[三十六歌仙]24 藤原元真。卯の花だらけ

藤原元真(ふじわらもとざね)

咲きにけり わがやま里の うの花は かきねにきえぬ 雪と見るまで
自分の住んでいる山里では卯の花の花盛りで、垣根に消えない雪が積もっているようだ

卯の花は、ウツギの事

確かに、雪が積もっているように見えます

初夏の花として、和歌の世界では常連さん
別名を「空木(ウツギ)」と言い、茎や幹の中心部分が空洞になっていることからくる名で、
空ろ、空っぽな木を指しています。

現代では卯の花、空木と聞いてパッと出てくる花とは言いがたい存在になってしまったかもしれませんが、王朝和歌には言うに及ばず、
『宇津保物語』、『蜻蛉日記』、『枕草子』などの作品にも登場する古典ではお馴染みの花です。

卯の花という名は旧暦四月である卯月に咲くからか、
あるいは卯の花が咲くから旧暦四月を卯月と言ったのか両説ありますが、
いずれにせよ季節との深い関わりを窺わせる名を冠した植物です。
卯月は旧暦で言う夏の始まりの月。夏の到来を告げるのはまさに卯の花の開花だったのです。

あれ
卯の花?
おからの事じゃなかったっけ

はい
おからはウツギ(卯の花)にそっくりだからです

そうかなあ

実はもうひとつ理由が
おからの「から(空)」という音を嫌ったんです。
空つながりで「空木(ウツギ)」で卯の花
なんともお洒落ですね

それでは、藤原元真の歌をあと二つ

桜花 ちらさで千世も 見てしがな あかぬ心は さてもありやと
桜の花を散らさずに千年も見ていたい。いくら見ても見厭きない心は、そのままだろうかと。

なかなかチャレンジャーです
千年桜を見続けて、飽きるかどうか試そうと

そら、飽きるやろ
チューリップも見せてくれ
と叫ぶやろ
と思いましたが
元真ならできるのかも知れません

白玉か露かととはむ人もがな物思ふ袖をさしてこたへむ
「それは白い宝玉ですか、それとも露ですか」と問うてくれる人がいたらなあ。
物思いをして涙に濡れた私の袖を指して答えてやるのに。
「これはあなた恋しさに流した涙ですよ」と

いわゆるツッコミ待ちですね

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[三十六歌仙]22 藤原朝忠。斎宮に行ってらっしゃい

藤原朝忠

よろづ世の 始めとけふを いのりおきて 今行末は 神ぞしるらん

万代も続く御代の始まりとして、今日が佳き日であらんことを祈っておきましょう。
そしてこれから後のことは、ただ神のみぞ知っておりましょうから、
神意のままに委ねましょう。

百人一首の第25首
名にしおはば 逢坂山の さねかづら
人に知られで くるよしもがな
の作者 藤原定方の息子です

藤原朝忠の百人一首はこちら
逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし

座るのも苦しいほどの肥満で、
痩せるために水飯を食べるように医師に勧められたが、
かえって太ったという逸話がある

ただ、この話は人違いかも知れないみたい

鑑賞
よろづ世の 始めとけふを いのりおきて 今行末は 神ぞしるらん

万代も続く御代の始まりとして、今日が佳き日であらんことを祈っておきましょう。
そしてこれから後のことは、ただ神のみぞ知っておりましょうから、
神意のままに委ねましょう。

これだけ読むと分かりづらい歌ですね
これはお見送りの時の歌です。

村上天皇の娘、楽子内親王が伊勢へ斎宮(さいぐう)として旅立つのを見送る時の歌
「けふ」は「今日」と、去らねばならない「京」をかけています。

この斎宮。とても悲しい制度

天皇って、不思議なことにその、よってたつ宗教的権威の源、伊勢神宮にお参りすることをしない
その代わりと言うんだろうか
自分の娘を神に仕える身として、伊勢に使わせる

神に仕える身だとして、一切男性との関係を絶たなければならない
斎宮の期間を明ければ、その縛りは緩むようだけど
基本的には、一生独身となるみたい

若い女盛りの時に斎宮として赴任することがどれだけつらい事か
現に恋愛中だって、別れなきゃならない

数々の悲劇が生まれ、歌にも歌われてきた

朝忠は、その出発に立ち会い
基本的には万代も続く御代を司ることの誇らしさを歌いつつ
微妙な表現で、その裏にある気持ちを表現している

朝忠の歌をもうひとつ

わが宿の 梅が枝に鳴く 鶯は 風のたよりに 香をや尋とめこし
(私の居る家の梅の枝で鳴く鶯は、風の案内によって香を求めてやって来たのだろうか)

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[三十六歌仙]21 源重之。事情を分かってあげたい

源重之

なつかりの たまえのあしを ふみしだき むれゐるとりの たつそらそなき

夏刈が行われて、美しい入江の蘆《あし》はすっかりと刈り取られてしまった。
その蘆の切り株を踏みしだいて鳥が群れている。
せっかくの住みかが荒らされて、途方に暮れているのだ。
空へ飛び立っていかないのは、そういう気分でもないだろう。

人には人の事情があるけれど
鳥には鳥の事情がある
勘弁してよ、という歌

うちのセキセイインコにも、そのつど事情があるんだろうなあ

そんな感じで、源重之もこのあと、色んな事を考えたんだろう
幸せってなんだろうとか

百人一首はこちら
風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ くだけてものを 思ふころかな
どどーん、という歌です。

素直な歌が多いです。

憂きことも 春はながめて ありぬべし 花の散りなむ のちぞ悲しき
(辛いことも、春は心を空にしてじっと堪えているべきであった。桜が散った後こそが本当に悲しいのだ。)

素直なんだけど、何か余韻が残るというか

音もせで 思ひに燃ゆる 蛍こそ 鳴く虫よりも あはれなりけれ

(音も立てずに、ただ「思ひ」の火に燃えて飛ぶ蛍こそは、声立てて鳴く虫よりもあわれ深いのだ)

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[三十六歌仙]20 坂上是則。大ヒット歌もう一度。

三十六歌仙シリーズ

坂上是則

みよしのの 山の白雪 つもるらし ふるさとさむく なりまさるなり
吉野の山では今ごろ白雪が積もっているのだろう、この古都・奈良の都でも寒さが増している

あの有名な征夷大将軍、坂上田村麻呂(たむらまろ)のひ孫。
坂上氏の家系図を遡(さかのぼ)ってみると、阿知使主(あちのおみ)にたどり着きます。

出ましたっ阿知使主
歴史検定の勉強でも出てまいりました。

阿知使主とは古代に日本にやって来た渡来人(とらいじん)で、
東漢氏(やまとのあやうじ)という氏族の祖。

東漢氏といえば文筆や財務・外交などに優れていたことで有名で、
そこから分かれたのが坂上氏なのだそう。

もともと文化人の家系なんですね
坂上田村麻呂が日本初の征夷大将軍で「武」の象徴なので
そのイメージにはなってしまいますが。

蹴鞠の名手としても有名です
坂上是則は御所で催された蹴鞠の会で206回連続で鞠を蹴り、
醍醐天皇からご褒美をもらったという逸話を持っています。

鑑賞
みよしのの 山の白雪 つもるらし ふるさとさむく なりまさるなり
(吉野の山では今ごろ白雪が積もっているのだろう、この古都・奈良の都でも寒さが増している)

なんだか聞いたことがあるような
はい。
百人一首の参議雅経の歌
み吉野の 山の秋風 さ夜更けて ふるさと寒く 衣うつなり
は、この坂上是則のみよしののを本歌取りしたものです。

吉野の山と、そこから連想される古都奈良をイメージとして結び付けている
本歌の方が冬であるのに対して、雅経の方は秋の歌にしている

本歌取りされるくらいですから、当時はかなり有名な歌で
吉野の山を雪でイメージするときの代表歌でした。

なんと、坂上是則自身も、この歌を本歌取りしています。

百人一首に採用されたこの歌
朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪

今となっては、百人一首に採用されたので、坂上是則の代表歌は朝ぼらけですが
みよしのの 山の白雪 つもるらし~ はよほど人気が出たのでしょう。

大ヒット曲のある歌手が
〇〇、なんとかバージョンみたいな二番煎じの歌を出すのと同じ感覚で
吉野山の雪を詠んだんだと思います。

面白いのは
朝ぼらけ~
も人気が出たのでしょう
かなりの人に本歌取りされています。

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