吉田松陰、獄中で学校作ろうか

「感動する!日本史」から

吉田松陰
なんじゃこりゃあ

黒船で日本国中大騒ぎ

実はペリー来航以前も、各国からいっぱい船がやってきていて
開国要求が、日に日に増してきていた。

とは言え、ペリーの黒船は今まで来ていた船とまるっきり規模が違っていた。
しかも、蒸気で動く

そもそも、それまで日本では大きな船って作っちゃいけなかった。
大量に、日本から逃げ出されちゃ困っちゃいますからね。

当時許されていた最大の大きさの船と比べると
黒船は19倍。

見たことないとんでもないものを見たら
人々の反応は色々です。
ほとんどが、ただ兎に角見てみたいというだけの人で黒山の人だかり。

中には、あそこには珍しいものがいっぱいあるはずと
小舟をこぎだして
物々にトライするものも。

そして、あれに乗って外国に行ってみたいと思うものがいた
吉田松陰(しょういん)、その弟子の金子重之輔(しげのすけ)
小舟に乗って

はうどぅゆどぅ
ぷりーず つれてって

ペリーたちも、日本の法律を勉強してきていた。

それ、無理。
えらいことになりますよ。

でも、後にペリーはこの時のことを「ペリー提督日本遠征記」の中で書いています。

日本人の研究熱心さには驚いた。
ふたりの若者が船で連れていって欲しいと頼みに来たけど
実に熱心で日本人の勤勉さを象徴する出来事だった。
必ずや、日本は良い国になるだろう。

自首
失敗となると潔く自首
逃げ隠れはいたしません。

「かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂」

護送中、泉岳寺の前を通ったとき、赤穂義士になぞらえて詠んだ歌
いてもたってもおられなかったんだから、しゃあないね

獄中で意気消沈と思いきや

ラッキー!
これで、朝から晩までずっと本が読めるぞ

1年2ヶ月の間に600冊の本を読破していきます。

終身刑なので、出られる見込みは皆無です。

周りも終身刑。
バカじゃなかろうか。

でも、周りの目が少しずつ変わってきます。
良かったのは、松陰が、相手の良いところを見出だす天才だったと言うこと

書だったり、俳句だったり
冗談でも皮肉でもなく、その話題については、先生と呼んだ。

俺も本を読んでみるかな。

今度、みんなの前で話してみてよ

本当か
まあ、俺は先生だしな。

今度は〇兵衛、次は〇之助

よし、今度は俺が「女の口説き方」てのはどうだ

自然発生的に学校が始まった。

松陰が、教えてあげます、聞きなさい、じゃなかった。

でも、やっぱり松陰の時が一番心を打った。
「孟子」や「論語」の講義
みんな、正座で聞き入ったという。
涙を浮かべるものも。

次第に評判になり
野山獄の責任者や牢の番人たちまでも
聞きに来るようになる

恩赦
1年2か月後に恩赦で出ることが出来た。

実家の杉家で謹慎の身となったが、近親者相手に途中になっていた講義の続き。

評判を聞きつけて、人が集まってくる
それがあの、松下村塾に繋がる訳です。

松陰は安政の大獄で刑死しますから、松陰が松下村塾で子弟の教育にあたった期間は、長く見積もっても二年十ヵ月。
なんと、その間の生徒の中に
のちの内閣総理大臣二名、国務大臣七名、大学の創立者二名
明治日本を背負って立つ人材が多数輩出される訳です。

〇兵衛
つうことはなんだ。
俺が松陰に教えてやったあの講義が、明治の日本を作ったってことだな

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