[足利将軍]3-4 足利義満。室町殿と公方様

[足利将軍]3-1 足利義満。言うだけの事はある
[足利将軍]3-2 足利義満。室町時代の始まりの大行事
[足利将軍]3-3 足利義満。手紙持っていっただけなんですけど
の続きです。

そして、番外編
[ことば]様や殿や方やあなた
の続きでもあります

鎌倉殿
時代は遡り、鎌倉時代
源頼朝は、幕府の長を表すのに「将軍」ではなく「鎌倉殿」という新しい概念を作り上げた
大河のタイトルにもなったのでお馴染みですね

鎌倉にいるひと、を語源とはするが、新しい概念
鎌倉五代将軍までは「鎌倉殿」の名称は引き継がれるが六代以降は親王将軍なので途絶えていた。

足利尊氏になり、これが復活
自らを「鎌倉殿」と呼ばせる
我こそは幕府の長たるぞ、との宣言

足利二代将軍義詮にも引き継がれる
義詮は、南朝の攻勢があったため、ほとんど京都におり、鎌倉にはいなかったが
それでも鎌倉殿
本来私は鎌倉にいるべきで、今は仮の姿だとの意味

三代義満は、本来継ぐべきこの名称を捨てた。
義満は継ぐ事に意味を見いださなかった
自分は尊氏や義詮とは全く違う新しいスタイルの支配者になるのだ
頼朝が「鎌倉殿」に特別の意味を持たせたのならば
我は新しい言葉で塗り替える必要がある

鎌倉殿は朝廷の京都に対する概念

我は朝廷を含め、超越した支配者
場所は京都でなければならない
室町通りに起き、「室町殿」とするのだ

室町殿は室町通りに居を構える一定の位を持ったものを指す
でも、それでは特別の意味にならないから、
現実に室町通りに面していたものに「室町殿」を禁止する

関東に鎌倉府というのが置かれ、足利基氏が関東を治めることになる
そして、鎌倉府の長が「鎌倉殿」と呼ばれる
「室町殿」は「鎌倉殿」の上に立つという構造が出来上がる

公方様(くぼうさま)
江戸時代もそうだが、将軍は公方様と呼ばれる
例えば徳川五代将軍は、「犬公方」だったりする
思えば不思議

武家と公家
公の字は、武家に対する概念のはず

義満は「室町殿」だけではあきたらずもうひとつの呼び名と使い分ける
「公方様」
武士側ではない時の呼び名

ただ、実は「公」の一文字は天皇そのものを指す
さすがにまずい

もちろんそれは分かっていて、公の字を使う事に意味がある
禅に答えを見出だした
中国からやって来た禅宗
寺の役職は「公界人(くがいにん)」と呼ばれ
日本では天皇そのものと強く結び付いているが
中国ではその前の単に公共の、という意味が強かった

何か言われたら、中国のですねえ、と言えば良い

でも、「さすがにまずい」感を薄めたい

あれだ!
婉曲表現です

方をつければ良い
インチキ消火器売りが「消防署の方から来ました」ってやつ

「公方」
様も付けてより婉曲表現の「公方様」

はい、解決

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です