皇紀2600年って何なのか

最初の頃の天皇は、なぜ長生きなのかの続きです

大革命
気になるのは大革命ですね
紀元前660年、
西暦601年、

さあ、その次は
1861年

1868年が明治維新ですから
幕末のぐちゃぐちゃの頃
その前年が、桜田門外の変
この年は、和宮の公武合体

明治維新はちょっとずれましたが、確かに大革命

皇紀2600年
皇紀2600年と言いますね
母さんに何度も聞かされました。

♪紀元は2600年

提灯行列したのよ、すごかったのよ

1940年(昭和15年)
母さんは昭和4年生まれなので、11歳
鮮明に覚えているんでしょう。
提灯行列なるものは、そんなに嬉しかったんでしょうか

今回調べてみてとてもビックリしたこと。
明治維新で不定時法が定時法になり
太陰太陽歴が太陽暦になったのが、明治5年
この話は大好きです。

でも大きな勘違いをしていた。
太陽暦になったんだから、何の疑いもなく、それは西暦だろうと。
西洋に合わせて富国強兵なんだから。
違ってました。

西暦は使わなかった。
皇紀というものを開発し、それを使った。
昨日お話しした、神武天皇の即位の年を1年と考えて計算する方法です。

西暦と元号の併用ではなく
皇紀と元号の併用。
明治5年までは、干支と元号の併用だったのが変わったのです。

別の視点から言うと
明治5年に、皇紀という考え方が出来たのであって、それまではなかった

皇紀2600年を何で祝うんだろう
1260×2=皇紀2520年、
そう1861年こそ祝うべきなのにと思いましたが謎が解けました。

干支を使っていた時は、皇紀を使っておらず
皇紀を使っていた時は、干支を使っていない。

皇紀は突然、2532年から使われ始めたので
皇紀2520年は誰も意識していない。

皇紀になったとたんに、干支はどうでもよくなったので、60年単位を祝わずに
100年というキリの良さで祝う。
皇紀2600年で、提灯行列

第二次大戦の敗戦後、ようやく西暦を使うようになったので
日本では、西暦ってそこそこ75年程度しか使っていない

元号って世界中で使っているのは日本だけで
西暦の方が便利に決まっているのに
何で改元ってこんなにウキウキするんだろうと不思議に思っていましたが
これも謎が解けました。

西暦って日本人は、まだ馴染んでいないんですね。

索引はこちら
[暦]シリーズはこちら(少し下げてね)

へんちくりん、江戸の面白絵

へんちくりん江戸挿絵本、という本を読みました。

改めて、江戸大好き
茶の精神です。

茶化す、の茶ですね

これから紹介しようとしているのは、大きなくくりでいうとパロディですが
風刺のような、批判精神があるわけではありません。

その場でクスッと笑ってそれでしまい。
後に何にも残らない。

そんな言わば「つまらない」ことが大好きな江戸の人たち
大田南畝、山東京伝、酒井胞一といった超一流の芸術家たちが率先してやっている
葛飾北斎なんかも同一線上にある

ちょっと前に紹介した千住宿の酒合戦なんかは
このあたりの一流芸術家たちが審査員なんだけど
入口の看板には
下戸と悪酔いするひとに加え、理屈言う人お断り、と書いてある

所詮人生糞袋

神様と仏様
元々不真面目なものを茶化しても面白くないので、対象は真面目なものになります
神様や仏様は良いターゲット

七福神が、吉原へ行っている、このパターンは結構多いです。
大田南畝(おおたなんぼ)の作品です。
天明元(1781)年作と書いてありますが、これは嘘
天敵の超堅物松平定信に見つかるとえらいことになります。

寛政の改革で、出版規制が入る前の作品だということにしましょう。

七福神ファンの私としては、一番気になったのが寿老人
頭が大きいのは、福禄寿の筈
どうも、大田南畝はほかにも頭の長いのを寿老人と詠む狂歌がありますから、
書き損じじゃないようです。
阿倍仲麻呂の「三笠の山にいでし月かも」をもじって、
鹿を連れた寿老人図に添えた「三笠の山のやうなおつむり」

何故これがそんなに気になるかというと
椿山荘にある福禄寿と寿老人が逆だったのです。
福禄寿の説明看板に、頭が大きいと書いておきながらの逆


こうなると、福禄寿と寿老人を逆にすること自体に特別な意味があるとしか思えない
ああ、気になる。

同時期の、超人気作家、朋誠堂喜三二(ほうせいどうきさんじ)の笑い話をひとつ
七福神のうちお腹の大きな大黒天と布袋和尚は、
みんなで連れだって歩くのにも遅くなります。
寿老人はつかわしめの鹿に乗るからいちばん速い。
弁才天は唯一の女ながら足早で、布袋に向かって「はやく歩みなせへ」と言います。
布袋答えて、「ほてえことをいふ人だ」
ふてえとほてえをかけただけですが
やり取りの様子が可愛いですね。


こちらの絵は、山東京伝の絵

千手観音が手を切り取ってレンタルするという、斬新な発想

黄表紙という絵の中に字が入る、一世を風媚するパターンの初期の作品
無造作に転がっている、切り取られた手
よほど儲かったと見えて、横に置いてある千両箱
面の皮屋千兵衛の笑顔が素敵です。

「絵本神名帳」(えほんじんめいちょう)という神様を色々紹介した本があります。
茂義堂(もぎどう)主人と名のる人物の序によれば、
昔、熟然房(つくねんぼう)というお坊さんが見せてくれた作品だと言っています。
もぎどう、はろくでなしの意味だし、
つくねんぼうは、ぼんやりたたずむ、の意味だから
これ自体冗談でしょう。

蝋燭のしん

芯(しん)と神(しん)をかけただけ
あまりのクオリティの低さに開いた口が塞がりません。

この神は夜な夜な現れて人を明るみに導くが、
「三十目、五十目、百目の位」があって(目は匁で重さの単位、蠟燭の寸法の違いをいう)、
「和光」つまり神仏の光明にもランクがある。
不信心だと芯を切るときに消え失せる、
と書いてあります

和蝋燭って、洋蝋燭と違い、芯を切りながら使うらしいです。

それにしても、この憂いに満ちた表情はいとおしくさえ感じます。

また、今度他のも紹介しますね。

索引はこちら
[江戸の文化]シリーズはこちら(少し下げてね)

神田祭り2日目。神輿宮入

昨日
2年に一度のお楽しみ、神田祭りでわっしょい
で、神輿宮入(みこしみやいり)は諦めるけど
神幸祭と付け祭で大満足とレポートしました。

もうひとりの自分が問いかけます。

君は本当にそれで良いのか
2年に一度だぞ
後悔は無いのか

答は出ました。

大手町
一番時間が早いのは、8:30の外神田地区連合
神田明神の近くなので、距離的にはそれほど長い巡行ではありません。
時間的に間に合わないので、見送りましょう。

9:00に開始の大手・丸の内町会の将門塚保存会による大神輿
何といっても、神田明神に祀られる三柱の神様のうちの一人
平将門です。
元々神田明神があった場所が、大手町のビルの間に、将門塚となっています。
そこから、神田明神までの巡行
神輿の数はひとつだけですがね、考えただけでもワクワクします。

15分前に、将門塚

あれ?誰もいない
もう一度本を確認
9:00に丸紅株式会社前、と書いてある
GoogleMapで検索するも、どうにもどこの事だか分からない
5分前にようやく、はっぴを着た人がいたので質問したが
どうにも良く分からない

ええい、パス
次の場所へゴー

中神田
中神田十三ヶ町連合が10時に出世不動通り集合、とある
早めに着いちゃうけど、待ってましょう。

あっ、何か騒がしいぞ
もう、やってるじゃん

さすがに十三ヶ町連合
13の神輿が大集結って訳でしょう。
その向こうにも違う色のはっぴを着た違う町会のお神輿
こりゃ面白い
掛け声がさっきと違う。

あらら、その向こうにも
これもまた掛け声が違う

みるみる内にあっちもこっちも、お神輿だらけ

私のような見学者はほとんどいないんだけど
はっぴを着た人達であふれかえります。

要所要所で一回休む前に、一本締め
よーぅおっ
チャンチャチャン チャチャチャン チャチャチャン チャン

それぞれに盛り上がり方が違っていて
うわあ、ここの町会、思いきり気合い入ってる
あっ、あの人裸足だけど大丈夫?
女の人も混じってたり
そもそも、全員女性の女神輿というのもあったり。

間近に通りすぎる時は、ど迫力でございます。

いやあ、すごかった。
次は、っと

考えていたのは、10:30に出発の神田中央連合
靖国通りの、神保町寄りです。

途中、公園で綺麗なお姉さんたちが
着飾って集合写真を撮っているのに出会いました。

歩いていっている間に考えました。
13個ももうみちゃったし
神田中央連合も、似たような感じかなあ。

あっそうだ

昨日、本を熟読していて分かったことがある
江戸時代には、山車(だし)と神輿の両方だったんだけど
今は山車は、昨日の神幸祭で背の低いものとして使われるだけと思ってました。

四つだけ昔のタイプの山車がある

そのうち二つは、昨日も写真を載せた、神田明神に飾ってあるだけのもの
残り二つの内、ひとつだけ、宮入りするものがある

神田松枝町会のもの。岩本町・東神田地区連合の中のひとつです。
9:00スタートだから、スタート時点にはもういないけど
途中で待ち構えていれば、見れるのではあるまいか

昌平橋へゴー

間に合ったかな
岩本町・東神田地区連合の神輿が続々と通っていきます。
コースを逆に歩いていって探すとしましょう。

万世橋の交差点辺りで大きな電気屋街の間を抜けていくお神輿は
ちょっと不思議な気がします。

あっ見えた。
ちょうど止まっているのかな
誰も引っ張っていません。
中で、太鼓と笛がピーヒャラトントン
こりゃ大興奮

ずっと見ていると、
あっ上の羽衣の人形が小さく隠れていったぞ

これは、江戸時代に、江戸城内に入るため
門を潜れるよう、からくりにしたという
その延長線で、電線くぐりのためか

おっと、また出てきたぞ
と思ったらぐるりと回り出した。
うわあ、面白かった。

引くところを見たかったんだけど
当分動きそうにない。

いいや、次行くか
そろそろ、色んな町会が神田明神に宮入りし出す時間だろう
宮入りってどんな感じなんだろう

神田明神
昨日に引き続き、またまたやってまいりました。神田明神

ちょうど末広町が宮入りしている最中でした。
沿道とは大違いです。見物の人人人

良く良く考えれば、ここにさえいれば全ての町会が見れるという理屈ですからね。
みんな賢いわ。

どんどん盛り上げるために、
はい来ました、はい一本締めではい次
みたいな流れ作業にはなりません。

まだ声が小さい!みたいな感じで押し返され
担ぎ手は疲れも最高潮なんでしょうけど
思いっきり声を張り上げる。
俺たちの町会が一番でいっ、て事かな

見学の人がまだ声が小さいね
もみが足りないんじゃないの、とか言ってたから
それが「もみ」ってことなのかな

次に来た、宮本町なんて、もまれるもまれる
最高潮になって一本締め

すごいわ。こりゃ日本の誇りです。

あっそうそう
拝殿の正面は宮入りで使うから、参拝のために正面には並べないけど
サイドから、参拝できますとのこと。

昨日、あまりの行列で参拝できなかったけど
今日は参拝して参りましょう。

どうか、今度の本番納品が滞りなくいきますように。

どこ行こう、そうだ!おでかけマップ

姫路城レポート、続きの続き。好古園、値打ちあったねえ

姫路城レポート
姫路城レポートの続き
の続きです。

好古園
父さんが来たことあって、良かったよ、との事
日本庭園です。

姫路城で好古園との共通券を買いましたからね
そういうのって、チケット途中でなくしちゃって大わらわ、なんてな事になるんだよね
大丈夫、そうならないように、バッグの奥底にちゃんと押し込んだから

あれっ

いくら探してもありません
バッグをひっくり返しても。
大わらわ、なんてな事になっちゃいました。

1040円のうち、好古園はいくらなんだろうとビクビクしつつ参ります。

途中、池のお堀に、船がいました。
今度、あれも乗りたいなあ。

300円なのか
助かったぁ

単なる日本庭園ではありません。
庭園がいくつもあって、さながら日本庭園のテーマパーク

今まで、色んな庭園を巡ってきて
確かに、それぞれ趣は違うんだけど
そんなに、色々集めてどんなふうになるんだろう。
まあ、見てみましょう。

築山池泉の庭
最初、築山池泉の庭から見始めました。
築山池泉というくらいですから、極めて標準的
日本庭園の標準的なものは、これですよ
まず、これを頭に入れてくださいよ、という主張なのでしょう

さすがです。


竹の庭
なるほど、こういう事が出来るわけですね
竹って、日本庭園では重要アイテムだから
色んな庭園に登場しましたが
竹というテーマだけで庭作りましたって、あまり見たことがない
日本庭園のテーマパークならではの贅沢な考え方です。


松の庭
来ましたねえ
竹が来たなら、松も来なきゃね


この庭が一番難しかったんじゃないかな
松って日本庭園で主役だから
どーんとあって、他は、松の引き立て役に回る感じ
主役級を揃えても、こうすれば成り立つという、絶妙バランス

夏木の庭
これは、落葉樹ばかりなので、紅葉の時期
すごいことになりそう

藤棚もあったので、今の時期も楽しめました

流れの平庭
水の流れを一番強調した庭
ここ、すごく好き
夏木の庭は、渋目に押さえてあるんだけど
こっちはぱあっと明るい



松の庭、夏木の庭、流れの平庭の三つは、同じ流れが続いていくので
連続しているんだけど
ちょっとした塀で分けて、雰囲気やテーマを分けることで違いを楽しめる
連続なのに非連続
うーん、憎いね

花の庭
松と、竹があったので、梅もないと揃いませんね
今の時期は、梅は咲いていませんでしたが
色んな花を集めた庭


茶の庭
城下町って感じの道を隔て

芝生が印象的な茶の庭
やっぱり、日本庭園にも芝生は合うなあ


ゆっくりお茶を楽しむ事も出来ます。

活水軒と御屋敷の庭
活水軒というレストラン
あら残念
レストランでお食事する方は、さらに素晴らしいお庭をご覧いただきましょうという趣向ですな

大丈夫。
今まででも十分楽しめました。
感謝感謝

横からちょこっとぐらい見れたりするかも知れないから
入り口ギリギリまで入ってみましょう

あれ?
横に道があるぞ

なななんと良心的な
食事しなくても、奥の庭まで行けるじゃないですか
しかも、滝っ
そういうと、今まであんなに色んな趣向があったのに滝だけなかった。

こんな立派な滝、なかなかお目にかかれません。

すごいです。ネーミングぴったり、超豪華な庭です。


贅沢の極み
姫路城の天守閣が借景です

いやあ、最後にこんなすごい庭を残していたとは。
すごい筈です。
後で分かったんですが
もともとここが、姫路城城主の下屋敷。
なんと、ここにあの吉原から今の金に換算して、億の金を出して身請けした
高尾太夫も住まわせていた。
好古園はここから広がっていったんですね
ほんとの御屋敷の庭だった訳です。

苗の庭
いやあ楽しかった
堪能しました。
帰り道はこっちかな

ん?

ここ、色んな花が咲いているぞ
日本庭園ではないんだけど、庭園に持っていくための植物の予備軍

それにしちゃここすごい
花カレンダーで花に興味を持った私としては、無茶苦茶楽しい
こんな最高級のおまけもあるなんて
ずいぶんここで時間を取りました。



いやあ、値打ちあったねえ
これで300円はすごいよね

正純は600円だけどね
そうだったそうだった。
600円だったとしても、値打ちあるよ

ずいぶん充実した一日でございました。

いっぱい並んで、いっぱい歩いて。

今年90歳になる父さんは、
さぞ疲れたかと思いきや
微塵も疲れた様子なし。

こりゃ、100歳まで生きちゃいそうです。

どこ行こう、そうだ!おでかけマップ