江戸を土地にした男

何年前だろう、その事実を知ったのは
新幹線の中で無料で置いてある小冊子だった。

利根川東遷(とねがわとうせん)

利根川ってこんな川ですよね
関東を西から東へ流れ、銚子で海に注ぐ

ところが、以前はそうじゃなくってこうでした
東京湾に注いでいました

今の形に変えたのは、人の力で
それをやったのは、徳川家康ですと
利根川東遷って言うんですよと

はあ?
冗談も休み休みにしていただきたい。

利根川と言えば、長さで日本2位、流域面積で日本1位の川

そんなどでかい川を人の力で作り変えましたってあなた
もし、そんな前代未聞の大事業を家康がやったというのなら

家康といえば?

利根川東遷!

と日本全国老若男女、誰もが即答する筈です。

知らん
そんな話

答からすると本当にそうなんですが
なんでまた、ここまですごい事がほとんど語られないのでしょう。

その時の衝撃が強すぎて
今、江戸を色々調べている元々のきっかけだったりもします。

ところが、江戸の本はかなりいっぱい読んだつもりなんだけど
利根川東遷が1ページでも割かれていた事がただの一度もない。

江戸検定の教科書にだって書かれていないから
江戸検定の問題に出された事は一度もない

玉川上水は何度も何度も出てきますがね

その内、あれは嘘だったんじゃないかと思い出しました。
江戸をテーマにブログ書くなら
まずは利根川東遷でしょ、ってずっと思ってきたのに
今まで利根川東遷を扱ってこなかったのは
今まで読んだどんな本にも書いていなかったからです。

とうとう見つけました。

「江戸東京まちづくり物語」
約500ページもある分厚い本で、4000円もするので
図書館で借りるだけ

その中の10ページ程度なんですけどね

ああ、やっと利根川東遷書けるよ
スッキリした。

以前の江戸
江戸時代以前の政治文化の中心は西日本ですね
唯一東日本に来た鎌倉時代にしても、鎌倉まで

不思議だと思いませんか

日本地図バッと広げて
真ん中にあるどでかい関東平野
中心にならない筈がない。

実は、以前からそれなりに発達しています。
本では、ドーナツ状と表現されていますが
江戸の周りは開けている
鎌倉はその一つ

ドーナツの穴が江戸です。

理由があります。

一言で言うと、人が住めるような場所じゃなかった。

東京湾に注ぐ利根川が大きすぎて
下流地域は、川というより広大な湿地帯
本では利根川デルタ、と表現されています。

どろどろのズブズブ
とても歩けるような状態ではないし
その状況は、川の状態で日一日変わっていく。
舟を使おうにも、川というより沼に近いのでなかなか進まないし
背の高い葦が一面繁っているから目の前が全く見えない
この辺なら高台でしょっていうところで、所々集落はあるけど
本当に所々だったようです。

太田道灌が江戸城を築いて、というのは嘘ではないけど
ほんの一部の土地しか使えていません。

良く出てくる話で
家康が江戸に入るときに、家を数えたら100軒くらいしかなかった、というのがあり
極端な表現をしたんだろうとずっと思っていましたが
ひょっと、「多少大げさ」くらいの表現なのかも知れません。

利根川東遷
秀吉からの嫌がらせ、かつ、最も恐い家康を封じ込めるため
江戸への国替えを言われたときに
了承した家康には、強い意欲があったろう

そっちがそのつもりなら
受けて立とうじゃないか
ドーナツの穴を埋めて
人の住める「土地」にしてやる

暴れん坊の利根川をてなづけてやる

そんな大事業が一朝一夕で出来よう筈がない
何段階にも分けて考え
自分の代ではまず応急処置
なんとかかんとか住める土地にする

何代かかるか分からないけど
徳川がそれを成し遂げるんだ

この時点で、徳川が何代も続くという事を前提にしている訳ですね
自分が良けりゃ良いということなら
出費ばかりで、成果がずっと先の大事業をやろうなんて思いません。

どうしたか
全部書くと頭がぐっちゃぐちゃになって訳が分かりません
大分割愛しますが、それでも分かりにくいと、最初から申し上げておきましょう。

1.隣の川に繋げます。
隣の川とは後に江戸川と名前を変える太日川
溝を掘ってそっちに流れるようにするわけです。

これで、利根川流域のズブズブは一旦解消されます。

でもそんなことすると、江戸川はえらい迷惑ですね
水量が倍になりますから、ちょっと大雨が降ると溢れるのは明らかです。

2.逆川を作る
江戸川から北に上がる支流を堀り、常陸川に繋げる
常陸川は銚子に注ぎます。
北に上がるのはさすがに無理がありますので
あくまでも応急処置。
水かさが増えた時にしかそっちには流れません。

でも、一部とはいえ、利根川の水が銚子に注がれるようになったと言えます。
利根川東遷のスタートです。

家康の代ではここまでです。

3.本格対応
大阪夏の陣の6年後、元和7(1621)年、本格対応工事が始まります。
赤堀川という、言わば運河を掘り、利根川の本流を、常陸川、鬼怒川に繋げ
銚子に注ぐようにします。

二代秀忠の時代です。

イケイケっ

そして、開通したのが、4代将軍家綱の時、承応3(1654)年
繋がったぞー

まだ、それで終わった訳ではありません。
この時点では川幅5m
さらに引き続いて、川幅を広げてこれぞ本流。
江戸川は支流っていうように広げていく。

これが、メインの流れだけど
こっちをこっちに付け替えると、こっちに無理が出るから、みたいなのが色々あるから
とてもいっぱい関連工事をしました。

江戸の洪水被害は、三大被害として
寛保二年(1742),天明六年(1786),弘化三年 (1846)の洪水があるけど
どちらかというと、大火の被害の方が大きいイメージ
利根川東遷をやってなかったら、それどころじゃなかったでしょうね

索引はこちら
[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)


ゼフィランサス(サフランモドキ)

花カレンダー始めました

江戸を土地にした男」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: 江戸を埋めちゃえ | でーこんのあちこちコラム

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です