[歳時記]1/19 のど自慢の日。カーン

1/19
NHKの「のど自慢」は50年以上も続く長寿番組。
その第1回の放送は、1946(昭和21)年1月19日午後6時から、ラジオ第一放送で始まった。

番組を企画したのは、音楽部のプロデューサーだった三枝健剛氏。
前年の11月に「ズブの素人でもマイクの前に立てる」という意外性に着目して、
「飛び入り素人のど自慢」という番組を企画、
これが練り直されて「のど自慢素人音楽会」という番組がスタートした。

第1回の参加希望者はなんと900人
なかには朝の5時から予選会場に並んだ人もいたという。

この中から、予選を通過した30人がめでたく番組 に出演し、
自慢ののどを披露した。
ちなみに応募者の間で人気の高かった歌は、
「りんごの歌」「旅の夜風」「誰か故郷を思わざる」「赤城の子守唄」
など当時を知る世代には、懐かしい感動モノの曲ばかり。

こうしてスタートしたのど自慢は、翌年、「のど自慢素人演芸会」と改称され、
歌だけでなく、モノマネなども披露されるようになった。
1953 (昭和28)年には、ラジオからテレビに移動。

さらに、1970(昭和45)年には、現在の「NHKのど自慢」に番組名が変更になって、
現在に至っている。

すこし前には、この番組を題材にした映画「のど自慢」(井筒和幸監督)が公開されるなど、
人気はまだまだ根強い。

のど自慢といえば、キン、コン、カンと打ち鳴らされる鐘が有名だが、
鐘が判定に使われるようになったのは、1972(昭和47)年頃 から。
それまでは、司会者が「もう結構です」と言っていたが、
それを合格と勘ちがいする人が多かったため、鐘を使って判定するようになったらしい。

現在使われているのは「チューブラベル」という楽器で、
教会の鐘の音として演奏され、
ムソルグスキーの曲にも登場する。この鐘が「ドシラソ、ドシラソ、ドミレ」
と鳴ればみごとに合格というわけだ。

東京都葛飾区東金町の葛西神社には、初代の大役を務めたといわれる鐘がある。
先代の宮司が番組関係者から譲り受けたといわれているが、
残念ながらはっきりした記録がないため確証はない。

それでも、毎年、地元のカラオケ大会に使われている現役バリバリの鐘だ。

大爆笑できる番組
予選通過の基準は歌がうまい人だけじゃなくて
個性的な人、というのも入っている

そういう人が思いっきりはじけて、やりきったぁ、ってちょっと前に
カーン

あのタイミングで爆笑出来るんですよね

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[三十六歌仙]21 源重之。事情を分かってあげたい

源重之

なつかりの たまえのあしを ふみしだき むれゐるとりの たつそらそなき

夏刈が行われて、美しい入江の蘆《あし》はすっかりと刈り取られてしまった。
その蘆の切り株を踏みしだいて鳥が群れている。
せっかくの住みかが荒らされて、途方に暮れているのだ。
空へ飛び立っていかないのは、そういう気分でもないだろう。

人には人の事情があるけれど
鳥には鳥の事情がある
勘弁してよ、という歌

うちのセキセイインコにも、そのつど事情があるんだろうなあ

そんな感じで、源重之もこのあと、色んな事を考えたんだろう
幸せってなんだろうとか

百人一首はこちら
風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ くだけてものを 思ふころかな
どどーん、という歌です。

素直な歌が多いです。

憂きことも 春はながめて ありぬべし 花の散りなむ のちぞ悲しき
(辛いことも、春は心を空にしてじっと堪えているべきであった。桜が散った後こそが本当に悲しいのだ。)

素直なんだけど、何か余韻が残るというか

音もせで 思ひに燃ゆる 蛍こそ 鳴く虫よりも あはれなりけれ

(音も立てずに、ただ「思ひ」の火に燃えて飛ぶ蛍こそは、声立てて鳴く虫よりもあわれ深いのだ)

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[歳時記]1/17 尾崎紅葉祭。今月今夜のこの月は今日の月

1/17
歴史ある観光地熱海では、
毎年1月17日に「尾崎紅葉祭」が行なわれる。

その名の通り、明治時代の作家、尾崎紅葉にちなんだ祭り。
紅葉といえば、1897(明治30)年から読売新聞に掲載された名作「金色夜叉」が有名だが、
この小説のクライマックスの舞台が熱海。

一月の十七日、宮さん、善く覚えてお置き。
来年の今月今夜は、貫一は何処(どこ)でこの月を見るのだか! 
再来年(さらいねん)の今月今夜……十年後(のち)の今月今夜……
一生を通して僕は今月今夜を忘れん、忘れるものか、死んでも僕は忘れんよ!
可いか、宮さん、一月の十七日だ。
来年の今月今夜になったならば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから、
月が……月が……月が……曇ったらば、
宮さん、貫一は何処かでお前を恨んで、
今夜のように泣いていると思ってくれ

その1月17日を祭りの日にしたというわけ。

紅葉祭は、熱海海岸の「お宮の松」の前で行なわれる。
最大の見どころは、貫一がお宮を蹴飛ばすシーンの寸劇
地元の芸妓さんたちが演じている。

また、紅葉の遺徳を偲ぶ式典が行なわれたり、
演歌師がバイオリンを弾きながら金色夜叉の歌を披露するなど、
まさに金色夜叉一色の祭りだ。

現在のお宮の松は2代目で、
その横には「貫一お宮の像」も建てられている。

去年と一昨年の1/17の関東の天気を調べてみました。
両方とも曇り

貫一、まだ頑張ってるんですね

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[ことば日本史] くわばらくわばら

「ことば日本史」から、平安時代です。

ことば、日本史、とくればやっぱりこれでしょう

くわばら
前回、藤原氏が権力を握って、というところの話でしたが
ずっと権力を握りっぱなしだった訳ではありません。

意欲的な天皇は藤原氏以外の有力者を登用した

その典型が菅原道真(すがわらみちざね)

百人一首シリーズでも、出てきましたし
このたびは

神社シリーズでも出てきました
[神社] 菅原道真が天神様と言われる訳

もちろん、天皇シリーズでも
[天皇]60 醍醐天皇。貴族にとって、たたりとは。

藤原時平との確執
はめられて、太宰府へ左遷

失意の中に亡くなった

ここまでなら、残念でしたね
というだけなんですが

ここからが菅原道真のすごいところ

それまでも、貴族の世界でばくっと信じられてきた「怨霊(おんりょう)」というものを
行動指針にまでしてしまった

不幸な死に方をした人は、恨みが形となった、怨霊がかたき討ちで次々と悪いことを起こす。

藤原時平とその一派は次々と不審な死を遂げていく

最後に極めつけとなったのが清涼殿落雷事件
藤原時平派が会合していたところ
それまで晴れていたのに、突然黒い雲が空一面を覆い
ガラガラドッシャーン

落雷で、時平派のメンバーは真っ黒焦げになり即死

おそろしやぁ

それ以降、菅原道真の怨霊に鎮まってもらうべく
天神様という神様として祀ったり
官位も最高のものを与えたり。

庶民だってこの手の話は大好きなので
怨霊の雷の話で持ちきり

京都の菅原道真の所領だった桑原荘
周りは雷からの火事で丸焼けになったのに、
ここだけは、何の被害もなかったという噂になります。

そして、被害が及びそうになったときに避けるおまじない
くわばらくわばら、が広まっていきます。

ちなみに今京都で「桑原」はほんの一画に地名だけ残っています。

桑原町は京都のど真ん中。
でも誰も一人も住んでいない。
何故なら、幅の広い道路が通っているその上だけだから。

京都御所の周りの道路上

ここです

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