[人類]3 なぜ海を渡る?考えても分からん。

[人類]1 日本人はどこから来たのか
[人類]2 ホモサピエンスの世界大拡散
の続きです。

ルート
人類が日本に渡ってきたのは、遺跡等から調べて判明したところまででした。
古い方から
対馬ルート
沖縄ルート
北海道ルート

古い方のふたつは、意思を持って海を渡ってきたことになります。
潮の流れからして、単純に漂流しても日本には着かないし、
万が一、一人漂着しても男女揃っている訳ではないので、子孫が産まれない

対馬ルート
今でも朝鮮半島から対馬が見え、対馬から九州が見える
後期旧石器時代にはその距離はさらに近かった。
自然なルートだと言える。

朝鮮・対馬海峡は、その後の日本列島の歴史においても、常に大陸との一番太いパイプで、
縄文時代にもこの海峡を人々が往来した痕跡がある。
弥生時代初頭には大陸から再び大規模な集団移入があって、
これがその後の日本人の形成に大きな影響を与えたことは、
遺伝学など複数の証拠から明らかにされている。
3万8000年前以降に日本列島へ渡ってきた旧石器人も、
その大多数は対馬ルートでやってきたのだろう。

沖縄ルート
対馬ルート以外にも、沖縄ルートがあることが分かった。
「サピエンス日本上陸」「日本人はどこから来たのか」の著者、海部陽介さんは
このルートに一番こだわり、のめり込んで「実験」をすることになる

北海道ルート
北海道ルートは一番新しいし、地繋ぎだから、考えるべき点は少ない
2万5000年ほど前に、
シベリアから細石刃文化と呼ばれる独特の石器文化が南下してきたことが、
古くから考古学者の間で知られていた

ただ、ひとつ疑問が残っている。
3万年前にも北海道に遺跡がある
これは、北海道ルートと同じなのだろうか
ひょっとすると、対馬ルートで渡ってきた人類が
津軽海峡を越えた可能性もあるが、まだ分かっていない。

実験
どういう風に海を渡ったのだろう
さらに言うと、なぜ渡ろうと思ったのだろう。

海部陽介さんは、学者にあるまじきと言おうか、突飛な発想の仕方をする

考えても分からん。

学者って考えるのが商売。

この3つのルートの時期を特定したり
地繋ぎか海に隔たれていたのかは、膨大な量のデータを集めて考えた。
でも、どうやって?なぜ?という一番肝心なところになると
考えても分からん、という手法でスタートする

やってみよう。
感じてみよう。

対馬ルートなら対岸が見えるから、行きたくなる気持ちも分からないではない
沖縄ルートがどうにも分からない。
山の上に登ると辛うじて向こうの方に島がうっすらと見える

海部さんはその山に登り
正直、島に渡りたい気持ちがわかなかったという

どうせなら、この難しい方のルートで挑戦したい。

挑戦
当時の技術で船を作る
そして台湾から、与那国島まで、男女混合の数人で海を渡る。

専門家たちに集まってもらおう。
人類進化学者や遺跡を調査している考古学者
古代舟を推定するための海洋文化人類学者
舟の素材を検討する植物学者
現在と古代の海を研究する海洋学者
さらに実験航海には舟を漕ぐプロが必要なので、海洋探検家

科学者と探検家が集う研究会を、2013年3月に与那国島で開催し、
そこから生まれたのが「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」

3年の準備期間を経て、2016年4月に、上野の国立科学博物館の
正式なプロジェクトとしてスタート
さらに2017年3月には、台湾の国立台湾史前文化博物館と協定を結び
日本と台湾が協力する国際共同プロジェクトとなる

実験の趣旨
同様の実験は世界各地で実施されたことがある
ただ、今回のプロジェクトは実験の趣旨が異なっていた。

「行けるかどうか」ではない。
行ける事は分かっている。
行ったんだからそう
問題は「どれだけ大変だったか」に趣旨が置かれる

だから、海部さんはプロジェクトを指揮するなどという事ではなく
自分で漕いで渡る必要があった。

学者たちだけではなく、海洋探検家たちに集まってもらったのもこだわり
理屈では渡れない
果敢なる挑戦
命をかけるプロジェクト

結論的には、予想通り「とても大変」だった訳だけど
シリーズの次回、船作りから説明していきます。

[科学]シリーズはこちら(少し下げてね)

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