[建武]8 後醍醐天皇ピーンチ。えっ、そりゃまた。

[建武]1 後醍醐動く。役者が揃いました
[建武]2 私だって、考えちゃいますよ
[建武]3 新田義貞、いざ鎌倉へ
[建武]4 新田義貞。行け行けーっ
[建武]5 鎌倉幕府陥落。不思議といふも類なし
[建武]6 足利尊氏と新田義貞。えっ私?なんでまた
[建武]7 足利新田、そのままにしておけ
の続きです。

京都で
勢いに乗った足利尊氏軍は、全国の反朝廷の武士たちに声をかけて結集
京都を取り囲み、とうとう京都を陥落させます。

対する新田義貞
態勢を整え直し、鴨川の糺河原(ただすがわら)で足利軍と対峙します。

「この国を護る武士に相応しいのは、貴殿か、それともこの義貞か、
武にて答えを出そうではないか。いざ勝負!」

1対1のタイマン勝負を申し出ます。

とても良い作戦です

足利尊氏はとても武勇に長けていますが
何せメンタルが弱い
そんな事言われたら恐怖におののいてしまいます。

すごすごと逃げ出します。
大将が逃げたので、一同どうしようもありません。
一目散に逃げ、新田軍は大勝
京都を奪還します。

新田義貞は何度大敗を喫しても、不死鳥の如くよみがえるしぶとさを持っています。

どっこい、足利尊氏だって、同じくらいにしぶとい
メンタルが弱いというだけで、桁違いの人気がある
全国の武士たちは足利尊氏のためならいつでも命を投げ出す覚悟

そんな二人は、やってはやり返すを何度も繰り返します。
そして、もうひとり、朝廷側には楠木正成がいます。

そっちが、楠木正成なら、こっちだって
強力な味方がいるのさ

光厳院(こうごんいん)
光厳院は、前天皇
大覚寺統の後醍醐天皇を流罪にした時
持明院統の光厳天皇が即位していた

後醍醐天皇が奪還したときに廃位されてしまっていた。

足利尊氏の考えたのは
「そっちは天皇、こっちは朝敵っておっしゃってますが
こっちは院政ですから」作戦

今まで、天皇より前天皇が院となり、天皇より院の方が強かった

どうだっ

そして、朝廷の新田義貞側に、まずい事がおきます
肝心の新田義貞が瘧病(おこりびょう)という伝染性の熱病にかかり
病床から立ち上がれなくなってしまったのです。

後醍醐天皇、ピーンチ

そうだ、あいつがいるじゃないか

楠木正成です

すぐに呼び寄せ
どうしたら良いと思う?

実は良い考えがございます。

足利尊氏というのは、とっても強うございます。
なんと言っても絶大なる人気がある。

うん。じゅうじゅう分かっておる。

足利尊氏を味方につけてしまいましょう

えっ、そりゃまた。
散々戦ってきたのに。
新田が納得する訳ない

何なら、新田を切っても良い

えっ、そりゃまた。

楠木正成は知的で頭が切れる
新田に恨みがあるわけでも何でもなく
単純にこの状況を冷静に分析し
最適な方法を考えたと言うこと

さあ、どうなりますか
続きはシリーズの次回

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[ことば日本史] 奥さん。女房。御曹司

「ことば日本史」平安時代から

建物の話です。
平安時代の建築様式、寝殿造
平安貴族の生活を想像するとき、きまって思い浮かべるの左右対称の優雅な建築

基本構造は南北の中心軸上に母である寝殿をおき、
その東西に対(たい)という副屋があって
寝殿と対との間を一部吹き放しになった渡り廊下がつないでいる。

南庭には池があって、 中島橋、釣殿、殿などがある。
まるで邸宅の敷地内に、ユートピアめいた小宇宙が完結しているかのようだ。

そんな寝殿造から生まれた言葉を3つ紹介しましょう。

奥さん
寝殿造の部屋の名前が、今も人を呼ぶ言葉に生きています

奥さん

貴族の正妻は寝殿の裏にある北方の御殿で生活している場合が多かった。
それで身分の高い人の妻を「北の方」や「奥方」と呼ぶようになった。
やがて、くだけて、奥さんとなる。

女房
貴族のもとや宮廷に出仕した女性は女房と呼ばれたが、
それは与えられた個室が女房と呼ばれたことに由来する。
宮廷に仕えた他の女官が雑用係であるのに対して、女房は后(きさき)らの教育をつとめた。

清少納言や紫式部がその代表である。

中世には、この言葉が一般化し、
中世末期になると自分の妻をさして使われるようにもなった。

うちは、本人に向かってとか、家族内での呼び方は「お母さん」
他の人に対しての話題の中ではカミさん
「かみ」と打つと「カミさん」と変換されるようにユーザー辞書登録してあります。
奥さんや女房なんてな奥ゆかしい存在ではございません
ただただ耐えて従うのみ

そうそう、そういうと昨日バレンタインのチョコレートもらいましたよ
200円のね
娘の旦那さんや、職場に持っていくのは何千円かするやつでしたけど。

御曹司(おんぞうし)
貴族の住んだ贅沢な部屋を曹司といったことから、
部屋住みの貴族の子弟を御曹司と呼ぶようになった。

のちに武家は源氏では子弟を御曹司と呼び、平家では公達(きんだち)と呼んだ。

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[迷信]13 暗いところで本を読むと目が悪くなる

暗いところで本を読むと目が悪くなる
何度も言われた気がします。

私もそう思っているし
「迷信」というより「常識」に近い気がします。

見えにくいからと顔を近づければ目は疲れるし、
目をこらして文字を読めばなおさら視力が下がるのでは?

目が悪くなる原因には大きく分けて2つある。
ひとつは近くを見すぎたことでふくらんだ凸レンズの水晶体が
一時的に元に戻らなくなっている屈折性近視。

これは、遠くを見るなどして目の回りの緊張を解くことで
視力を回復させることができる。

もうひとつは軸性近視といって、
眼球の奥行が伸びて焦点が合わせられなくなることで起こる。
人間は生まれたときは遠視で、近くのものをはっきりと見ることができないのだが、
成長とともに眼球が伸びていくことで近くにもピントが合うようになっいく

しかし必要以上に眼球の奥行が長くなり、近視になってしまう。

一度楕円形に伸びた眼球はもとのように丸く戻すことはできないため、
軸性近視になると視力の回復は望めない。

現在の日本では子供の近視が大きな問題になっていて、
小学生の3人に1人の視力が1.0未満だという。

また、京都市にある小学校で、
新型コロナによる一斉休校」が明けた2020年以降に行われた視力検査では、
児童の2%の視力が0.7未満となっていて、前年度よりも6ポイントも増加していたのだ。

自粛期間中に、子供たちがスマホやゲームに夢中になっていたことと無関係ではないだろう。
また、長い時間家の中に閉じこもっていたこともひとつの原因だと考えられる。

というのも、最近の研究で視力の低下と太陽光不足がわかってきたからだ。

慶応大学医学部の眼窩学(がんかがく)教室研究チームによると、
目には近視を抑制する遺伝子があって、これを活性化させると
視力の低下を抑えられるのだという。

そのカギとなるのが、太陽光に含まれる「バイオレットライト」だ。
昔から、屋外で過ごす時間が長い人ほど視力が良いということはわかっていたのだが、
その原因は突き止められていなかった。

この長年の疑問を解明したのがバイオレットライトで、
この光をたくさん浴びることで 「EGRI」とい
遺伝子が働き、ピントを調節している眼軸長が伸びるのを防ぐと考えられている。

バイオレットライトは、UVカット効果のあるレンズや窓ガラスでカットされてしまうので、
たくさん浴びるためには2時間以上屋外に出ることが推奨されている。

とはいえ、太陽光には目に有害な紫外線も含まれている。
そこで、最近では紫外線をカットしながらバイオレットライトを透過する
メガネレンズも登場している。

目の疲れとバイオレットライト不足のダブルパンチにならないよう、
晴れた日には外に出て目を休ませましょう。

最近どんどん目が悪くなってきています。
原因は分かっているんですけどね
暗いところで本を読んだわけでもなく
上の二つの原因でもないでしょう

加齢

恐ろしいです。加齢ってやつは

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[歳時記]2/13 ワーグナー死去

2/13
ドイツの作曲家ワーグナーは、
少年のころにベートーベンの曲に感動し、作曲家になることを決意。
早くからその非凡な才能を発揮し、歌劇の指揮者となった。

チューリッヒでは、人妻との恋によって『ウェーゼンドンク歌曲集』や
『トリスタンとイゾルデ』などの名曲が生まれた。

1883年2月13日、イタリアのベネチアで狭心症の持病を持っていた彼が、
体に異を感じ、苦しみながら「医者と妻を!」とうめいたという。

妻のコジマが駆けつけて、いつも愛用していた薬を飲ませたが効果はなく、
妻の腕の中で息を引き取ったのである。

この人がコジマさん

彼の遺体は青鋼とガラスでつくられた立派な棺に入れられた。
そして、黄金の獅子をあしらったゴンドラに乗せられ、
私邸のあるバイロイトへと向かった。そのときに流れたのは、
自作『神々の黄昏』という葬送行進曲だった。

まさか、この日が来ることを予想していたわけではないだろうが、
なんとも用意のいいことだ。
自作の曲で送られるとは、ワーグナーも幸せだったにちがいない。

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