名僧シリーズ
明治に入りますが、状況は一変します。
明治新政府が取った宗教に関わる政策
廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)
仏を廃し、お釈迦様の教えを捨てる
5年前、ウォーキングをして神社仏閣によく立ち寄るようになるまでは、
そもそも廃仏毀釈自体を知らなかった
もっというと、その前の神仏習合(しんぶつしゅうごう)自体を意識して考えたことがなかった
神社仏閣なんて辛気くさいところ、積極的に行く人の気持ちが分かりませんでしたから
自分でも、変われば変わるもんだなあと思います。
神社仏閣を歩いて、より楽しみたいと思い、若干のお勉強
確かめるために歩いてみると
うわあ、ほんまや、鳥居って色んな種類あるんや、とか
ほんまや、寺は瓦やけど、神社は違うんか
寺は紐は下がっているけどその上にあるのは鈴じゃない
これ鰐口(わにぐち)っちゅうんか
みたいに
そうなると、逆に例外も目につきだす。
神社なのに瓦ぶきとか、寺なのにこけら葺きとか
寺の中に鳥居があるなんてしょっちゅうだし
かなりの寺にお稲荷さんが祀ってあったりする。
神仏習合という神社とお寺の一体化を目の当たりにするわけです。
ただ、さらに分かってくるのは、見ているのは、以前の姿が崩れたあとの世界
神社とお寺が隣り合っているところが良くある
ああ、一緒だったんだろうなあ、って思う
両方合わせた広大な敷地に、両方の機能を合わせ持った建物がドンドンドン
明治新政府が、幕府に討ち勝てたのは、尊皇という旗頭で団結出来たから。
天皇を中心にした世の中にするぞと。
天皇と言えば神道でしょう、と勘違い
勘違いだと思いますよ
私は、天皇と言えば「仏教と神社」だと思う。
聖徳太子や聖武天皇以降、仏教を中心にまとまって来ました。
神道という宗教があったわけではなく
天皇からすると、儀式を行う場所として「神社」があり
庶民からすると、自然や先祖に感謝して、手を合わせる場所としての「神社」があっただけ
神社って教義も経典も教えも哲学もなーんもなく
法然や親鸞みたいに名前をあげられる有名人も一人もいない
仏教と勝負しようという方が間違っていると思いますが
それでも神社はなくならなかった。
八幡神社がリードして、仏教と仲良くする方針をとった事も大きい。
現実的には、神社は寺院の配下に入り、従属する形
明治政府は、仏教をぶっつぶせ、と言ったわけではないのに
神社の人達は、今までの鬱憤が貯まっていたんじゃないかと思う
地域によってかなり反応が違う
薩長の一方、薩摩では我々がリードしてって気持ちが働いたんでしょうか
なんと、その時期、お寺が完全にゼロになった
富山とかでは、お寺が焼き討ちにあったり
仏像が壊されたりした例も多い
お地蔵さんの顔がつぶれているのを見ると
廃仏毀釈だったんだろうなと思う
東京は、ぶっつぶせというような過激な地域ではなく
神社と寺院を分けましょ、というところぐらいで収まった
敷地を二つに分けて、こっちはお寺、こっちは神社
それまでは寺院の方が優位に立っていたから
新たに建物を作るのは神社側というケースが多い
神社ってさぞや歴史があって、古くからあったんだろうなと思うけど
昔からあったとしても、建物としては明治に作られたというのがかなり多い
そう言われると、比較論だけど、寺院よりは神社の方が新しめが多いかな
廃仏毀釈の強風は結構早めに下火になり
ほとんどの地域で、寺院がなくなるというところまでは至らなかった
この試みは失敗だったと言っていいだろう
なぜ、そんな早くに失敗してしまったのかを含め
次回、もう少し具体的な経緯をお話していきましょう。