[三十六歌仙]20 坂上是則。大ヒット歌もう一度。

三十六歌仙シリーズ

坂上是則

みよしのの 山の白雪 つもるらし ふるさとさむく なりまさるなり
吉野の山では今ごろ白雪が積もっているのだろう、この古都・奈良の都でも寒さが増している

あの有名な征夷大将軍、坂上田村麻呂(たむらまろ)のひ孫。
坂上氏の家系図を遡(さかのぼ)ってみると、阿知使主(あちのおみ)にたどり着きます。

出ましたっ阿知使主
歴史検定の勉強でも出てまいりました。

阿知使主とは古代に日本にやって来た渡来人(とらいじん)で、
東漢氏(やまとのあやうじ)という氏族の祖。

東漢氏といえば文筆や財務・外交などに優れていたことで有名で、
そこから分かれたのが坂上氏なのだそう。

もともと文化人の家系なんですね
坂上田村麻呂が日本初の征夷大将軍で「武」の象徴なので
そのイメージにはなってしまいますが。

蹴鞠の名手としても有名です
坂上是則は御所で催された蹴鞠の会で206回連続で鞠を蹴り、
醍醐天皇からご褒美をもらったという逸話を持っています。

鑑賞
みよしのの 山の白雪 つもるらし ふるさとさむく なりまさるなり
(吉野の山では今ごろ白雪が積もっているのだろう、この古都・奈良の都でも寒さが増している)

なんだか聞いたことがあるような
はい。
百人一首の参議雅経の歌
み吉野の 山の秋風 さ夜更けて ふるさと寒く 衣うつなり
は、この坂上是則のみよしののを本歌取りしたものです。

吉野の山と、そこから連想される古都奈良をイメージとして結び付けている
本歌の方が冬であるのに対して、雅経の方は秋の歌にしている

本歌取りされるくらいですから、当時はかなり有名な歌で
吉野の山を雪でイメージするときの代表歌でした。

なんと、坂上是則自身も、この歌を本歌取りしています。

百人一首に採用されたこの歌
朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪

今となっては、百人一首に採用されたので、坂上是則の代表歌は朝ぼらけですが
みよしのの 山の白雪 つもるらし~ はよほど人気が出たのでしょう。

大ヒット曲のある歌手が
〇〇、なんとかバージョンみたいな二番煎じの歌を出すのと同じ感覚で
吉野山の雪を詠んだんだと思います。

面白いのは
朝ぼらけ~
も人気が出たのでしょう
かなりの人に本歌取りされています。

[短歌]シリーズはこちら(少し下げてね)

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