[日本語の発音] 漢字仮名混じり文の開発

[日本語の発音] 奈良時代に母音は8個あった
[日本語の発音] ハヒフヘホはパピプペポ
[日本語の発音] 発音通りに書いた時代
[日本語の発音] ゐ、ゑ、を
の続きです

鎌倉時代

平安時代の前半では、発音と文字が1対1で対応していたのに
平安時代の後半になると、発音が変化したのに文字はそのままという状況が発生した
ゐ、ゑ、をの問題と、は行の2音目以降の問題

現在の我々が古文を読みにくいように
鎌倉時代の人たちは、平安時代の前半に書かれた文章をかなり読みにくかったと思われる

何とか読みやすいように、考え方を変えようと立ち上がったのが
百人一首の編纂者で有名な藤原定家大先生

それまでと、日本語の書き方を大きく変えてしまうのだから
さすが大先生

昔、漢字しかなかったところに平仮名という大発明がなされたのが平安時代
あまりの便利さに、誰もかれもが、平仮名で文章を書くようになった
言い換えると、ほぼ「平仮名のみ」で書くようになった

下は、源氏物語絵巻

『源氏物語絵巻』
九月のつこもり
なれは紅葉のいろくこきませし
もかれのくさむらくにをかしく
みえわたるにせきやよりさとく
つれいてたるくるまたひすか
たともいろくのあをつきくしき
ぬひものくくりそめのさまくさるか
たにをかしくみゆ御くるまはす
たれうちおろしたまふてかのむかし
:
:

ごく一部の例外を除いては、ほぼ全てが平かな
改行の位置は、言葉の途中であろうがお構い無しで、下まで来た段階で改行
「、」や「。」も無い
濁音も記載されていない

我々の感覚からすると、よくもまあこれで意味分かっていたなあ、と不思議

「、」や「。」や濁点の開発はもう少しあとになりますが
読みやすさ大革命を起こしたのが藤原定家
まず、漢字仮名混じり文

ゆふきり
ひるのおましにうちふしたまへる
にこの御かへりもてまいれるかれ
いにもあらすととりのあとのや
うなれはとみにもえみときた
まはぬにへたてたるやうなれと
いとゝくみつけてはるよりてうし

ひるのおましにふし給へりよひすくる
ほとにそこの御返りもてまい
れるをかくれいにもあらぬとりのあとのやう
なれはとみにも見とき給はて御となふらちかう
とりよせてみ給ふ女君ものへたてたるやうな
れといとゝく見つけ給うてはひよりて御うしろ

そして、その後
言葉の区切りで、改行するように工夫がなされるようになる

上の文章を見て、あれ?と思われたかも知れません

定家本と言われる定家の書き写した書き物は
完全に100%オリジナルと同じではない

漢字に書き写すということはそれ自体、本文の注釈を意味する
そして、その過程で、少し、本文を変えてしまったりもしている

例えば、土佐日記の冒頭
をとこもすなる日記といふものををむなもして見むとてするなり

をとこもすといふ日記といふ物をゝむなもして心みむとてするなり

おそらく、「すなる」は定家の時代には、文法的に使われなくなっていた
要するに、今であれば「現代語訳」

定家はそんな色んな提案をしていき
漢字仮名混じり文は、それ以降完全に定着していく

[言葉]シリーズはこちら(少し下げてね)

[旅行業務取扱管理者] どんな試験?

新たなる挑戦
の続きです

どんな試験?
旅行業務取扱管理者、ってどんな試験かを紹介します

国家資格で年に1回、9月に試験があります
旅行会社が営業所を作ろうとすると
営業所に1人は旅行業務取扱管理者がいなければなりません

総合というのと国内というのがあって
国内の管理者しかいなければ、国内の旅行しか扱えません
総合の資格を持っている人がいれば、海外旅行も扱えることになります

私が受けようと思っているのは国内
総合だと、英語の科目もありますが、私は英語が見事に全く分からないので。

試験科目は、国内の場合は3科目
それぞれ、60%以上取れれば合格です

◆旅行業法
→旅行に関わる法律
旅行ってトラブルがつきものなので、日常的に生活を送っている時より、
旅行者は保護されていて、普通だと損害賠償請求が認められないようなケースでも
一定の条件を満たせば、お金をもらえたりします
そんなこんなの、法律がらみの決め事を細かく覚える必要があります
今回勉強してみて、へええと思いました
知らなかったことだらけ
幸いな事に、旅行中に損害を受けた事は今まで、ないけれど
今後、旅行中にトラブルがあったら、旅行会社に相談すれば
色々教えてくれそうだ、ということが分かりました

◆約款(やっかん)
旅行会社だったり、旅行に関わる色んな会社と旅行会社は契約を結びます
旅行会社以外で言うと、JRや航空会社やホテルや貸切りバスやフェリー
ちっちゃな字で書いてある、約款を見せられたことはあるかと思います

それぞれ、会社が決めているものだから、会社によってそれぞれ違う訳で
そんなものがなんで試験科目になるんだろうと思いましたが
標準の約款を国が決めていて
それと同じにしてあれば、届出とかの手続きが不要になる
その標準の約款が試験に出る

旅行の何日前だったら、JRの場合はキャンセル料はいくらだとか
大人料金と子供料金はどうだとか
持込の荷物は〇cm×〇cm×〇cmの場合は持ち込めるとか、どれだけ以上は有料だとか
覚えることいっぱい

◆国内旅行業務実務
これが、さらに内訳として、国内地理と、旅行実務にわかれます
前回もお話したように、国内地理が面白い
国内の観光地を必死で覚えないといけません
そんなの山ほどあるわけで、キリがないじゃないとは思いますが
頑張って60%以上は正解できるようにしなければなりません

旅行実務の中で半分以上を占めるのが、JRの運賃や料金の計算
そんなの、自販機で買うとき分かるじゃん、て思っておりましたが
あれって、色んな条件で計算方法が決まっていて
それに基づいて割り出されているんです
知らなかった
自販機が出発駅到着駅の全部のパターンをデータベースで管理してあってハイって出してるのかと思っていたら色んな決め事から計算で出している
それを理解して、問題が出れば、これとこれの方式がこういうふうに当てはまるからこう計算されるって考えなきゃいけない
即座の応用力が試される
記憶ものも半分近くはあるんですけどね
この科目、力試しの結果としては一番よろしくない
頑張らねば

取り組み方
社労士がダメで、せっかく1年8ヶ月も頑張ったのに努力が無になって残念ではありました
試験の内容が今回とダブるところは全くないのですが
社労士の時に培った、私オリジナルの試験の取り組み方が役に立ちました

そこの部分は活きていると言えます

Excelでまとめて、絞り込んで行きながら、ってやり方です
さらに、地理に関しては、独自に考え出したオリジナルの覚え方があります

次回から、そのあたりを紹介していきますね

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[ことば日本史] 女房言葉あれこれ

ことば日本史、室町時代から

女房言葉
室町時代には、宮廷の女房たちの一種の隠語である「女房言葉」が、
武家社会、さらに一般社会にまで広がっていった。

豆腐を「(お)かべ」、餅を「(お)かちん」と呼んだり、
水を汲むことを「むすぶ」といったりすることが、庶民にまで真似されるようになったのである。

自分とちょっと違う世界の言葉を使ってみるのは何だか高揚感があります
若者言葉の「てへぺろ」なんてのをおじさんは使いたいので無理して使いますが
似たような感覚かも知れません

女房言葉には、今も普通に使っている言葉がたくさん
列挙してみましょう

・お冷やし〈水〉(飲食店で「お冷や、ちょうだい」)
・いわし・むらさき〈醤油〉(古代紫は、青みをおびた深紫色だった。鰯のことも「むらさき」といったそうだが、今ではそちらの意味では使われなくなった。「お冷や」と同じく、これも飲食店などでしか使われない)
・きなこ〈大豆の粉>
・おはぎくぼたもち〉(小豆を粒のまま散らしかけてある様子が、萩の花の咲き乱れてぼたんいるようだというので。ちなみに、ぼたもちというのは、牡丹の花のようということから)
・あおもの〈野菜>(間接的に表現しようという隠語の最たるもの)
・まん・おまん〈饅頭〉
・ひもじ・ひんもじ〈空腹〉(「貧の文字」)
・てもと〈箸>
・おみや〈おみやげ〉(上品に表現したいので「お」がつきます)
・しゃもじ〈杓子〉(杓子の「しゃの文字」)(もじ、をつけるのが流行りです)
・おめもじ〈見参〉(目見えの「目の文字」)
・おあし〈銭〉(中国の古典に銭は「翼なくして飛び、足なくして走る」とあることによるという)
・ささ〈酒〉(酒の「さ」の字を二つ重ねたものといわれる。酒を勧めるとき「ささ」といったことからとの説も)
・おいど〈尻〉(座るところを意味する居処(いど)の丁寧語)
・おぐし〈髪〉
・よそう〈ご飯を盛る〉
・おみあし〈足〉
・おみおつけ〈汁〉
・ゆもじ〈腰巻〉(「湯の文字」。今は腰巻そのものをあまり使わないので、「ゆもじ」などといわれると、なんだか艶っぽい印象)
・おでん〈田楽〉(豆腐を二本の串に刺して焼いたものが、竹馬で踊る田楽法師の姿に似ていたので、「田楽」と名づけられた。その「田」の字をとって「おでん」。これが関東に伝わると、煮込んだものが「おでん」と呼ばれるようになったが、関西では今でも「おでん」といえばミソ田楽のことで、煮込んだものは「関東炊き」)
・めしもの〈貴人の着物や履物〉
・おこわ〈赤飯〉
・おかず〈菜〉(かずかず取り合わせることから)
・おふくろ〈母〉
・いしいし・いしい〈美味〉(江戸時代に「お」がついて「おいしい」になる)

以前、同僚で今でいう「おねえ」みたいな人がいたんですが
私の足が邪魔だったときに
「すみません、おみあしを」
と言われた時には感動しました

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[足利将軍]8-3 義政。応仁の乱2

[足利将軍]8 義政。頑張る気持ちはあるんだけど
[足利将軍]8-2 義政。応仁の乱の始まり
の続きです

応仁の乱

文政元(1466)年の暮れ、畠山義就(よしひろ)が軍勢を引き連れて上洛
バックには山名宗全がついている
以降、西軍と表現します

迎え撃つは畠山政長
こちらには細川勝元がつく
以降、東軍と表現します

山名宗全と細川勝元の完全決別です

将軍足利義政はというと、
畠山義就の勝手な上洛に怒っていたので、東軍側につく
・・・はずだった

ところが、年が明けた正月
正月は将軍が、家臣の邸宅を訪れ、もてなしを受ける「御成(おなり)」が行われるんですが
畠山政長邸ではなく、畠山義就邸を訪れた

またまた、優柔不断な両天秤方針です

東軍側もそんなことは今まで散々あったので予想の範囲内
武力で圧力をかけようと、将軍御所を兵で取り巻こうとした

ところがその企みが、西軍側に漏れる
西軍側が先手を取って、将軍御所を取り巻いた

東軍西軍がにらみ合う中、将軍義政からお達し
畠山氏の家督争いは、畠山氏の双方で戦い、一対一で決着をつけよ
細川、山名両名は加担するべからず

畠山政長(東軍側)と畠山義就(西軍側)が完全衝突
細川はお達しを守り加担しなかったが
山名はバカ正直な細川をあざ笑うかのように全面協力
当然西軍側が圧勝した

この戦いを憂いて、元号が応仁に改元される
なんと、ここからが応仁の乱なんですね

プライドずたずたの細川
しばらくは静かにしておりましたが、着々と準備を進めます

義政に、
約束を破った山名は討伐せねばなりません
ついては将軍の弟、義視(よしみ)さんを総大将とし、山名討伐の兵をあげたいと思います
将軍旗を掲げさせて下さい

エエよ

細川(東軍)の総攻撃が始まります

東軍優勢のまま推移し、義視は大ハリキリ
ところが、それを疎ましく思う人がいた
将軍義政の奥さん、日野富子
日野富子は、時期将軍として義視より自分の息子義尚(よしひさ)を立てたかった
義視に活躍してもらっちゃ困る

致し方なく、義視は自宅に戻る

東軍としても決定打を欠き、ぐだぐたしているうちに
西軍に協力な援護者が現れる
現山口県の大物、大内義弘が入京

完全に兵力が互角になる

戦が長引く中、びっくりすることが起きる
西軍が、義視(よしみ)を将軍として
我らこそが幕府なり、と宣言

あれ?
ちょっと前まで、東軍の総大将だったはずなのに

もともと、最初に義視を担ごうとしていたのは山名宗全だったわけです

あっちへふらふら、こっちへふらふらしていた義政もこれには怒った
自分を廃するということですから
足利義視治罰の院宣を朝廷に出してもらい、義視は「朝敵」となる

応仁の乱長期化の要素がまた一つ加わりました

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