱、その2
人も惜し 人も恨めし あぢきなく 世を思ふゆゑに 物思ふ身は

神器なき践祚(せんそ)
安徳天皇の在位期間は、1180~1185年
後鳥羽天皇は1183~1198年ですから、一年半は天皇が2人いたことになります。

安徳天皇を平家が連れていっちゃった
しかも、天皇である証、三種の神器も持っていっています

困ったなあ、と後白河法皇
あくまでも安徳天皇と三種の神器を取り返すか
諦めて新しく天皇を立てるか

決めかねるなあ
そういう時は、占いに限る

どうだっ

安徳天皇を待つべし

えっ、そうなの?
参ったなあ

よし、じゃあもう一回

半々

えっ、半々って何よ。どっちかにしてよ
まあ良いか。半々って事は、新天皇っちゅう事

(最初から決めてるやん)

安徳天皇と同じ高倉天皇の子で、安徳天皇と同じ年で4歳の後鳥羽天皇

やっぱり問題なのは三種の神器が無いこと

分かっているね、みんな
それは言わない約束よ

でも、一番気にしたのは本人
コンプレックスをもち続ける

元々能力の高かった彼には
コンプレックスはプラスに働いたかも知れない

政治と文化の両面で図抜けた能力を発揮した。

短歌、音楽(琵琶と笛)、漢詩、蹴鞠なんでもござれ
特に、短歌では、本人の能力もさることながら
短歌という文化の向上に大きく貢献
新古今和歌集を自ら中心になって編纂した。

13歳の時、後白河法皇が66歳で亡くなる
紆余曲折ではあれど、激動の超ワンマン体制が終わりを告げる

さあ、やりたいようにやれるぞ
後鳥羽の親政が始まる

九条兼実を関白とし、
後白河法皇存命中は絶対に許さなかった、頼朝の征夷大将軍を認める

そして、19歳になり、息子の土御門天皇に譲位
土御門天皇は3歳。
良いの良いの、自分もほぼ同じ歳で天皇になったんだから。

1198年、さあ、院政開始だ
1199年が、頼朝が落馬して亡くなった年だから
ここからまた大きく時代が動いていく。

このあとの事は、土御門天皇の時にね

[天皇]シリーズはこちら(少し下げてね)

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