[三十六歌仙]11 伊勢。待ったりしませんわ

伊勢

みわの山 いかにまち見む 年ふとも たづぬる人も あらじと思へば
(あの三輪山に参りますが、私は待ったりしません。
どれだけ年月が経とうとも、私を訪ねてくれる人など誰もいないと思いますので)

伊勢
伊勢は、父である藤原継蔭(つぐかげ)が伊勢守として赴任していたことからの名前
当時は女性は本人に名前がつくことはなく、家族の名前で呼ばれていたんです。
幼稚園のママ友で〇〇ちゃんのママ、と呼ばれるような感じでしょうか
蜻蛉日記を書いた有名な歌人は「藤原道綱母」ですもんね

天皇の后である温子に使え、永年宮中に勤めました。
若くから多くの高貴な男性たちから求愛され、それぞれ多くの逸話が残されています。

歌人としても才能を発揮し、これらの経験を昇華した歌の数々は
「古今和歌集」にも多数収録されました。

鑑賞
みわの山 いかにまち見む 年ふとも たづぬる人も あらじと思へば
(あの三輪山に参りますが、私は待ったりしません。
どれだけ年月が経とうとも、私を訪ねてくれる人など誰もいないと思いますので)

詞書(解説)がついています。
「仲平の朝臣あひ知りて侍りけるを、かれ方になりにければ、
父が大和の守に侍りける許へまかるとて、よみつかはしける。」

「仲平」とは、当時恋仲であった藤原仲平のことで、
伊勢との関係があるうちに他の女性のもとへ婿入りをしてしまいました。
振られた形となった伊勢は、傷心の思いをこの歌に込め、
当時の父の任地であった大和の地へ行くことを仲平に告げます。

はい、さいなら

短歌って、書かれている31文字だけではなく、背景にあるイメージで楽しむ芸術。
この歌の場合は、三輪の山
歌人たちの間では、「三輪の山」と言っただけで、ある共通認識が出来上がるんです。

平安よりさらに古の時代「古事記」に記された有名な歌

我が庵は  三輪の山もと 恋しくは とぶらひきませ 杉たてる門
(読み人知らず・巻第18 雑歌下)恋しければおいでください、待っています。という内容

みわの山?待っている、ってことだね、となるのを逆手に取った歌

誰も私の事なんて訪ねて来ないわ、とすねているようにも思えますが
女性っていつの時代もそんなに弱くありません。

仲平との恋は伊勢のごく若い時代でありました。
この失恋を乗り越え、ふたたび都に戻り宮中に仕えます
失恋を含む恋愛経験は、女流歌人にとって勲章みたいなもの
小野小町とともに、平安時代を代表する女流歌人として
現代までその名を残しています。

百人一首ではこちら
難波潟 みじかき芦の ふしの間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや
(難波潟の短いふしの間ほどの、短い間の時間すら、会えないとおっしゃるの?
このままこの世を過ごしていけと)

こちらも、仲平との間の歌

伊勢は絶世の美女
京都に戻ってからはあまりに人気者になるので
仲平はもう一度歌をよこします

はあ?冗談ポイ

仲平のお兄さん、あの藤原時平と浮き名を流します。

仕えていたのは、宇多天皇の奥さん、温子
温子は仲平の妹

ややこしくなってきました。

さらに、びっくりするような人から言い寄られます
宇多天皇

それはあかんのと違う?
温子を裏切っちゃいかんでしょう

ところが、温子、意に介さず

宇多天皇との間に子供までできちゃいます。

でも、その子供も宇多天皇も、温子までも亡くなっちゃいます。

意気消沈?

いえいえ

今度は誰にしよっかなあ

はい、宇多天皇の息子、敦慶(あつよし)親王
間に生まれた娘は中務(なかつかさ)
この中務も超有名な歌人で三十六歌仙に選ばれています。

もうひとつ、歌を

いづこにも 草の枕を すず虫は ここを旅とも 思はざらなむ
(どこにあっても草を枕とする鈴虫だが、放ちやったこの庭を旅の宿とは思わないでほしい。
どうか我が宿と思って、ここに居着いてほしいものだ。)

[短歌]シリーズはこちら(少し下げてね)

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