[北条]8-2 時宗。元がやって来た。こあーっ

[北条]3 北条泰時。激動から安定へ。御成敗式目でどうだ
[北条]4,5 経時そして時頼
[北条]8 時宗。元がやって来た。ぶえーっ
の続きです。

文永の役
1274年、文永の役。元の日本への侵略軍がやって来た。
対馬、壱岐がまたたくまに制圧される。
対馬、壱岐には、大した軍勢は駐留しておらず、警固に当たっていた武士はもちろんのこと、島民たちもほぼ皆殺しにされてしまうほどの大惨事

絶対絶命の危機
御家人たちに大号令がかかる
何としても九州への上陸を阻止するんだ。

うおおおっ

肥後の御家人竹崎季長(たけざきすえなが)は大張り切り
わしが阻止しちゃるっ

大将の少弐経資は、みんなに指示
よいか! 今回の相手は、日本人ではない。
わが国の戦では、名乗りを上げて一騎打ちをすることが度々行われているが、
名乗ったところで、元の将軍には言葉が通じない。
総指揮官の下、まとまって行動せよ。先駆けは許さんぞ!

元軍は、新兵器の「てつはう」を投入して、日本の武士たちを驚かせた
てつはうとは、球状の陶器の中に、黒色火薬と金属片を混ぜたもの
今で言えば、手榴弾のようなもの

一進一退の大激戦
日本人も頑張りました。
少しずつ押し返す。

混戦の中、副官の劉復亨が流れ矢に当たって負傷。
元軍は船に後退
そのタイミングでなんとたまたま台風がやって来る
船は大半が沈没
残った船もほうほうのていで逃げ帰った。

バンザーイ

竹崎季長
竹崎季長は頑張ったので、報償をもらうべく申し出た。

ほんまに?証拠はあるの?

えっ、証拠ですか
そんな難しいこと言われても

明らかに傷だらけの体を見て同情してくれ、ある程度報償はもらったものの
証拠がいるのか、と悟った。

それで書かせた絵が自分の活躍ぶりを書いたもの
ちゃんとてつはうも書いてあります。

準備
たまたま台風が来たから勝ったけど
こんなことで終わる相手ではない。
国力は雲泥の差

絶対にまたやって来る

防衛の準備だ
急げっ

異国警固番役というのをもうけ
博多湾沿岸を防塁で固める

鎌倉からは、
攻撃は最大の防御なりと言うではないか
こっちから高麗へ出向いてやっつけて来い

はあ?
命令なので仕方なく出向いたが
そうこうしているうちに元軍は既に、南宋の首都臨安を陥落させた。
これは、元軍が江南地方の水軍をも押さえた事になる

日本が高麗に向かっているうちに、江南からやってきたら万事休す
急いで戻ってきた。

執権時宗は内心怖くて仕方がない
中国から日本にやって来ていた僧、無学祖元のところに聞きに行く

降参した方が良いのでしょうか

私は、元が他の民族に対してやって来たことを全て見て知っています。
降参なんてしたら、日本国民はことごとく蹂躙されるでしょう。
この美しい国土が血に染まり、荒れ果ててしまうでしょう。

あの広大な国土を持つ元に勝てるでしょうか

敵は勇猛なる騎馬民族
馬に乗れば敵無しなのは分かる。
だが、今回は船。
勝機はあります。
まずは日本のリーダーであるあなたが気持ちを固めることです。

喝ーーッ

こあーっ
1281年、こあーっ、弘安の役

前回からの7年余りで、とうとう元は南宋を完全に制圧。
巨大な勢力に膨れ上がっている。

来ました、大軍団

高麗方面から、東征都元帥ヒンドゥ(忻都)、副官の洪茶丘、率いる元と高麗の連合軍が
約4万の兵力で合浦を出港。これを東路軍と称した。
一方、江南からも、総司令官アタカイ(阿塔海)、副官の范文虎らが率いる元の水軍が
約10万の兵力で寧波を出港。こちらの軍を江南軍と称した。
船の数は約4400隻という大船団であった
文永の役とは全く桁が違う。

先に着いたのは東路軍
前回同様、博多に上陸しようとして、目を疑った
前回はこんなものなかったぞ

延々と築かれていた防塁

弓矢もてつはうも石の壁に跳ね返される

仕方なく、志賀島を占領
あの金印の出たところですね

実は志賀島は島ではない
地繋ぎなんだもんねー
馬でどっと押し寄せる

ひえーーっ

たまらず、壱岐島に退却

追えーっ
船で追撃

江南軍も到着

頃は7月
元軍の船の上で疫病が流行り出した
バタバタと倒れ出した。

そんなとき
またまた、台風がやって来た。
学習しなさいよ、って感じ。

こんな時、船の数が多いというのは逆にデメリット
船同士がぶつかりあって大破
4400艘だった船が、200艘になったという記録もある

疫病、船酔い、沈没、溺死
兵士の士気は下がりまくって
大半の船は逃げ帰って行った。

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

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