[植木等]7 こりゃまた失礼致しました。

[植木等] 物語の始まり
[植木等]2 小学生が檀家を回ってお経
[植木等]3 いたんだねえ。あいつが
[植木等]4 コミックバンド?へえ、そう
[植木等]5 クレージーな猫たち完成
[植木等]6 青島幸男と言います。
の続きです。

シャボン玉ホリデー
昭和36年6月4日、その夜から11年間592回続くことになるバラエティ番組の金字塔
シャボン玉ホリデーが始まった。

当時登り調子だったザ・ピーナッツとクレージーキャッツ
勢いが違っていた。

スポンサーは牛乳石鹸
タイトルは
石鹸のイメージを出したいスポンサー側が「シャボン玉ホリデー」
製作側は「ピーナッツホリデー」を主張
結局、シャボン玉ホリデーで毎回サブタイトルとして「〇〇だよピーナッツ」を入れる事で折り合いがついた。
正式スタート前のパイロット版はピーナッツホリデーだったらしい。

練りに練られた番組で
録音1日振付1日、本番3日
今は7~8時間で一番組録っちゃうらしく、考えられない。
生ではなく録画なんだけど、テープが異常に高い時代でテープの切り貼りが出来ないから
ひとコーナーのスタートからエンドまで編集する余裕がない
結局意気込みとしては生番組くらいのつもりでかかり、準備もしないといけない。
スタッフの笑い声も入っちゃいけないので必死で笑いをこらえる。

このブログを書くに当たって、何本か植木等へのインタビュー番組とかを見たんだけど
例えば「波瀾万丈」という番組で
真面目な話をしていても、急に顔が崩れて
思いっきりの笑顔になるんですね

色んなゲストに来てもらったんだけど
中には真面目な人がいましてね。
モーーッって牛の鳴き声になると、ドドッと崩れていただいて、と言うと
それは一体何の意味があるんですかって。
何の意味って言われてもねえ
特に意味はないんですよ、って言ったら
とすると何ですか。あなたたちは、毎週毎週意味のないことをやってるんですか

ここで、ガーッハッハッって笑う。

見ている私も、つられて吹き出して
幸せ感がいっぱいに溢れた。

お呼びでない
その番組でも植木等が「お呼びでない」ができたきっかけを話していた。

小松政夫が、付き人で付いてくれていたんだけど
ある時
オヤジさん、急いでください、もう出番のシーンが始まっちゃっています、って言われてね
急いで、扉を開けたら、
小松が勘違いしていて、まだ前のコントやっていてね

キョトン、とみんなで顔を見合わせて

お呼びでない?

みんなコックリ

お呼びでない

こりゃまた失礼しました。

これが、なぜか面白いってことでオンエア
反響が大きくて、毎週やろうってことになっちゃった。


実はこれは作り話

なぜ植木が作り話をしたかには理由がある

小松が付人についたとき、ほぼ同時期にもうひとり付人についた
小松は車のトップセールスマンだったという異色の経歴
もうひとりは、とてもいい加減な性格だったんだけど
小松はやたらと律儀で真面目な性格。

言わば、もうひとりは植木の表の顔で
小松は植木のプライベートな顔。

長い間、笑いに真剣に向き合っている姿をみて
何とかしてやろうと考える

渡辺晋に、うちのところにいる小松政夫って男を独立させてやろうと思うんですが
お願いできませんか、って言ったんです。
モノになるか?って聞くから
なります!って

小松の運転する車の中でその話をした

嬉しさに感極まった小松は車を止め、ハンドルを握ったまま号泣した
それを、植木は無言で見ていた。
ひとくさり泣いて涙が涸れるのを待って、ボソリと
「別に急いじゃいないけど、そろそろ行くか」

「お呼びでない」エピソードについて、小松は言う

僕が植木についた時は、もう『シャボン玉ホリデー』をやっていて、
あのギャグも目玉になっていたはずです。
なのに、どうしてああいう風に言うのかと色々考えたんですが、
結局、わざと僕の早トチリのせいにしてくれたんじゃないかと。
そうやって、折りに触れて僕のことを会う人たちにアピールしてくれたんじゃないかと思うんです
本当に、どうしてそこまでやってくれるんだろうと思うくらい、
陰に日なたに僕のことを応援してくれたんです

そして、このあと
一連のヒット曲が生まれていきます。

[人物]シリーズはこちら(少し下げてね)

[人類]2 ホモサピエンスの世界大拡散

[人類]1 日本人はどこから来たのか
の続きです。

30万年前から10万年前に、我々の祖先「ホモサピエンス」が出現した。
おそらくそれはアフリカが起源
そこから、2つの事が起きた

人類の多様性が失われた
それまで、ユーラシア各地には、ジャワ原人、フローレス原人、ルソン原人、
ネアンデルタール人など多様な原人や旧人の集団がいて、賑やかだったが、
地球上の人類はホモサピエンス一色に塗り替えられる。

人類の分布域が劇的に広がった
原人や旧人たちは、アフリカとユーラシア大陸の中~低緯度地域に分布していた
この辺とこの辺の住みやすいところ、って感じ

ホモ・サピエンスはそれを大幅に越えて寒冷地や海洋島にも進出し、
やがて全世界に暮らすようになった

あら、こんなところにも。

世界各地で全く同じ特色を持ったホモサピエンスがポコポコっと出現したというのも
可能性が0とは言い切れないけど
やっぱりアフリカから長い時間をかけて移動したと見るのが順当でしょう

陸地なら分かります。
何世代もかけて、獲物を探しながら住む場所が少しずつ変わって行く。

海はそうはいかない。
一気に行き着かなければ、何世代にも渡って海の上で暮らせる訳がない。

太平洋の島々は結構最近になってからなので一旦置いておくとして
やっぱり謎なのは日本への移住
陸続きでは無かった3万8千年前に海を渡ってきている。

なんでまた

海を渡る技術を身に付けた一番早い時期は
日本への航海

それも、かなり強い海流をを横切る必要のある、高度な技術
海流に流されただけでは日本に着かないのだ。

遺跡
日本で発見された遺跡は3万8千年以降に急激に増加する
おそらく、それより以前には日本に人類はいなかったのだろう。
若干のホモサピエンスの人骨と、人類が作ったと思われる遺物が証拠となる

海岸線は今より、80m下がっているが
北海道は地続きであるものの、本州は海に囲まれている

ケナガマンモスの分布でも分かる
地続きである北海道までは、ケナガマンモスの骨は見つかっているが
本州には一切存在しない。
ホモサピエンスだけが、「意思を持って」海を渡ったとしか思えない。

ルート
渡ってきたルートとしては3つ
古い方から
対馬ルート
沖縄ルート
北海道ルート

シリーズの次回にそれぞれのルートについて考えていくことにします。

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[宇宙] 銀河。世界は広い

宇宙シリーズ
一通り太陽系惑星を終え、もう少し外側に視点を広げます。
本を読みつつ、素朴な感想を差し挟むというスタイルで行こうと思います。

天の川銀河

夜空の星たちは、「恒星」と言って、太陽のように自ら光っている星なんですって。
月とか太陽系惑星とかは、自らは光っていなくて太陽の光を反射して見えている
もっと遠いところの星は自ら光っているものだけしか見えない。
ということは、星はもっともっとあるってことです。

あの偉大なる太陽のようなのが宇宙には「星の数ほど」あって
夜空にちりばめられているっていう事ですよね

太陽がいっぱい

♪夜空の向こうには~

もし地球が自ら光っていたら大変でしょうね。
眩しくて信号が見えない。

太陽系は天の川銀河の中にある

天の川銀河は銀河群の中にあり
さらに銀河団の中

天の川銀河のような銀河の数が約1000億個あると言われています。
それ、誰が数えたんでしょう。

数えた人に私は言いたい。

ご苦労さん

アンドロメダ銀河
天の川銀河のお隣にある銀河はアンドロメダ銀河
何だか聞いたことある名前

天の川銀河とアンドロメダ銀河は少しずつ近づいている
今から40億年から50億年くらいたてば
ふたつが合体するんですと。

弥勒菩薩(みろくぼさつ)は56億7000万年後にこの世に現れるから
弥勒菩薩の見上げた夜空は
天の川だらけになっていることでしょう。

世界は広い
とてつもないスケールの話ばかりで実感はわかないけど
世界ってむちゃくちゃ広いんだなということは分かる

国境がどうのこうのなんて
アホみたいだなあ

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[首相]16 田中義一。政治家としては4年。天皇陛下に怒られちゃった。

田中義一
政友会 昭和2(1927)年~昭和4(1929)年

田中義一は、長州出身
陸軍に入り、基本ずっと陸軍の人
軍功を重ねていっての出世
山県有朋にも気に入られます。

日露戦争の前には、ロシアの内情を探るべく潜入
ギイチ・ノブスケビッチ・タナカと名乗り、溶け込みます。
ロシア正教に入信までし、社交ダンスも習い、ロシアの貴族たちとも交流を深めます。
陸軍一のロシア通になります。

原敬内閣では陸軍大臣にまで上り詰めます。

飾らない人柄で、「おらが大将」と人気が出ます。

大正14年、政友会の前総裁高橋是清の推薦で、政友会の総裁となります。
軍人が急に政治家に。
以前から、自分の理想を実現するためには政治が必要と語っていたので
本人としても、いよいよ、っていう感じかもしれない。

若槻礼次郎内閣が、大蔵大臣の失言で金融恐慌を起こしてしまい辞任
政友会の内閣に切り替わります。

首相は政友会の総裁、田中義一という事になります。
金融恐慌の後始末は、大蔵大臣に高橋是清を起用し、ちょちょいのちょいで解決。

軍事的には、ずっと陸軍の人だったため、拡大路線。
山東半島への出兵をはじめとする、対中積極外交

ところがさらに大きく脱線する形で、関東軍(満州に駐屯していた陸軍)が勝手なことをする

張作霖爆殺事件
張作霖(ちょうさくりん)は日露戦争の時、日本軍を支援して以来、親日路線だった
満州王とまで呼ばれます。

ところが次第に、欧米に近づき、親日路線を転換していく。
田中義一はまだまだ張作霖とは連携可能だと思っていたが
関東軍は見限っていた。

張作霖の乗った列車が爆破されるという事件が起きた。

犯人は、関東軍の誰かではないか。
そう思いつつも、天皇陛下には、まだ分かりませんと報告。

それ以降、陛下への報告が二転三転する

結局、犯人が関東軍の一員だと分かったとき
陛下からは、厳重に処分するように、との指示。

誓って仰せの通りに致します。
と、言ったくせに、陸軍から反対意見が出るや
軽微な処分で済ませてしまった。

カンカンに怒った陛下に強く叱責された。

責任をとって辞任。
よっぽどこの事がこたえたのか、数ヵ月後には亡くなってしまう。
在位2年。結局、政治家としては4年間のみだった。

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