あの人のその後を見に

今日のお出かけは赤坂から

浄土寺

見処は、一ツ木地蔵
銅造製作はあの江戸六地蔵と同じ、神田鍋町の鋳物師太田駿河守正儀
なるほどお顔が似ています。

おっと、この閻魔様は目が斬新

報土寺
雷電為右衛門の墓があります。

圧倒的な強さ。歴史上一番強かった力士かも知れない。
254勝 10敗 14預り 2引分 5無勝負
昔は勝ち負け以外にも色々あったんです。
とてもフェミニストだったりします。
詳しくは江戸の娯楽と言えばやっぱり相撲
を見てね

勝海舟邸
勝海舟は赤坂の地をとっても気に入り
赤坂内で3箇所に住んでいます。
その内、一番長いのがここ

とても詳しい解説がありました。
こういうのとても助かります。

坂本龍馬が、勝海舟を斬りに来たのもここ
西郷隆盛との江戸城無血開城の会談に出かけたのもここから

行ってきまーす。

歴史の重みをずずーんと感じます。

そしてもう一ヶ所、5分くらい歩いたところにも勝海舟邸跡

こちらはなんともデラックス
斬りに来たのに意気投合しちゃった坂本龍馬が一緒に銅像になっています。
勝海舟は、いかなることがあっても刀を抜かないように
柄に紐を巻き付けて抜けないようにしています。

日本の夜明けぜよ

篤姫と家達
幕府側代表の勝海舟が赤坂をこよなく愛したという事があるのでしょう
勝海舟が世話を見たんだと思いますが、幕府側の超大物が赤坂に住んでいます。

篤姫と家達
13代家定の正室、篤姫は、元薩摩藩ですが、大奥に君臨し徳川家を一手に切り盛りします。
まさか薩摩藩が徳川家を滅ぼすなんて
なんて神様は悪戯なんでしょう

明治維新後、篤姫に薩摩に戻るよう言われます。
いえ、私は徳川家の人間ですから。

16代徳川家当主の家達を引き取り、
この場所で明治5年から、5年間この場所で暮らします
明確な場所は分からなかったんですが
この公園の場所ということにいたしましょう

ここでは、12代家定のお母さん、13代家茂のお母さんも一緒に住みます。

さとちゃーん、ご飯出来たわよーっ

そのあと、この前行った、千駄ヶ谷の東京体育館の場所に家達と移り住みます。
広大な土地はもらったものの、生活は極貧
少しでも余裕が出ると、元大奥の女中達の支援をしちゃうからです。
あまりの状況に、新政府が何度も支援を申し出ますが、全て断ります
亡くなったのは千駄ヶ谷ですが、
その時は所持金は現在の価値にして6万円ほどしか所持金がありませんでした。

桜坂
♪薫るさくーらーざか

和宮
14代家茂の正室、皇女和宮
明治2年に京都に戻りますが
明治7年、
やはり東京が良いわ
私は徳川家の人間ですもの

篤姫や勝海舟の近くに居を構えます

おおおっ。でかいビルじゃないですか。

でも、長くはありませんでした。
元々体が弱かった事もあり、明治10年、箱根の塔の沢温泉に療養のため移り
9月2日、箱根で32歳という若さで亡くなります。
夫家茂と同じ死因、脚気でした。

大倉集古館
大倉喜八郎が収集した美術品の美術館が大倉集古館



竜宮城みたいですね
設計は、あの築地本願寺を設計した伊東忠太です。

大倉喜八郎は渋沢栄一と共に鹿鳴館、帝国ホテル、帝国劇場、などを作った大倉財閥の創始者
あっ、さっきからそこにいらしたんですね。失礼しました。
今日は先を急いでいるもんですから、中までは入らず失礼します。

まだ続きます。続きは明日ね
[おでかけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

あの人のその後を見に」への1件のフィードバック

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