元明天皇、母に逆戻り。一緒に繋ごうね。

女性天皇シリーズ
推古天皇、皇極天皇と来ましたので、
順番的には持統天皇ですが、
持統天皇は詳しくやりましたので、飛ばします

という事で、次は元明天皇になります
元明天皇と元正天皇2人いっちゃいましょう

元明天皇とは
元明天皇は持統天皇の妹になります。
持統天皇の子供、草壁皇子は持統天皇より早く亡くなってしまうので
草壁皇子は天皇になれずじまいで、
その子供、すなわち持統天皇の孫、文武天皇が次の天皇になっていました。

元明天皇は草壁皇子の奥さん
草壁皇子は叔母さんと結婚したという事になります。
という事は、文武天皇からするとお母さんということになります。

文武天皇は病弱でわずか10年、25歳の若さで亡くなってしまいます。

元明天皇
女性天皇の即位は、前例を踏まえつつ、
常に異例な事を少しずつ付け加えていくものでした。
元明天皇での一番の異例は、皇后の経験が無かったこと

推古天皇、皇極天皇、持統天皇、全て皇后の経験がものを言いました。

元明天皇は、夫の草壁皇子が、天皇にならずじまいで亡くなっているので
皇后の経験が無い。

天皇の母親という経験しかない。

中継ぎ
即位宣命という、なぜ天皇になったかという、みんなに知らしめる文章があるんですが
そこに、「不改常典の法」という言葉が見える
これは、持統天皇が決めた皇位継承のルール
直系の嫡子に譲るというもの

変ですよね
自分はそうではない。
それにあたるのは、後の聖武天皇。
文武天皇の子供です。

要は最初から言い訳をしています。
不改常典の法を守りましょう。
聖武天皇に譲りましょう。

でも今は、7歳で若いから
私、中継ぎしておきますんで。

自分から中継ぎ宣言です。

何をしたか
何と言っても大きいのは、平城京への遷都です。
ここから、飛鳥時代ではなく、奈良時代になるわけです。

2人して
まず、整理しておきます。
元明天皇には3人の子供がいます。
一人は死んじゃった文武天皇ですね
あと二人娘がいるんです。

8年天皇をつとめました。
中継ぎとしては、あまり長く、つとめるのは良くないと思ったのかもしれません。
譲位します。
聖武天皇に譲れれば良かったんでしょうけど、
この時点で15歳。

もうひとつ中継ぎをはさもうという事になります。
2人の娘の一人、元正天皇です。
おそらく、最初から考えていたと思われます。

2人で繋ごうね。

元正天皇
元正天皇はさらに異例になります
結婚もしていない。

計画的に「結婚しない」ようにしたんでは、という説があります。
結婚して子供を産んでしまっては話がとてもややこしくなる。
最初から、二人して中継ぎしようと決めていて、
悪いけど、結婚もしないでね
という話になっている。

聖武天皇に繋ぐ事って、それほど重要な事だったのかも知れません。

15歳、文武天皇は15歳で即位しているので、やってやれないことはなかったんだろうけど
みんなには、短命に終わった文武天皇が、失敗例ととらえられていたんでしょうか

9年、天皇をつとめます。
聖武天皇24歳。
万全です。

聖武天皇は、途中政治を放棄して放浪の旅に出たりもしますが
最終的には、大仏も作ったり、名天皇になるのではないでしょうか

元正天皇の人生ってどうなんでしょうね
本人に聞いてみないと分からないですね

結婚も我慢させられた、犠牲になった人生なのか
いえいえ、本当は、天皇やりたかったし、やれてよかったと思っているのか

平民に産まれた私としては、想像するのも難しいです

元明天皇、母に逆戻り。一緒に繋ごうね。」への1件のフィードバック

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