[百人一首]4 田子の浦に

田子の浦に うち出でてみれば 白妙の
富士の高嶺に 雪は降りつつ

田子の浦の浜に出て、遠方を見上げると
真っ白い富士の高嶺には、今も雪が降り続けているよ

百人一首シリーズ
百人一首シリーズも前回、第90首まで行きました。

いよいよ100首までカウントダウンというところまで来ました。

実はあと10首というところで、やりたいことがありました。
百人一首シリーズを始めた経緯に関わります。

百人一首の本を何気なく手にとって、パラッと見てみたら

えっ、百人一首って第一首は、私が大好きな、天智天皇?
そして、続いて第二首は持統天皇
超豪華じゃない。

よし
人物に興味があるものだけチョイスして、紹介していこう。

歌そのものより、人物に興味があった。

ところがやり始めて慣れてくると、次第に歌の鑑賞も楽しくなってきた。
ということで、第46首からは、飛ばさず、全て紹介していくようになった。

カウントダウンの前に、やっぱり全部網羅したいな

一回戻って、飛ばしちゃったところを見ていきたいと思います。

山部赤人
第三首の
あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む
の柿本人麻呂と並んで「歌聖」と呼ばれ、尊敬を集めた

「山柿」とセットで呼ばれる事も多い
山ちゃん柿ちゃんですね

選者、藤原定家もこの二人は並べようと思ったんでしょう

仕事的にはいまいちで、
あちこちの地方に飛ばされちゃってます。

でも本人にすりゃあ、ラッキー
各所の名所を訪ねてその場で歌を詠みますので
リアリティがあります。

鑑賞
この歌は、万葉集に載っています。
でもね
実はその時はちょっと違っていた。

田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にぞ
富士の高嶺に 雪は降りける

ゆ、って何?

そのあと、新古今集で再度取り上げられるんだけど
その時、この歌に、勝手に改ざんされちゃってます。

本人、後で知ったら
こらこら何すんねん、ですが
こういうことって結構普通に行われていたみたい。

万葉集の時代と、新古今集の時代では
流行した考え方が違っていた。

万葉集の時代はありのままに忠実に
新古今集は事実に忠実でなくて良いから、演出的効果を重視

見てみましょう。

まず、ゆ ですが
正直、これが何かは諸説分かれて、難しいらしい。
分かりやすい「に」に変わって良かったね
飛ばしましょう

「真白にぞ」
ストレートですね
「白妙の」は枕詞で雪にかかる
でも、間に「富士の高嶺」が挟まっちゃっています。
結果として、富士自体が白い印象になり
より、富士の白い雪が強調される

問題は、「ける」と「つつ」
意味がそもそも変わっちゃいます。

「ける」だと
遠くから富士を眺めて
ああ、雪が降ったんだなあ、と振り返る

「つつ」だと
今まさに雪が降っているなあ

これ、変です。

自分の周りで雪が降っているとすると、富士は見える筈はありません
富士の山頂に雪が降っているとすると、田子の浦から確認出来る筈はありません

万葉集の時代だったら、こんなの書いたら先生に
はい、書き直し

でも新古今集の時代では
事実がどうあれ
今まさに降っている方が趣きあるね、と思えば
うん、全然OK

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イベリス

花カレンダー始めました

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