家康14(一旦最終回) 秀吉の秘策とは

本題に入る前に
いやあ、新しいお札の発表がありましたね

嬉しい!
渋沢栄一ファンといたしましては
興奮の日々でございます。
こっちも読んでね
渋沢栄一 その1 クーデター計画
渋沢栄一 その2 パリ万博から諸外国へ
渋沢栄一 その3 日本に帰って見たもの。そして何をしたのか
渋沢栄一 その4 明治新政府はあれもこれも
渋沢栄一 その5 渋沢栄一は魔法使い
渋沢栄一 その6 産業造り、国造り、人造り
渋沢栄一資料館に行ってきました。

そもそも、今のタイプのお札を作ったのは渋沢栄一なので
お札の顔に今までなっていない事自体おかしかったと思います。

さあ、本題
家康13 信雄、何すんねん
の続きになります。

屈せず
織田信雄が秀吉の傘下に入り、勝負あり
勝ち目のなくなった家康は、息子於義丸(おぎまる)を秀吉の養子として人質に出す。

世間的には、秀吉の傘下に入ることを意味するが
大阪へ上洛せず拝謁もしない。
となると、傘下に入ったとは言えない。

手を変え品を変え、上洛を促されるが
ただただ無視。

そうこうしているうちにさらに秀吉の支配地域は広がるばかり。
そんな状態が2年も続きます。

一方、九州では島津が九州を統一しようかという勢い
秀吉としては、島津を討ちに行かねばなりません。
その為には、背後の東海中部五か国の家康に、手を打っておく必要がある。

客観的には、攻め落とす事は可能でしょう
小牧長久手の戦いの時より、さらに大きく差がついちゃっています。

どうする

浜松評定
家康側も、決めないといけません。
何度もそういう状況になりながら、ずっと先送りにしてきた。

家康は、武田信玄や織田信長や豊臣秀吉のように突出したリーダータイプではない。
今までも、自分の独断で決めると言うことをほとんどしていない。

みんなの総意に従う
ずるいと言えばずるいが
生死の問題。
もし、秀吉と戦おうとなれば、今度こそ結果は見えている
玉砕。

家康は、俺のために死んでくれ、とは言えなかった。

浜松評定
方針決定会議
家康はその場で何も言わず黙って聞いていて、出た結論に従う。

今までも、バカヤロウと途中で怒り出して結論をひっくり返す事がなかったので
みんなも安心感がある

とても面白いのが、この最も重要な身内の会議に
関東一円を治める超大国の北条氏に
オブザーバーとして参加してもらったこと。

北条氏は徳川の倍の領地を持ちつつ
隆盛を極めたのは随分前で
今は、老大国と化している

戦をするつもりがあるとは思えないが
秀吉の傘下に入られてしまうと、
その時点で全てが終わってしまうだろう。

さあ、出た結論は?

傘下には入らず

あい分かった。

使者
織田長益、滝川雄利、土方雄久
織田信雄(のぶかつ)の家臣のこの3人が使命を受けて家康説得にあたる

最初こそ歓待したが、
結論を変えるつもりはない

一月のうちに3回も来たもので
わざと鷹狩りに出掛けてしまい、不在とする
でも、鷹狩りの場所にまで追いかけてくる。

この3人は、小牧長久手の戦いまでは同志であり
共に戦った仲間。
家康の事は理解している。
一方で、寝返ったあとは、秀吉に触れることになるが
その人物に惚れ込んでしまっている。

確かに計算して演技するところはあるが
底知れぬ人間的魅力を持っているのだろう。
心の底から二人を結び付けたいと思っている。

何度言われても、行かぬものは行かん

ついつい、言葉をあらげ
言わずとも良いことまで言ってしまう
後で、多少言い過ぎたと後悔はするが
総意は徹底抗戦なのだから仕方ない。

報告
これ以上は無理だろう。

信雄が3人を連れて秀吉のもとに報告に行くが、時間は既に寝る時間
ダメならダメで翌日また来る前提で訪ねる。

案の定なかなか現れないので
やっぱり無理か

でも実は、起きていた
なかなか出ていかなかったのは、考えていたから
取り次ぎの者から聞いたので、駄目だったことは分かっていた。

良い方法が無いものか。

あっ
ひらめいた。
ひらめいたぞ

秀吉でしか思いつかないだろう。

あわてて寝間着のまま、出ていった

信雄殿、良い方法が思い付いたぞ

朝日じゃ

それでも不足というのなら
大政所(おおまんどころ)までつけてもいい

秀吉の氏素姓は厳密には水呑百姓ですらなく、
流浪して縫針を売りあるいたり、
野盗の走りつかいをしたこともあった。
これ以下の階層はあるまいとおもわれるような
最下層の泥の中から這い上がっている

共に苦労した家族に対する思い入れは
通常のそれとは全く異次元のもの

朝日は、秀吉の妹
百姓に嫁いだが
秀吉の義理の弟が百姓という訳にもいかないので侍にしたが
生来臆病なので、どう取り立てようにも何ともならない。

何とこの旦那と離婚させて
朝日姫を、家康に嫁がせるという案

無茶苦茶というか、奇想天外というか、常軌を逸しているというか
秀吉でなければ絶対に思いつかないだろう。

要するに人質なわけですが
人質って、格下が格上に対して、裏切りませんよという意思表示のために差し出すもの
息子於義丸(おぎまる)はその為に差し出したし
家康本人だって、徳川(松平)が弱小であったが故に、人質生活を余儀なくされた。

秀吉はほぼ天下人です。
家康は一地方の覇者でしかない
全くの逆で、こんな話聞いたこともない

確かに家康は、築山殿で懲りたのか、
築山殿亡き後は正室を置いていない。
朝日姫は44歳。
お顔はというと、う~んなんとも

仕方なく受け入れた家康。
これで、秀吉と家康は義理の兄弟ということになります。
秀吉お兄様

それでも、上洛せず。
お兄様への挨拶もいたしません。

さあ、「大政所(おおまんどころ)までつけてもいい」になります。
大政所とは、秀吉のお母さん。
秀吉は世に知れた親孝行
マザコンと言っても良い。
自分が一番大切なもの

朝日姫のお見舞いと称し、人質としてやって来る。

いくら総意があっても、これで上洛しなきゃ人間じゃないでしょう。

結局秀吉にとって、家康って何だったのかなあと思う。
そこまでする相手。
そこまでしたかったんでしょう。
性格は全く逆だったけど
家康の事が好きだったんでしょうね

最後まで、何をしても家康より秀吉の方が少しずつ上を行っていた気がする。
人の命は有限だから、秀吉が死ぬことで、歴史が動いていく訳だけど
二人で一緒に天下を治めることがあったら面白かったろうな、と思う。

司馬遼太郎の「覇王の家」はここから一気に飛んで、家康の最期の時になります。
あれっ、関ヶ原は? 大阪冬の陣、夏の陣は?
司馬遼太郎は、それぞれ別にそのテーマで小説を書いていますので
そちらを読んで、ということなんでしょう。

私も長く書いてきたこのシリーズ、一旦最終回にします。
関ヶ原等の続きは、またの機会に改めまして。

索引はこちら
[徳川十五代将軍]シリーズはこちら(少し下げてね)

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