紙でパンプキン爆弾を作りました

(12/23[土]~24[日]の事です)

パンプキン爆弾ついては何回か書いています
西東京市を巡るために
ちょこちょこっと名所巡り
西東京市のイベントの下見
西東京市のイベントの下見の続き

最初に西東京市の郷土資料室でその存在を知ってから、頭を離れません

原子爆弾投下の予行演習のために長崎の原爆と同じ大きさ重さのものを作って
全国49箇所に落とした

そのうちの一つが1/27にウォーキングイベントで行く西東京市のしじゅうから第二公園の場所に落とされた

何に一番驚いたかと言うと、その大きさ

ネットで写真を見ると
全国49ヶ所のうちのいくつかの場所で
大きさを実感してもらうため実物大の模型や絵を再現している
人の大きさと比較して、なんてでかいんだ

本やテレビなどで、原爆の写真とかを見ると
きのこ雲の写真とかが主で、爆弾そのものの大きさを実感出来ていなかった

自分でもその大きさを実感してみたい
ウォーキングイベントでも、みんなにその大きさを実感してほしい

そのためには、実物大の何らかのものを自分で作ってみること
模型までは難しいから、紙を張り合わせて
この大きさだ、ってのを作ってみよう

コピー用紙を張り合わせるのは気が遠くなるほどの作業の気がする
新聞紙を繋げるとしよう

色々調べて、縦が1.5m長さが3.5mであることまでは分かった

すごく大変な作業だったけどなんとか張り合わす事が出来た
部屋では到底広げられる大きさではなく
二つに折ってなんとか入るくらい。これは二つ折なので大きさはこの倍。

枠の線を書こうかな
マジックで書き初めて、ふと
パンプキン爆弾だからなあ
せめて枠線くらいは黄色く描きたい

100円ショップでポスターカラーを売っているかも、と
近くの一番大きなダイソーに出かけた

ポスターカラーは無かったので、次なる候補は、黄色いマスキングテープ
これでいけるかな
と、あれこれ見ていると
黄色の色模造紙を発見
2本入りが2つで必要量の半分だったけど
買ったらまた補充してくれるだろうと、とりあえず2本購入

一旦作業は中断し、あと二本の入荷待ち

次の週末見るが入荷なし
その次の週末も入荷なし
そして昨日
入荷なし
ありゃりゃ、まいったなあ

すみません、この色模造紙、黄色を二本欲しいんですけど
リクエストすれば仕入れてもらえるのでしょうか

お調べしますね
ああ、メーカーの方でも在庫なしですね

あちゃあ、そりゃ入荷ないはず
仕方ない。半分白でもよしとしよう

模造紙を張り合わせ、
目盛が付いているから図面の各線の長さをそれぞれ同じ倍率で計算し線を書いていく

今度は下半分
上半分に合わせ、裏からボールペンでなぞってから裏返し
今度は表をマーカーでなぞっていく
よっしゃ上下対象

表にしたり裏に返したりしながら上下を張り合わせていく

こんなに大きいのか
作業が進むにつれ、つくづく実感していく
確かに、誰かが作った模型でも、横に人が写っていれば大きさは分かるんだけど
分かるというのと、実感するというのはやっぱり違う

ほんとかよ
ほんとにこんなどでかいものをアメリカは作ったのか

大きな問題
イベントで持っていって、と考えたけど
これ、持っていけると思えない

見ていた次女が
持っていけないんじゃないの?なんで続けてんの?

今さらやめられないしな

完成

部屋では広げられない
ある程度だけ広げて、娘に写真を撮ってもらう

娘にも手伝ってもらって折り畳み
なんとか、リュックにおさまるサイズになった

武蔵野公園
あくる日の日曜日
娘が免許の書き換えということで、府中の運転免許試験場まで送迎
書き換えが終わったので、娘と試験場の隣の武蔵野公園に行きましょう

目的は、パンプキン爆弾を広げて、いよいよ大きさを本当に実感したい

公園に爆弾を持ち込んだとあっては、通報されます
人がいないところに行きましょう

まずは地面に広げました

これでは大きさは分かりません

片方を木の枝から洗濯ばさみではさんで
さあ、広げたぞ
娘が撮影

大成功

改めて、やっぱりでかいなあ

追加情報
パンプキン爆弾で前回の説明以降に調べて分かった事を書きます

先ほど、長崎の原爆と同じ大きさ重さと書きました
初めて知ったのですが、
広島の原爆と長崎の原爆って同じものじゃない
広島はウラン型で長崎はプルトニウム型
どちらもウランを元にしているけどプルトニウムの方は、中性子をどのこうのと書いてありました
プルトニウムの方は、比較的安価に作れるが大きさとしては大きくなるらしい
広島の方は、リトルボーイと呼ばれ、長崎の方はファットマン(太っちょ)と呼ばれていた

パンプキン爆弾が長崎型と同じ大きさ重さで作られ49個も落とされたということは
広島型、長崎型両方落とすが、3つ目以降は長崎型を落とすつもりだったと思われます

実は、原子爆弾の原理は日本でも研究されていた
実際に作ろうとしたのだが、原料も資金も足りなかった
アメリカも原理は理解していることも分かっていたが
どうせ作れっこないだろうと、日本は製造をしなかった

途中で、アメリカは作るのではとの情報があり
どれくらい作れそうか調査を依頼
上がって来た調査報告書には500個作れるだろうとあり
あまりの数に驚愕
上に報告できないと揉み消した

西東京市に落とされたパンプキン爆弾は7/29だが
もう少し前の7/20に郡山に落とすつもりで出発
郡山に行くと、曇っていたので、機長が独断で計画を変更
東京に向かい、皇居に投下
天皇の殺害を目論んだ
結果、それて現東京駅の八重洲口のすぐ隣、外堀の中に落下
一人が死亡している
その時は日本に降伏を迫っている時期なので、アメリカは皇居への爆撃を禁止している
機長は命令違反をした訳なので、その後任務を外されている

ポツダム宣言提示が7/20
パンプキン爆弾は7/20以降。例えば西東京市は7/29
広島の原爆が8/6
長崎の原爆が8/9
ポツダム宣言受諾が8/15

もう少し受諾の判断が早ければ、と返す返すも思う

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

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