[徳川名参謀]14 家茂→井伊直弼。安政の大獄2

井伊直弼の3回目安政の大獄の続きです。

安政の大獄前半はこちら
[徳川名参謀]14 家茂→井伊直弼。安政の大獄1

前半は戊午の密勅まででしたね

長野主膳
長野主膳(ながのしゅぜん)は井伊直弼の部下で
京都にいて蝶臣すなわちスパイ活動をしています。

にも関わらず、戊午の密勅を察知することができなかった。
大失態も甚だしい。スパイとしての存在価値がない。

主膳は自分を守るため
事実を捏造した報告をする。

戊午の密勅は、天皇の本意ではない。
全て、水戸斉昭が裏で手を回して無理に出させたものである。

これを信じた井伊直弼
やらねばやられると思います。

主膳の自宅に脅迫状が届くようになります。
誰が送っているのか分からない。
主膳も恐怖に怯え
犯人探しにやっきになります。

で、名前があがったのが梅田雲浜
自分には逮捕の権限はありませんが
伏見奉行を動かして、逮捕します。
9/7になります。
一般的にはここからが安政の大獄と呼んでいるようです。
さらに同日、梁川星巌宅にも踏み込みますが
梁川星巌は9/2 当日大流行したコレラで死んでいました。

老中に上洛して説明せよ、との話がありましたね。
その役割を担ったのが間部詮勝
ようやく9/17に京都についた
でも、10/24まで参内しなかった。

じゃあその一ヶ月以上もの間、何をしていたのか
長野主膳の動きに加わった。

調査及び逮捕。
その中で西郷隆盛の談話メモを見つけちゃう。

「薩摩・長州・土佐が兵を出す手筈ができている。カンボウ(姦謀、間部のこと)ぐらいはあっという間に打ち払い、すぐに彦根城へ押し掛けて一戦で踏み潰せる。現在、赤鬼(井伊)は関東に多人数を呼び寄せているから城はがら空きだ。簡単に落城するだろう。彦根城を押さえれば、尾州藩も兵を送ってくる」

薩長連合はまだない頃なので、それぐらいの気持ちでやろう的な、ばくっとしたイメージを喋ったのを誰かがメモったんだろうけど
完全にクーデター計画があることになっちゃった。

全ての芽を潰せ。

片っ端から逮捕していく。

これは朝廷にも大きな心理的影響、恐怖感を与え
結果として、10/24に会ったときには
「調印は仕方がなかった。
攘夷は一旦戦力を貯めてその後としよう」
というところまで朝廷側が譲歩する。

じゃあ、安政の大獄って、長野主膳と間部詮勝の暴走だったの?
いや、その京都側の動きに呼応して
江戸側では井伊直弼がそれ以上の大規模で
逮捕していく。

疑わしいとかいうレベルではなく
多少でも繋がりのある人は
とりあえず逮捕。
伝馬町の牢獄は老若男女の未決囚でいっぱいになった。

暗殺計画
確かに、井伊直弼の暗殺計画は水戸藩と薩摩藩とで存在していたし
ご存じの通り、実行に移され、成功している。

そして、もうひとつの暗殺計画があった。
間部詮勝暗殺計画。

計画しリードしていたのは、吉田松陰。
吉田松陰はペリーの黒船に乗り込もうとしていた位だから
外国人が嫌いな訳ではなく
条約調印に反対だった訳ではない。
しかし、井伊直弼一派のこのやり方では日本は破滅すると
強く思った。

吉田松陰も逮捕

西郷隆盛については、
動きを察知して、僧の月照とともに逃げた。
男性同士ながらも愛し合っていたと思われる。
薩摩藩まで命からがら逃げ延びたが
薩摩藩の反応は冷たかった
絶望した二人は、入水自殺
固く抱き合ったまま引き上げられ月照既に絶命。
西郷隆盛は大量の水を吐いて蘇生する。

江戸で
全て江戸に送り込まれた人達
尋問は、超過密スケジュールで行われた。
流れ作業で、尋問が行われ
役人達が罪状を決定。

ところが
飯泉・茅根・橋本など重罪者でも実は遠島程度だったのだ

その書類が井伊直弼に回る
すると、井伊直弼が罪状を「死罪」に書き換えて差し戻す。
では、取り調べとは一体なんなのか
でも、役人達は何も言えない

吉田松陰はというと
尋問で、梅田一派との繋がりを調べられた。
断固として否定。
嘘は言えない。

いや、そうじゃなくてですね
私は間部詮勝の暗殺を計画しています。
一堂仰天。
そこは実は井伊側は掴んでいなかった。

歴史
人間は自分の命が狙われているとなったらどんな風になってしまうのか
そして、そこに権力というものが結び付いたとき
狂った鬼が出来上がってしまうのだろう。

書類を勝手に「死罪」と書き換えるって
通常の精神状態だったとは思えない。
政敵をつぶすという、歴史上繰り返されてきた事を超えている気がする。
見境というものをつけていない。
片っ端。
回りの全員が自分を殺しに来ているような錯覚に陥っていた
そうとしか考えられない。

歴史は教えてくれたけど
じゃあ何が正解なんだろう。
当時の井伊直弼に対して何が出来たんだろう。

結局暗殺されて良かったね、なんて
そんな事で済ましちゃいけないだろう。

力を力でねじ伏せる
それじゃ井伊直弼がやっていることと同じじゃないか。

正解はないし、当時に戻って井伊直弼に、なんて不可能だから
できることといったら
こういう「狂った世界」が現実に存在したんだという理解
自分は井伊直弼にはならないんだという決意と覚悟だけなのかも知れない。

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