[首相]27-5 東条英機。子供のように大粒の涙を流しながら、退出した

[首相]27 東条英機。南無阿弥陀仏を20回唱えて寝ているよ
[首相]27-2 東条英機。辞表はどうしましょう。
[首相]27-3 東条英機。生きて虜囚の辱を受けず
[首相]27-4 東条英機。四方の海 みな同胞と 思う世に
の続きです。

奏上
1941/10/17 次期首相を決める重臣会議の決定は玉虫色に終わった。
にもかかわらず、内大臣木戸幸一は、天皇に
重臣会議で東条英機と決定しました、と報告

「いわゆる虎穴に入らずんば虎子を得ずということだね」

大命
10/18 天皇に呼び出される。
近衛文麿内閣が総辞職に至ったのは自分のせい
当然、叱責に違いない
意気消沈しつつも気を引き締めた

卿に組閣を命ずる。憲法の条理を遵守するように。
時局はきわめて重大なる事態に直面せるものと思う。
この際、陸海軍はその協力をいっそう密にすることに留意せよ。

あまりに予想と反したお言葉
足がふるえ、こらえていた涙があふれた

退出した東条は車に乗り込むと、気を静めるつもりで
明治神宮、東郷神社、靖国神社を参拝した

結果からの逆算だが太平洋戦争の2ヶ月前

熱し易い性格の東条は、9月6日の時のように
天皇の真意を和平にあると感じ取り
急にがむしゃらに和平のための交渉に動いた

急にどうしたのかとみんな不思議がるほど

11/1会議が開かれた。
1.非開戦、2.開戦、3.決定先送り

急に和平を主張したところで、今までが今まで
説得力なし
何とかかんとか、2.開戦を避け、3.決定先送りで決着
とは言え、期限を切られてしまう。
11/30までで和平交渉に成功しなければ開戦

まずい。天皇になんとも言い訳できない。
とは言え、がむしゃらに動いた和平で何の成果も得られていなかった。

せめて、12/1の午前零時まで待って欲しい。

それ、11/30いっぱいと同じ意味だと思うけど。

11/2 天皇に上奏

「事態がこのようになれば、作戦準備を進めるのはやむをえないとしても、
何とか極力、日米交渉の打開をはかってもらいたい」

東条は子供のように大粒の涙を流しながら、退出した

東郷外相は前駐独大使の来栖三郎を特派大使とし、
野村大使の応援のために遣わすことにした。
東条もこれを認めた

甲案と、結構譲歩した乙案

ハル国務長官。甲案は全く聞いてもらえず乙案提示

アメリカとしても単純な拒否では日本に大義名分を与えかねない

11/26 ハルノートと呼ばれる、かなり極端な案を逆提案してきた。
「日本軍の中国・仏印からの全面撤退」
「三国同盟の死文化」
「重慶(介石)政権以外の一切の政権の否定」

これまでの交渉をすべて白紙に戻したもの

絶望

11/28 ハルノートが閣議で報告された

南雲忠一中将率いる機動部隊がハワイへ向けて出発

期限となっていた12/1 御前会議が開かれた

東条首相と東郷外相が交渉経過を報告し「もはや宣戦するしかない」と告げた

天皇は一言も発せられない

この決定後も外交交渉がまとまるようなことがあれば、
直ちに作戦は中止することになっています。
むろん戦争となった場合は、早期にこれを解決して、
ご宸襟を悩まし奉ることのないよう、全力を尽くすことは申すまでもありません

聞き終えると、無言で席を立った

12月8日に開戦と決定

日本時間で12/8 3:20
爆撃機に搭乗していた指揮官の淵田美津雄中佐は、送信担当の兵曹に打電を命じた。

「トラトラトラ(ワレ奇襲ニ成功セリ)」

[首相]シリーズはこちら(少し下げてね)

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