[江戸城]石垣を考える。続きの続き

[江戸城] 石垣を考える
[江戸城] 石垣を考える。の続き
の続きです。

刻印石
天守閣は3回建て直された話はしました。
[江戸城] 天守は3回丸々変わって、その後なし
家康と2代秀忠、3代家光です

家光の時って、システムが変わりまして
石を切り出して運搬するのは、「寄方」と呼ばれている担当の藩
江戸で加工して積むのは、「築方」と呼ばれている担当の藩

逆に言うとそれまでは、桜田門の横のこの辺の石垣はおたくの藩ね
と言われると、石を切り出してから、積み上げるまで一貫して行う。

途中運んでいる間にごっちゃになって
あらら、うちの藩の石、一個足らんぞ

そんなことを避けるため
石に各藩のマークをつけたのが刻印石

今回江戸検定1級で出たんですよ

丸に十だけは島津なので違うと分かりましたが、何が何やら
当然不正解。
これが分かる人が、この一億何千万かの日本国民の中で何人いるのでしょうか

いかんいかん。文句言うのはやめましょう。
好きで受けているのは私でございます。

私は残念ながら、江戸城でまだ刻印石を見つけていません。
この前行ったとき、どうしても見つからなかったのよね。
見つけたら、確かに覚えているとテンション上がるよね
うおぅ。細川家やん

面白いなあと思ったのは
藩のマーク以外のマークも付いている

組み立て順かな
それもあるでしょうが、それ以外にも

おまじない

工事が全員安全に完了しますように
出来上がった江戸城が少しでも長く、繁栄を続けますように

想いのこもった刻印石です。

マークじゃなくて文字を書いた刻印もあります。

この前、飯田橋の駅のそば、牛込門に残る石垣で、文字を見つけました。
石垣はこんな立派なもの

その横にでっかい石がどんと置いてあります。

ここでクイズです。
さあ、何て書いてあるでしょう。

この牛込門は、寛永13年に、阿波徳島藩主の蜂須賀忠英が築いたものです。
半分隠れています。

このあと、答を書くから考えてね

刻印石を見るには、江戸城じゃなくても見れます。

ひとつは、小石川後楽園
そこの石垣は、江戸城の石垣を移築したもので
結構いっぱい刻印石が見れます。

面白いのが、地下鉄南北線の市ヶ谷駅の構内にある歴史散策コーナー

石垣や刻印石の説明をしてくれています。

地下鉄で市ヶ谷を通ったら、改札出なくても何線からでも行けるから
駅員さんに、石垣の展示はどこですか?って聞いていってね

【答】
入阿波守内

首を90度左に傾けて見てね
左側の辺の方が土に隠れているのね

阿波だけでも分かれば大正解

[江戸の文化]シリーズはこちら(少し下げてね)

[大岡越前] 通貨政策。両替商とのバトル。

[大岡越前] 産業振興などの本格対応
の続きになります。

江戸時代って、日本の中に二つの国があるが如し。
江戸と大阪
通貨が違うんです。

江戸は金が通貨で、大阪は銀が通貨
その二つが貿易している感じで、為替レートが存在し
日々相場で変わる。

両替屋が相場によって、手数料を取りつつ、金と銀を交換する。
びっくりぽんの世界です。
ずっと不思議だったんですよ
今の両替って1000円札を100円玉10個に換えるだけですよね
両替屋ってどこで儲かっているんだろう、って

ずっと、商品は大阪にだけ溢れていたから
手に入れるため、銀が欲しい、銀が欲しい。
構造的に、金安状態が続いていました。

以前は金1両で銀60匁(もんめ)
でも金1両で銀40匁にまでなっちゃっていた。

大岡越前は、金と銀の交換レートに介入しようとします

両替商に対して、金1両を銀60匁にしなさい。

両替商は猛反発
抗議の意味を込めて、一斉休業
両替商は大阪に本店がある店が多いので、大阪の銀が強いままの方が良いという事情もある

全部の銀行がお休みになったのと同じなので、経済は大混乱

大岡越前は、
分かったよ。じゃあ、55匁でどう?

アホか
そういう問題じゃないの
相場に任せなきゃダメなの
と、休業を続けます。

参りました。降参します。
大岡越前が大きく挫折した場面です。

貨幣改鋳
時代は少し遡り、5代将軍綱吉の頃
幕府の財政が悪化していった。

取った対策が、お金を作り替えよう作戦

本来は、例えば金貨を溶かして金にした場合、1両分の価値があるとすると、1両
でも、金の量を半分にすると
材料代は半分なのに、1両って書いてあれば1両
大儲けです。

卑怯な手ではありますが
財政は一旦回復

代が変わって第六代の家宣
参謀は新井白石
卑怯な事が大嫌いな白石
ダメでしょ、と元に戻した。

吉宗はその路線を踏襲します。

一枚岩だった筈の吉宗と大岡越前
この件に関しては、意見が分かれます。

上様、現実を見てください
正しいことだけで、やっていける状態にありません。

お金を作り替えよう作戦第二弾
今度は、別の意図も加味します。

金貨と銀貨、両方作り替えるんですが
金貨内の金を60%に、銀貨内の銀を58%にする
要は落とし具合を銀の方が大きくする

理屈で行くと、これで銀は弱くなる。

ところがこれもうまく行かず、結果、銀の方が強くなった。
おそらく、意図が分かった両替商たちが、一致団結して操作した可能性が高い。

再び敗北の大岡越前
ただ今回は強く出た

交換レートは相場に任せるべきっていうのが
君たちの主張だった筈
言っていることとやっていることが違うんじゃないのかい?

説明せよと呼び出したが、出頭拒否

両替商の手代たちを牢に入れてしまう。

まさかそこまでするとは思わなかった両替商たちはうろたえるが
こっちもあとには引けない
またまた、一斉休業作戦で対抗

今度は大岡越前も一歩も引かない。

膠着状態が2ヶ月も続く
さあ、どっちがおれたか

何と、大岡越前が寺社奉行に栄転になってしまう。
町奉行は交替
新しい町奉行と両替商たちが和解
手代たちは解放
一斉休業も復活。

大岡越前としても栄転な訳だから
両者WinWinなのかも知れません。

おそらく、両替商たちは、やりにくい大岡越前を外すべく働きかけたでしょうが
栄転という方向に持っていったのは、
仕事としては嫌な相手であっても
人間対人間として、一目置いていたのかとも思う。

肝心の交換レートですが
次第に落ち着いて、60匁で安定する

[人物]シリーズはこちら(少し下げてね)

[江戸城] 石垣を考える。の続き

[江戸城] 石垣を考える
の続きです。


積み方の話をしました。
次なる見所は、角

角に独特の積み方として「算木積み」があります


長方形の石を交互に積んでいくことで、重さが分散され、格段に強度が増します。

一番下の石は地面に突き刺すように斜めに置きますが
一番上は、水平にしないと建物が建てられません
完全に直方体ではなく110度くらい上下に開いた石を用意して積む

そして、カーブを持たせる事で自分の重さで沈んでいくときに
より、ガシッと自分達で食い込み、強度を増すようにする。

結果として芸術品と言える美しい石垣が出来上がる訳です。

だんだんノウハウとして積み上がっていったものなので
算木積みがどの程度きっちり出来ているかでおおよその時代が分かります。
江戸城は長い間をかけて継ぎ足されていったので
完成度の違う色んな算木積みが見れます。

最終完成型が天守台
天守台は、明暦の大火の後で、万治2(1659)年に作り直したものなので一番最後
加賀藩が威信をかけて全精力を注ぎ込んで完成させたもの

ちなみに、表面に出ている石のもうひとつ中側がどうなっているかというと
小石が詰まっています。
小石と小石の間に隙間があることで、排水が良くなり
振動も吸収されて、石垣が崩れるのを助けます。

表面加工
江戸城の石垣に特徴的なのが、表面の加工
表面がつぶつぶしています。

今まで、石垣って、防衛上の事だったり、強度の問題で話を進めてきましたが
この表面加工はどうにも不思議
はっきり言って何の役にも立ちません。

じゃあ、何のためにこんな風になっているのか。

勝手な推測ですが、こんなことがあったんじゃないかな

石垣職人の権兵衛
半年の約束で石垣を積むのを請け負っています。

もうベテランで慣れているから作業はさっさと進みます。
この調子だと、早めに終わりそうです。

ある日、何を思ったか、のみでトントン
おおっ、なんか綺麗なんちゃう?

それを見ていた、隣で作業していた、六右衛門

な、何しょんねん

ごめん、見つかった?
綺麗かな、思うて

綺麗がな
でも勝手にそんなことして良いんかよ
分かった、そっちが目立ってばれんように
こっちも同じようにしょう
おおっ。綺麗綺麗

見回りに来たお偉いさん

こらあ、何じゃこりゃあ
誰やこんなことしたの

しーん

むっちゃかっこいいやないか
褒美を取らそう。

はい、はい、私です。

そうなってくると、エスカレートしていきます。
天下普請、即ち色んな藩で分担して作業しています。

なんか向こうの藩ですごいもん作ってるぞ
こっちも負けとれん
縦筋でどうだっ

ポツポツタイプはノミはつり
縦筋タイプはすだれはつりと言います。

さらには、積んだ石垣の角っこを、大根の面取りのように若干丸みを持たせる
これによって見る角度に寄って石の表情が変わる
言われなきゃ分からないんだけどね
江戸切りと言います。

もう、石垣本来の機能とは、100%関係ございません。

やっぱり平和って良いなあ
芸術って平和から生まれます

真剣に戦をするための城だったら、どやされますね。

どあほ、ちゃんと仕事せい

[江戸の文化]シリーズはこちら(少し下げてね)

江戸検定1級の振り返り

江戸検定1級が不合格だったお話はしました。
それでは、来年に向けてどうすれば良いのか、考えてみました。

対策
今回、1級としては初挑戦してみて
課題が見えたことがあります。

で、考えたのが
「ノートをつけよう」

傾向が分かったので、テキストの読み方に濃淡はつけられます。
でも、テキストはかなりのボリュームなので
全部読んでいこうとすれば、やっぱり大変。

出そうなところだけをかき集めて
ノートとして集めれば
それだけ繰り返し読めば、効率アップ
さらにそこに、語呂合わせみたいな、自分なりの覚え方も書いていけば、よりグッド

いやあ、なんでそこに気づかなかったんだろう。
ノートをつけるなんて、学生の時以来
学生になったようでワクワクします。

ノート
そのノートの付け方なんだけど
普通にコクヨのノートみたいなのにつけたりはしません。

ハイテクで参りましょう。
ブログです。
ブログってとても便利なんですよね
レンタルサーバー借りて、Wordpress って仕組みで書いていて
同じものを若干加工して、趣味人倶楽部にもアップしています。

この同じ仕組みを使えば、ブログでノートが書けるじゃないか
題して、江戸検定1級ノート
江戸検定1級ノート

まだ始めたばかりだけど
イメージはこんな感じね

5年間ブログをやって来て実感するのは
ブログに書くと、覚えられるということ
逆説的ですが、忘れても良いからです。

5年間もやっていると、かなりの量のブログが貯まってます。
例えばウォーキングやっていて、あるお寺で、愛染明王の仏像を見たとする。
あっ愛染明王だっ
昔、ブログに書いたけど、どんなだっけか
愛染明王 検索

自分のブログの範囲内だけで、グーグルみたいに検索ができるのよね
あった、あった、で
又思い出す。
昔自分が書いた時の状況が甦って、頭に定着するのよね

ブログだとリンクが貼れます。
詳しくはこちらってやつ
江戸検定1級ノートから、バンバン自分のブログにリンクを貼れば言い訳です。

例えば、一覧表なんか書き写すのが面倒な時は、
江戸検定のテキストは電子書籍にしてありますので
そのページを出して、ピッとスクリーンショット
表のところだけ切り取って貼れば良い

うーん、素晴らしい。
私はひょっとして
賢いんじゃないだろうか

まずは、2級の時からずっとやりたかった
江戸時代の元号、全て覚える、ってこと
2級だと主だった元号だけ覚えれば何とかなりましたが
1級だと、全部覚えないと
時代の前後関係が分かりません。
15代将軍は全て覚えているから
むしろそれに関連させながら覚えると
ええっと宝暦は、そうそう、家重ねって。

辛酉改元の元号って、綺麗に60年おきにやって来るから
さらにそれだけ、覚えておけば、大体の西暦と関連付ける事だって可能

ひとつじゃ入りきらなくなって
江戸検定1級ノートその1、その2みたいになってリンクで繋がるくらいになっていくと
合格も見えてくるぞっ

ようし、頑張るぞ

江戸検定1級ノートはこちら