渋沢栄一 その2 パリ万博から諸外国へ

渋沢栄一その1は、農民だった渋沢栄一が
一橋家の一員になるまででした。
渋沢栄一 その1 クーデター計画

突然
漫然と過ぎ行く日々

ところが

突然の呼び出し

すぐにパリに向かってくれ

ど、どういう事ですか

薩長に、イギリスが強く肩入れしているので
対抗上、フランスは、幕府をサポートしてくれている
そのフランスから
今度パリで万博やるんだけど、日本も出展しませんか

後から思えばだけど
明治維新の前年
ぐちゃぐちゃのシッチャカメッチャカの筈
そんな事している場合か

でも当人たちはいたって真剣
ここは一つ国の威信をかけて

でも、将軍慶喜が直々に行くわけにも行かない
よし、弟に行かせよう。
慶喜の実の弟、徳川昭武(あきたけ)
こりゃまた力入ってます。

ただ、この時、昭武はまだ15歳。
実際に実務を取り仕切る超強力な人をつけよう。

なんで私が?

将軍からの直々のご指名だ

えっ! 私の事を覚えてくれていたんだ

どうした 嫌なのか

いえ、滅相もない
すぐに参ります。

いつも行動を共にしていた、いとこの喜作はたまたま出張中
挨拶もできず書き置きを残していく。

幕府だって、開国した以上は諸外国に追い付け追い越せと思っています。

昭武よ
そのまま諸外国を留学して回り
いっぱい技術を習得してくれ

渋沢栄一もそのお供で諸外国

渋沢栄一と言えばパリ万博ですね
明治維新前年に、パリ万博に出展

とても面白いのですが
一度書きましたのでそちらを見ていただくとして
ガサッと省略。

留学
パリ万博は大成功
よし、その勢いをかって、諸国へ留学だ

見るもの聞くもの全てが衝撃的

鉄道もガス燈で夜も明るい街も

おそらくその時代の日本人ならただただ驚いて
物質的な豊かさばかりが頭の中を駆け巡るだろう。

さすがは渋沢栄一
そこにもう少し違ったものを見ていた。

商人に対する社会の接し方と、商人の考え方

当時の日本は、武士がただ威張っていて
商人はへえこらおもねるばかり

でも西洋では、商人が政治家と全く対等の立場で対峙していた。

一言で言うと「平等」なんだろう
お互いが尊重しあって成り立っている社会

なんて精神的に豊かな社会なんだ

どうしても物質的に自分達より圧倒的に優位な社会を見ると
てやんでい、俺達の方が精神的には豊かなんだと、思いたくなるもんだけど

精神面こそ学ぶべきお手本だと。

そして、さらに驚いたのは、それぞれの産業を担っている会社の事業規模
鉄だの紙だの機械だの、相手にしている人達や地域が日本とは桁が違う

なぜそんなことが可能なのかと聞いてみて驚いた。

資本と言うお金を数多くの人から集めて事業を起こす。
その仕組みこそ学ぶべき

それをバンクなるこれまた会社が担っている

仕組みこそが社会を活性化させ、人々が生き生きと働ける。

新聞で
ある日新聞で記事を見つける

日本、幕府崩壊

もう、嘘ばっかり
完全なガセネタだよ

一行のみんながそう言う中
栄一は
あり得ますね

時間の問題だとは分かっていても
さすがにここまで早いと、思ってはいなかった

みんなが一刻も早く帰って真実を確かめよう、と言う中
栄一は引き延ばし作戦

帰って良いことがある訳ありません

でも、とうとう新政府側から帰国命令

そこで見たものは
いとこの喜作の運命やいかに

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