[建武]7 足利新田、そのままにしておけ

[建武]1 後醍醐動く。役者が揃いました
[建武]2 私だって、考えちゃいますよ
[建武]3 新田義貞、いざ鎌倉へ
[建武]4 新田義貞。行け行けーっ
[建武]5 鎌倉幕府陥落。不思議といふも類なし
[建武]6 足利尊氏と新田義貞。えっ私?なんでまた
の続きです。

足利尊氏追討軍
新田義貞が後醍醐天皇から足利尊氏の追討を任せられます。

しかし、新田義貞の地位は、まだせいぜい従四位上。
そのような低い身分の者が上に立つと、なかなか人々を率いるのが難しい。

そこで名目上、総大将である上将軍には、
後醍醐天皇の皇子の一人である尊良親王(たかよししんのう)が置かれました。

新田義貞としても、
そうしてもらえると助かりますっ

ところが、この編成が、後に大きな悲劇を生むことになります。
上将軍を尊良親王とし、新田義貞を事実上の総大将とする官軍の足利尊氏追討軍は、
6万以上の軍勢で東へと進軍しました。

迎え撃つ足利尊氏
この人、面白いというか何というか
ものすごい野心家のようでいて
メンタル面がビックリするほど弱い

今さらですが、自分が朝敵になってしまった事をひどく悔います
もはや立つ瀬がない
発狂寸前で出家しようとします。

この先々もカリスマ性がすごくあるにも関わらず
メンタルのジェットコースターに周りは振り回される事になります

ここは弟の直義が采配を振るいます。
新田義貞はその優れた軍略で、
三河国まで出てきた足利直義軍を矢作川(愛知県岡崎市)にて打ち破ります。

さあ、この勢いで、鎌倉を一気に落とせっ

鎌倉は、新田義貞が以前とっても苦労した自然の要塞
難しいのは分かっていますが、
やってやれないことはない

ところが、懸念していたことが現実になります。
尊良親王をはじめとして、その取り巻きの公家たちが要らんことを言い出します。

今はまだ攻め入る時じゃない

はあ?
そりゃまたどういう根拠で

結局足利直義が勢いを取り戻す余裕を与えてしまいます。

戻ってきた足利直義と箱根で大激突
ここでも足利直義はコテンパン

もう一息って時に、あらら
どこぞに行っていた足利尊氏がひょっこり現れます

不思議なんですよねえ
この人が現れただけで軍の士気は一気に盛り上がる
なんと、一発逆転大勝利

退却ーっ
新田軍は逃げ出し、天竜川へ

いかん、橋がない

新田義貞はテキパキと指示し
あっという間に橋をかけてしまいます。

よし渡れたぞ

普通は、また橋を壊して、時間を稼ぎ
その間に逃げるもの

ところが新田義貞は
そのままにしておけ

追って来た足利軍
あれ、ここは橋がなかったはず
ということは、新田軍が架けたんだな
なぜそのままにしてある
何かの罠に違いない
渡るな

後に新田義貞は、なぜ橋を壊さなかったか聞かれてこう答えた

我々は、天皇の命を受け、官費をもらっている官軍
その官費で架けた橋は言わば公共事業だから、壊しちゃいけない

このあとも両軍一進一退を繰り返します
どちらも実に強かった
絶対絶命になっても何度も復活するんです。

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

[建武]7 足利新田、そのままにしておけ」への3件のフィードバック

  1. ピンバック: [建武]9 生き延びてくれ | でーこんのあちこちコラム

  2. ピンバック: [建武] いや、その、なんだ | でーこんのあちこちコラム

  3. ピンバック: [建武]12 新田義貞の最期。ならぬ。武士が味方を捨てて一人で逃げるわけにはいかない | でーこんのあちこちコラム

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