[天皇]89 後深草天皇。恐ろしや~

後深草天皇
1246~59年。持明院統

天皇シリーズ、ここからやたらにややこしくなります。

前の天皇、お父さんである後嵯峨天皇は、すぐに譲位して、後深草天皇が天皇となります。
後深草には、弟がいます。
後の亀山天皇です。

他にも兄弟はいるのですが
後深草と亀山以外は別のお母さん。

同母兄弟は二人だけなので、仲良くすれば良かったんですがね

後深草は、生まれたときから病弱
ようやく立てるようになっても体が傾いたまま
とても歩けるようになるとは思えなかったが
なんとかだましだまし生きてきた。

そんな後深草が4歳の時、天皇になる
天皇として立てた訳だから、可愛がっているのかというとそうではない。

常に弟の亀山ばかりを可愛がる。

生きる事に一生懸命の後深草
そんな後深草も成人した。

すると、どうしたことでしょう。
とてもとても好色

天皇って世継ぎを作ることが仕事とも言えるので
仕事熱心と言えなくもない。

十七歳の時、お父さんの後嵯峨上皇に言われる。

あなたは病気だから、弟に譲位しなさい。

えっ

そんなこと分かっている
今さらそんなこと言うんだったら、最初から弟を天皇にすれば良かったじゃないか
どうしても許せなかったのが皇太子
その次の天皇を亀山の息子にするとのこと。

この頃の天皇は、どういう政治をするかについては興味がなく
幕府の執権に任せっぱなし。
もっぱら関心事は、自分の息子に早く譲位し、自分の系統で天皇を続けていくこと。
「仕事」を頑張って、自分にも息子が出来たのに。

この遺恨がこのあとの日本の歴史に大きく影を落とします。

詳しい経緯は、次の亀山天皇の時にお話ししますが
後深草の系統を持明院統と言い
亀山の系統を大覚寺統と言って、後々までずっといがみ合う。

大覚寺統の後醍醐天皇は、大覚寺統で独占したかったが故に、乱を起こし
邪魔をした鎌倉幕府(執権)を倒すという行為にまで発展。
実際に鎌倉幕府が終わっちゃいます。

さらに新しく出来上がった室町幕府でまで続き
持明院統が北朝
大覚寺統が南朝となって
皇族が完全に分裂するという事態にまで発展します。

恐ろしや

[天皇]シリーズはこちら(少し下げてね)

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