[人類]5 草の舟はどうだ

[人類]1 日本人はどこから来たのか
[人類]2 ホモサピエンスの世界大拡散
[人類]3 なぜ海を渡る?考えても分からん。
[人類]4 草の舟が完成
の続きです。

草の舟で漕ぎ出したところまででしたね

行けっ
本当は、7月14日の出航予定だったが、大型台風の影響で海が荒れていて、
静まるのを待つのに3日もかかった

報道人等、集まった人々にずっと待ってもらい、ようやく7月17日

行きましょうか

30時間分の水と食料を積み、6:53、
どぅなん号とシラス号が、西表島へ目指す航海に出発

この日の空は青かったが、雲が多く目標の西表島は見えなかった

最初の難関が立ちはだかる
カタブル浜の出口には珊瑚のリーフが発達していて、海底が浅くなる地形のため、
そのすぐ外に波が押し寄せている

行けっ、乗り越えろ

成功!
みんなガッツポーズ

少しずつ
スマホ等の最新機器は置いてきている。
目的が旧石器人の気持ちを感じる事だから

命をかけるチャレンジではありながら、本当に命をこの為になくすようなことになってはならない
GPSは搭載していて、乗組員以外は、どこにいるか見ることが出来る

乗組員達は、少しずつ予定のコースから外れているのでは、と感じ始めていた
西表島までまっすぐ行くのが予定のコース
予定通りだと振り返って見える与那国島の形は同じ筈なのに
少しずつ形が変わってきた。

北東へ流されている

目標の西表島は、あいかわらず見えない。
与那国島の位置、太陽、風向きなどを使って南東の方角を割り出し
懸命に修正を試みる
でも、見えてはいけない与那国島の北側の海岸が見えるようになってきた。

どぅなん号が遅れ出す。
出航前の相談で、なるべく一緒に行くことを決めていたので
シラス号は漕ぎをセーブしながら待ち
どぅなん号は追いつくために全く休憩が取れない状態になった

どぅなん号負けるな!

出発地から18.1km漕いだところで12時
与那国島が霞んで、島が見えなくなった
相変わらず西表島は見えない
自分の位置が分からなくなりつつあった。

当初の方針を一部撤回
位置情報を教えないはずだったが、無線で連絡を入れる

大きく北へ流されています。修正が必要です。

シラス号から連絡が入る
後方のどぅなん号を待ちながらでは潮の流れに流される一方です
単独でも向かいます。

シラス号は多少コースを修正できたが
それでも南へ向かうことは出来なかった。

苦渋の決断

中断
命には変えられない

困難な事は分かっていたが、
予想を遥かに超える厳しい結果
みんな頭を整理できずにいた

謎が深まった

一体、旧石器人達はどうやってこの海を渡ったのか
この謎に立ち向かうはずが、完全に押し戻されてしまった。

大失敗

多くの資金をクラウドファンディングで出資してもらっている

申し訳ない。何と言えば良いのか

出資者達から意外な声が上がった

「次が見たい」

ならば
反省と分析と
新たな行動計画だ!

続きはシリーズの次回

[科学]シリーズはこちら(少し下げてね)

[首相]18-2 5.15事件「話せば分かる」とは言っていない

[首相]18 犬養毅。憲政の神様
の続きです。
「池上彰に学ぶ日本の総理、犬養毅」に加え「昭和の怪物 7つの謎」も読みました。

5.15事件
具体的な日時までは分からないにしても、襲撃があるということは犬養毅にも分かっていたらしい。
昭和7(1932)年、5月15日は日曜日だった。

暴漢が乱入しました。閣下お逃げください

いや、わしは逃げない。そいつたちと会おう。

古賀清志海軍中尉を首謀者とする、海軍の青年将校と陸軍の士官候補生ら9人が乱入

護衛警官の一人、田中五郎巡査が
三上卓海軍中尉に腹を狙い撃ちされた

「昭和の怪物 7つの謎」の著者は犬養毅の孫娘にして評論家の犬養道子さんに色々聞いた。

その時、11歳の少女だった道子さんは、現場にいた。

土足で入ってきた三上が、犬養に向けて発射した銃は最初不発だった

まあせくな
撃つのはいつでも撃てる。あっちへ行って話を聞こう、ついてこい

おそらく、家族から離そうと思ったのだろう

このあとはお母さんの証言になるのだけど、別の部屋に行ったあと

まあ、靴でも脱げや。話を聞こう

そのあと、別の4人が現れて銃を乱射

女中テルの証言だと、そのあと流れる血の中で

今の若いもんを呼んでこい

「話せば分かる」とは言っていないのだ。

戦後「話せば分かる」はさかんに喧伝され、教科書にも乗った。
なぜ、言ってもいない言葉が言ったことになったのか

以降、道子さんの考えを中心に書いていきます。

事件後
道子さんは、お祖父さんをただ美化するのではなく、
犬養毅が何を誤ったのか、ちゃんと考えるべきだとする
「話せば分かる」という教育的に分かりやすい言葉に変えてしまうと
かえって本質を見失うと。

あの事件は本当にひどい事件でした。
テロに遭った私たちのほうが肩を窄めて歩く時代だったのですから。
何か基軸になるようなものが失われていたのですね

事件後、軍人達には法廷で十分に弁明の機会が与えられた。
自分たちは自分自身のことなどこれっぽっちも考えていない、
考えているのはこの国のことだけ、
陸海軍の指導者は、この国の改革(天皇親政)について考えてほしい、
自分たちは軍部政権をつくるための手駒でいい、などと何十回も陳述した

これに日本社会が反応した。
まるで彼らを英雄であるかのごとく扱った。
価値観が大きく変わり、戦争へと突き進んでいく。

お祖父さんを殺したのは、彼らだけど
もっと憎いのは、その後ろにいた人たちだと道子さんは考える。

陸軍大臣にその荒木中将を据え、
内閣書記官長に関東軍と通じ関東軍路線を推進する、森恪を置いた
逆の考え方を持った彼らを起用し
懐に置いてという考え方は甘かったのではないかと。

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

原田ゲキってなに?

あの人のその後を見に
の続きです。

御成門
イメージとして意外なのは、赤坂が港区だってこと
旧和宮邸の、ラフォーレミュージアム六本木は、最寄の駅が神谷町で
神谷町から御成門は遠くない
どちらも港区ですからね
御成門まで足を延ばしてみましょうか

初等教育の発祥
明治維新があり、4大改革のうちのひとつが学制改革

明治5年に、全国を7つの大学区、239の中学区、42451の小学区に分けた
それぞれに大学校、中学校、小学校を設置する予定

バンバン学校を作るぞ

第一大学区第一中学区第一番官立小学 阪本学校
はこの前見て来ました。

でも、この明治5年が小学校の始まりかと思うと実はそうじゃない。
東京にある6つのお寺を選んで、その中に試験的に小学校を作った。

  第一校 芝 増上寺源流院 (のちの鞆絵小学校)
  第二校 市ヶ谷 洞雲寺 (番町小学校)
  第三校 牛込 万昌院 (愛日小学校)
  第四校 本郷 本妙寺 (湯島小学校)
  第五校 浅草 西福治 (育英小学校)
  第六校 深川 長慶寺 (深川小学校)

この内、番町小学校と湯島小学校はウォーキングの時、確認しております。
さあ、3つ目です。
しかも順番として第一校

その時の源流院がこっちに移っていて

鞆絵小学校は、その後合併して、御成門小学校になっています。


よしよし、3つとも確認したぞ

北海道大学発祥の地
あれれ?北海道大学がなんでまた東京で発祥するわけ?
北海道大学の前身は開拓使仮学校と言います。
北海道を開拓するための若き人材を募集し、この地で教育したのが始まり
すぐに北海道に移す予定だったので「仮」が付いています。
女学校を併設したんですが
生徒には、卒業後北海道の人と結婚するという誓約をとっての入学でした。

政岡の井戸

加賀100万石に次ぐ、No2、62万石の仙台藩に
伊達騒動と呼ばれるお家騒動がありました。

3代藩主、伊達綱宗が吉原の高尾太夫に入れ上げたのをきっかけに
3期にも渡るとても複雑な跡目争いです。

この伊達騒動を題材にした「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」という
超人気歌舞伎演目があります。

中でも一番人気なのが、御殿の場
政岡(実在人物は三沢初子)は、伊達綱宗の長男鶴千代の乳母
自分の子供の千松とともに育てており
日頃から若様の毒味役を言い聞かせています。

鶴千代は跡目争いの渦中にいるので
食事には誰もさわらせず、全て政岡が飯炊きをしています。
その井戸が、この政岡飯炊きの井戸なんです。

お腹をすかせている二人
そこへ、幕府の高官の妻、栄御前が見舞の菓子を持って訪ねてきます。

断る訳にはいかないけれど、鶴千代に食べさせる訳にはいかない。
察した千松がさっと進み出て、菓子を口の中へ

案の定、毒が入っており、苦しむ千松
栄御前は発覚を恐れ、千松の喉を突き、殺してしまいます。

その間、政岡は、自分の子供が殺されているのに顔色ひとつ変えず
ただ、鶴千代を守ります。

そのあと、死んだ息子と二人きりになった場面で泣き崩れ

でかしゃった
でかしゃった

おじさん
井戸の写真をとってその場を離れようとしたその時、おじさんがやって来た

おう。これ、この写真を撮らなきゃ

はい、撮りました

この井戸はね、毒なんだよ
5代将軍の綱吉はね
弟の方が頭良くてね
殺されちゃうんだよ

(いろんなのがごちゃごちゃになってるかな)

将軍じゃなくて、仙台藩かなぁ、って思うんですけど
ここに「仙台藩」って書いてあるし

おお、そうかい。
お兄ちゃん詳しいね
原田カイはなんで原田ゲキなんだい
水戸黄門がね
原田ゲキだ原田ゲキだって言うんだよ
原田カイなのにね

(おお、原田甲斐知ってるんだ。かなり歴史好きなんだな
外記か。誰だったかなあ。少なくとも原田外記ではなかったけど)

原田甲斐、そうですね。原田甲斐は仙台藩の伊達騒動の当事者ですね

(タブレットで原田外記を検索しながら)

原田ゲキってないですね。外記って確かにいるんだけど
何外記か忘れちゃいました。

水戸黄門って5代将軍なんだよ
原田ゲキをどうのこうのするんだよ
ゲキは漢字は分からないんだけどね
何で原田カイは原田ゲキなのかなあ

水戸黄門は将軍じゃないですね
水戸藩の藩主です
御三家です

そうだそうだ。御三家だ
何で原田ゲキなのかなあ
ありがとよ

どうもありがとうございました。

別れて、数歩歩いて
ああっ。思い出した。藤枝外記だ!

急いでタブレットで藤枝外記を検索
そうだ!旗本だ。君と寝ようかだ

藤枝外記は旗本だが吉原の綾絹と良い仲になる
評判がたって色んなところから怒られて
もう会えなくなると思い詰め
綾絹と心中する
この事件は江戸中で話題になり
君と寝ようか五千石とるかなんの五千石君と寝よう
という端唄が流行る

急いで、おじさんを追いかけ

分かりました。藤枝外記です。
旗本ですね
吉原の人と良い仲になり
君と寝ようか五千石とるかなんの五千石君と寝よう
って唄が流行るんです。

おじさんとの楽しいやり取りでした。

[おでかけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

あの人のその後を見に

今日のお出かけは赤坂から

浄土寺

見処は、一ツ木地蔵
銅造製作はあの江戸六地蔵と同じ、神田鍋町の鋳物師太田駿河守正儀
なるほどお顔が似ています。

おっと、この閻魔様は目が斬新

報土寺
雷電為右衛門の墓があります。

圧倒的な強さ。歴史上一番強かった力士かも知れない。
254勝 10敗 14預り 2引分 5無勝負
昔は勝ち負け以外にも色々あったんです。
とてもフェミニストだったりします。
詳しくは江戸の娯楽と言えばやっぱり相撲
を見てね

勝海舟邸
勝海舟は赤坂の地をとっても気に入り
赤坂内で3箇所に住んでいます。
その内、一番長いのがここ

とても詳しい解説がありました。
こういうのとても助かります。

坂本龍馬が、勝海舟を斬りに来たのもここ
西郷隆盛との江戸城無血開城の会談に出かけたのもここから

行ってきまーす。

歴史の重みをずずーんと感じます。

そしてもう一ヶ所、5分くらい歩いたところにも勝海舟邸跡

こちらはなんともデラックス
斬りに来たのに意気投合しちゃった坂本龍馬が一緒に銅像になっています。
勝海舟は、いかなることがあっても刀を抜かないように
柄に紐を巻き付けて抜けないようにしています。

日本の夜明けぜよ

篤姫と家達
幕府側代表の勝海舟が赤坂をこよなく愛したという事があるのでしょう
勝海舟が世話を見たんだと思いますが、幕府側の超大物が赤坂に住んでいます。

篤姫と家達
13代家定の正室、篤姫は、元薩摩藩ですが、大奥に君臨し徳川家を一手に切り盛りします。
まさか薩摩藩が徳川家を滅ぼすなんて
なんて神様は悪戯なんでしょう

明治維新後、篤姫に薩摩に戻るよう言われます。
いえ、私は徳川家の人間ですから。

16代徳川家当主の家達を引き取り、
この場所で明治5年から、5年間この場所で暮らします
明確な場所は分からなかったんですが
この公園の場所ということにいたしましょう

ここでは、12代家定のお母さん、13代家茂のお母さんも一緒に住みます。

さとちゃーん、ご飯出来たわよーっ

そのあと、この前行った、千駄ヶ谷の東京体育館の場所に家達と移り住みます。
広大な土地はもらったものの、生活は極貧
少しでも余裕が出ると、元大奥の女中達の支援をしちゃうからです。
あまりの状況に、新政府が何度も支援を申し出ますが、全て断ります
亡くなったのは千駄ヶ谷ですが、
その時は所持金は現在の価値にして6万円ほどしか所持金がありませんでした。

桜坂
♪薫るさくーらーざか

和宮
14代家茂の正室、皇女和宮
明治2年に京都に戻りますが
明治7年、
やはり東京が良いわ
私は徳川家の人間ですもの

篤姫や勝海舟の近くに居を構えます

おおおっ。でかいビルじゃないですか。

でも、長くはありませんでした。
元々体が弱かった事もあり、明治10年、箱根の塔の沢温泉に療養のため移り
9月2日、箱根で32歳という若さで亡くなります。
夫家茂と同じ死因、脚気でした。

大倉集古館
大倉喜八郎が収集した美術品の美術館が大倉集古館



竜宮城みたいですね
設計は、あの築地本願寺を設計した伊東忠太です。

大倉喜八郎は渋沢栄一と共に鹿鳴館、帝国ホテル、帝国劇場、などを作った大倉財閥の創始者
あっ、さっきからそこにいらしたんですね。失礼しました。
今日は先を急いでいるもんですから、中までは入らず失礼します。

まだ続きます。続きは明日ね
[おでかけ]シリーズはこちら(少し下げてね)