[足利将軍]3-7 足利義満。そんな殺生な

[足利将軍]3-1 足利義満。言うだけの事はある
[足利将軍]3-2 足利義満。室町時代の始まりの大行事
[足利将軍]3-3 足利義満。手紙持っていっただけなんですけど
[足利将軍]3-4 足利義満。室町殿と公方様
[足利将軍]3-5 足利義満。南北朝統一
[足利将軍]3-6 足利義満。北山殿という最終段階
の続きです。

おそらくそこまでの歴史の中で最強の支配者になった足利義満
強固な基盤はその後も受け継がれ、強い強い室町政権が確立されそうです

でも、そうはならなかった

義持(よしもち)と義嗣(よしつぐ)
義満が出家したあと、将軍職を譲られたのは義持(よしもち)
後継者としての地盤を築いていくはずだった

ところが思わぬライバル出現
数人の庶子のうちの義嗣(よしつぐ)
成長した義嗣に初めて会った義満は義嗣の事をいたく気に入った

義嗣は常軌を逸した昇進
正五位下・左馬頭になったのがわずか6日後
日を追って出世を続け、
26日後には15歳の義嗣は内裏で元服し、従三位に昇って参議となった
そもそも、義嗣という名前があからさま

そしてなんと義嗣は後小松天皇の猶子(ゆうし=養子に近い)になる
親王宣下(しんのうせんげ)という手続きが予定される
常識を逸脱している。
親王宣下が行われれば、義嗣は皇族になる

親王宣下計画が発表された段階で、義嗣は兄義持を身分的に追い越すと確定した

鎌倉時代の後半は、親王が将軍を兼ねている
義嗣は親王かつ将軍になるのか

ところが
その答は出されなかった

なんと親王宣下計画が発表されたわずか11日後
51歳で義満が急死した

えええっ

勿論本人も全く想定外だったと思うが
せっかく絶大なる支配システムを作りあげておきながら
誰に伝授することもなく、この世から消えた

でっかい火種だけを作って

義持はどうすりゃ良いの?
義嗣はどうすりゃ良いの?

続きはシリーズの次回

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

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