泪橋から小塚原刑場

吉原ウォーキング
の続きです。

泪橋
玉姫稲荷は昨日書きましたが、そのとなりは、玉姫公園
かなりショックを受けます。

泪橋の交差点を中心にビジネスホテルがものすごい数連なる
言い方を変えると、どや街
住所的にはその名前は残っていませんが、山谷です。
岡林信康の山谷ブルースにもありました。
一泊2200円位

元々は、小塚原刑場に向かう罪人が、家族と別れる橋

明日のジョーの丹下段平の丹下ジムがあったところ

段平は、ジョーを橋の上に呼び、泪橋の由来を話します。
この橋は、人生に敗れた者達が涙で渡る橋だと。
そして、ジョーに言うのです。

二人で苦しみ二人で歯をくいしばって
この泪橋を逆に渡っていこう

ジョー、明日はどっちだ

夢中で読んだなぁ

小塚原刑場跡
江戸時代、江戸の罪人の処刑場は二つ

鈴が森と小塚原
こづかはら、ではなく、こづかっぱら、と読むのが通っぽいです。

江戸にはなぜか懲役刑というものがなく
死刑、その次は追放
罪の重さにより、町からとか江戸からとか
自分達の回りにいなきゃ良いですよ、っていうのが面白い考え方ですね
で、その次が百叩きとか、五十叩きとか
一番軽いのはお説教されておしまい。

ということなので
逆に我々の感覚よりは、死刑は多いかも

その処刑場の二つに一つだから結構大変

延命寺
延命寺に首切り地蔵というのがあります

霊を弔うための地蔵菩薩です

東日本大震災の時に、左腕が落っこちちゃったらしいです。

今は直りました。良かったね

南千住回向院
お墓とかがあるのが、南千住回向院

安政の大獄で死刑になった
橋本左内や吉田松陰の墓もありました。
橋本左内

吉田松陰

吉田松陰についてはこっちも読んでね
吉田松陰、獄中で学校作ろうか
安政の大獄はこちら
[徳川名参謀]14 家茂→井伊直弼。安政の大獄1
[徳川名参謀]14 家茂→井伊直弼。安政の大獄2
あとは
鼠小僧次郎吉

高橋お伝

なぜか、名プロレスラー、カールゴッチの墓もあったりします。

死刑執行
死刑執行するのは
山田朝右衛門という人が代々行います。

綱吉が平和宣言し
武士と言えども人は切っちゃいけないと決めてから
武士は刀は持っていても、人は切っていません。

切ったら死刑。
だから四十七士は切腹なのね

ということは
山田朝右衛門のみが人を切れる。

殺到するのが、刀剣の鑑定

あっこれね
いかにも切れそうだけど、実際には全然駄目ね

それから、死体であっても解剖禁止だから
人の臓器を取り出す特権を持っているのは、山田朝右衛門だけ

腎臓だの肝臓だのを薬として売り出して大儲け
後に禁止されるんですけど

ということで、小塚原と言えば、解体新書
こっちも読んでね
解体新書、ターヘルアナトミア その1
解体新書、ターヘルアナトミア その2

記念碑もありました。

素盞雄神社
もうちょっと足を伸ばしてみました
素盞雄(すさのお)神社
スサノオノミコトを祭っているくらいですから、無茶苦茶由緒正しいです。

795年。
奇岩を、これは神様だ、スサノオノミコトに違いないと祀った。
同じ石なのか不明ですが、瑞光石(ずいこうせき)を元に江戸時代に富士塚が作られます。
富士講の話は何度か書いていますが
最近分かってきたのは、食行身禄(じきじょうみろく)という人が大きく関わっているということ
長くなりますので、食行身禄については、回を改めますね

江戸風鈴
良い音色をしていました。

荒川ふるさと文化館
荒川区がやっている、区の紹介の博物館
入館100円です。
残念ながら、内部の撮影NG

やはり、小塚原の話とか、芭蕉が奥の細道をスタートした場所なのでその話とか
荒川区で起きた産業の話とか

ずいぶん充実した一日になりました。

どこ行こう、そうだ!おでかけマップ


オカトラノオ

花カレンダー始めました

吉原ウォーキング

今日の週末どこ行こうかな

ウォーキングで色々江戸を辿ってきましたが
江戸を考えるに、まだ行っていなかった場所
吉原です。

浅草から
浅草からスタートですが、浅草寺に行っちゃうとそれだけで終わっちゃうのでグッとこらえましょう。

隅田川沿いの隅田公園を行きましょう。

隅田川テラスとの間を行ったり来たり

何度来ても、良いわ、ここ
スカイツリーどどーん
ああ気持ち良い

待乳山聖天(まつちやましょうでん)も我慢我慢と

とは、行かなかった
我慢出来ん
モノレールだけ乗ってこよう

山谷堀公園を上っていこう。
隅田川に注ぐお堀を暗渠にした上の公園なので長細ーい

こんな気候の良い日にここを歩くと
気持ちがとてもゆったりまったり

ずっと歩ききりますと

吉原
見返り柳です。
帰るとき、名残り惜しいなあ、と何度も見返り

この先の道がちょっとカーブしてますがそれが五十間道

その先が吉原大門
遊女逃亡防止のため、吉原の地域全体がおはぐろどぶというお堀で囲まれ
出入りできるのはこの大門だけ


門は日中は開けっぱなしなので
逃げ出さないように監視するのは、四郎兵衛番所
ここかなあ、恐いおじさんいたのは。

あっそうだ、あのアプリ使ってみよう
大江戸今昔物語
江戸時代の地図と今の地図が重なって見える

ここ、京町ってところだな
おおっ、そのものズバリ京町って店がある

かなり正確だぞ
そうか、京町通りって通りの名前は当時のまま残しているのか

ここの通りはアプリで見ると、おはぐろどぶだぞ

こりゃ面白い
おはぐろどぶで、じゃぶじゃぶじゃぶ
ひえーっ、真っ黒ーっ

吉原公園
この公園ひとつが丸々最大級の大きな遊郭だったらしい

ここに高尾太夫もいたのかなあ

あっいた!
高尾太夫

Googlemapにおはぐろどぶ石垣跡って書いてあるところ
案内看板のひとつもあるのかと思いきや
その場所にあるのは、これだけ

これぇ?
まあ、Googleさんが言っているんだから
そういうことにいたしましょう。

確か近くに超人気の天ぷら屋さん「いせや」があるはず
あったー
ほんとに行列している

こんな感じらしいですよ

(ネットの写真より)

食べてみたいけど、行きたいところいっぱいなんで今日はパス

東禅寺
さあ、東禅寺
六地蔵のお寺で行っていないところはここだけ

いたーっ
六地蔵の地蔵菩薩はみんなこれくらいの大きさ

これで、現存しない永代寺を除いた、5つの寺全て制覇です。
うれしいーっ
それぞれの街道を守ってくれています。

第1番 品川寺 旧東海道 東京都品川区南品川三丁目5-17
第2番 東禅寺 奥州街道 東京都台東区東浅草二丁目12-13
第3番 太宗寺 甲州街道 東京都新宿区新宿二丁目9-2
第4番 真性寺 旧中山道 東京都豊島区巣鴨三丁目21-21
第5番 霊巌寺 水戸街道 東京都江東区白河一丁目3-32
第6番 永代寺 千葉街道 現:東京都江東区富岡一丁目(地蔵菩薩は現存せず)

玉姫稲荷神社
760年に京都の伏見稲荷神社より勧請されたとても古い神社
新田義貞も北条征伐の時に必勝祈願

末社の口入稲荷にある狐さんたち
座っている方は縁結び
立っている方は商売繁盛
好きな方を持ち上げれば良いみたい

まだまだ続きますが、
長くなりましたので、続きは明日ね

どこ行こう、そうだ!おでかけマップ


ヤマユリ

[百人一首] 23 月見れば

月見れば ちぢにものこそ 悲しけれ
わが身一つの 秋にはあらねど

月を見るとあれこれ色んな事が悲しく思われてくるなあ
別に私一人のために秋は来る訳じゃないんだけど

大江千里
当時、まだ短歌というものがそのあとの時代ほど、物事の中心には座っていなかった。
文学の最高の位置にあったのは漢詩で、日本の短歌に取って変わられていく過渡期です。
大江千里は漢詩の専門家
でも、漢詩だけじゃなく、短歌も出来るので7:3くらいかな
漢詩から短歌に切り替えていった一役を担ったとも言える
どういうことかというと、漢詩をお題にして短歌を読む

翻訳と言えば、意味合いをそのままだけど
大江千里は、漢詩の世界観をテーマとして、短歌を新たに読む、という方が近いかもしれない

「I love you」を「月が綺麗ですね」と翻訳した夏目漱石みたいな感じかな
さすが最高の作家、漱石ですね
日本人にとっては、確かに「月が綺麗ですね」は「I love you」です。
愛を語る時に、相手の顔なんて見られる筈がない

完全に短歌を日本の文学の中心にどんと据えたのは
在原業平(ありわらのなりひら)
大江千里の叔父さんです。

あまりに業平が偉大過ぎるので、比較されて可哀想なんだけど
業平が作った時代の変化を感じ取った上で
叔父さんを後押しするつもりで
自分の得意分野の漢詩からのアプローチで短歌を考えたのかも知れません。

業平の方は全くというほど、漢詩はダメダメだったのでね

鑑賞
この歌にも元となった漢詩がある
大詩人、白居易(はくきょい)
「燕子楼中霜月ノ色 秋来ツテ 只一人ノ為ニ長シ」
愛する人に先立たれた女性が、秋の月を見上げ
ああ、一人で月を見上げていると、秋は何と長いことよ
と嘆く

これをテーマにすると
わが身一つの 秋にはあらねど
と、逆に、私一人の秋じゃなくなっちゃうんだから
日本人としての秋の捉え方です。

さらに、月とわが身、千と一つというように
大きく対比させる
スケールの大きさを感じます。

索引はこちら
[百人一首]シリーズはこちら(少し下げてね)


スイレン

花カレンダー始めました

[昭和歌謡] 55 せんせい→越冬つばめ

昭和ヒット曲全147曲の真実シリーズ
このタイトルの本に出ている歌を一つずつたどって
思い出話をしています。
一人一曲ずつになっています

せんせい
森昌子
作詞 阿久悠 作曲 遠藤実
1972年

となっているわけです。

分かります。
デビュー曲にして大ヒットし
花の中三トリオで
あの、歌謡界を大きく変えた伝説のオーディション番組「スター誕生」は
森昌子の「せんせい」から始まった訳ですから。

昭和の歌謡史を語る上で、「せんせい」は欠かせません。

でも
私は、森昌子ファンなんです。

ちょっと待ってください、と言いたい。

森昌子の代表曲は、と問うならば
三部作をおいて他にありますまい。

哀しみ本線日本海、立待岬、そして越冬つばめ

元々歌がうまいのは分かっていたけど
あそこまで行くとは

私は、日本の女性歌謡曲シンガーの中で二番目にうまいと思っています。

一番は、仕方ないです。
美空ひばり
圧倒していますから

都はるみや石川さゆりといった重鎮を
あの三部作で抜き去ったのではないかと思っているんです。

凄みというか、せまりくるものというか

森昌子と同世代に生きることが出来て良かった、とすら思います。

引退
あの引退の時は悲しかった

絶頂でしたから。
一曲ごとに凄みを増し
この先どうなっちゃうのかと思っていた時期

日本の宝は、特別な存在で、
本人の幸せとかを超越して
それ、何とかならんのかと

結婚したらしたで
あの人だったら、それを歌にプラスできるに違いないんだから

もちろん、私がどう思おうが
何の影響もないんですけどね

今、復活し、本が売れたり、子供たちが活躍したりで
お忙しそうです。

歌も精力的に出されているようですから
越冬つばめを越える名曲による大ヒットも時間の問題でしょう。

一番ビックリしたのは
子供達に、自分が歌手だったのをひた隠しに隠していたということ
この前テレビで言っていました。
昭和歌謡的企画のテレビ番組があったら、大急ぎでテレビのスイッチ切ったって

不思議です。
うちの母ちゃん、普通の母ちゃん、って思わせたかったんでしょうけど
偉大な母ちゃんでも良かったような気がしますけどね
結果的に、二人歌手として活躍しているらしいですし。

そもそも料理してたら
ヒュールリー、って歌っちゃうよね

母ちゃん、今の何?

索引はこちら
[昭和歌謡]シリーズはこちら(少し下げてね)


ツキヌキニンドウ(ハニーサックル)

花カレンダー始めました