[百人一首] 23 月見れば

月見れば ちぢにものこそ 悲しけれ
わが身一つの 秋にはあらねど

月を見るとあれこれ色んな事が悲しく思われてくるなあ
別に私一人のために秋は来る訳じゃないんだけど

大江千里
当時、まだ短歌というものがそのあとの時代ほど、物事の中心には座っていなかった。
文学の最高の位置にあったのは漢詩で、日本の短歌に取って変わられていく過渡期です。
大江千里は漢詩の専門家
でも、漢詩だけじゃなく、短歌も出来るので7:3くらいかな
漢詩から短歌に切り替えていった一役を担ったとも言える
どういうことかというと、漢詩をお題にして短歌を読む

翻訳と言えば、意味合いをそのままだけど
大江千里は、漢詩の世界観をテーマとして、短歌を新たに読む、という方が近いかもしれない

「I love you」を「月が綺麗ですね」と翻訳した夏目漱石みたいな感じかな
さすが最高の作家、漱石ですね
日本人にとっては、確かに「月が綺麗ですね」は「I love you」です。
愛を語る時に、相手の顔なんて見られる筈がない

完全に短歌を日本の文学の中心にどんと据えたのは
在原業平(ありわらのなりひら)
大江千里の叔父さんです。

あまりに業平が偉大過ぎるので、比較されて可哀想なんだけど
業平が作った時代の変化を感じ取った上で
叔父さんを後押しするつもりで
自分の得意分野の漢詩からのアプローチで短歌を考えたのかも知れません。

業平の方は全くというほど、漢詩はダメダメだったのでね

鑑賞
この歌にも元となった漢詩がある
大詩人、白居易(はくきょい)
「燕子楼中霜月ノ色 秋来ツテ 只一人ノ為ニ長シ」
愛する人に先立たれた女性が、秋の月を見上げ
ああ、一人で月を見上げていると、秋は何と長いことよ
と嘆く

これをテーマにすると
わが身一つの 秋にはあらねど
と、逆に、私一人の秋じゃなくなっちゃうんだから
日本人としての秋の捉え方です。

さらに、月とわが身、千と一つというように
大きく対比させる
スケールの大きさを感じます。

索引はこちら
[百人一首]シリーズはこちら(少し下げてね)


スイレン

花カレンダー始めました

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です